2012年1月13日(金)、末広亭で初笑い。正月二之席である。昼の部のトリが円歌、夜の部のトリが小三治である。平日でも、小三治目当てもあって、賑わっていると思い、始まる前から並んだ。したがって、最初からトリの小三治まで聴いた。正月は過ぎたけど、寄席は二之席までは正月興行で、顔見世興行であって、出てくる人の数が多いが、豪華なメンバーがそろって登場し、魅力的である。しかし、一人の持ち時間は短くて、しかも夜の部になると、小三治がトリなので、皆、遠慮をしているようである。その分、小三治は30分以上の話となる。
小三治、出てくるなり、客席から「まってました」とか「たっぷり」などの声がかかる。そのまま鏡餅のにおいをかぎに行く。それがマクラの話につながる。かって鈴本演芸場は鏡餅を飾っていなくて、合理化したとのことで、その意味がわからないといいながら、そんなんだったら落語が一番合理化されてしまうと皮肉る。池袋の飾餅もあまり立派ではなくて、末広亭のが一番立派で、海老もにおってきているので本物であると笑いを誘う。浅草演芸場は人があまりにも多すぎて、人の入れ替えを行うために、暖房が非常に暖かくしていると話す。そして、何事も縁、ここで 隣り合わせて落語を聴くのも縁で、最たる縁は夫婦であるという話から、夫婦の話「厩火事」の噺に入っていく。孔子の論語の話、「厩焚(や)けたり、子(し)退きて朝(あした)曰(いは)く、人を傷つけるやとのみ言いて、馬を問はず。」という一節がある。厩が火事になり、主人が大事にしていた名馬が焼け死んだにもかかわらず、仕事から帰ってきた主人は、家中の者に怪我はなかったかとだけ聞き、馬が死んだことについて誰もとがめなかったという話である。また、麹町のサルの話しなどを出しながら、夫婦の心理の機微を描いて、さすがにうまい。今回もまた、小三治の噺が聴けて、久しぶりにたっぷり落語を堪能して、充実感を感じながら末広亭を後にする。
小三治、出てくるなり、客席から「まってました」とか「たっぷり」などの声がかかる。そのまま鏡餅のにおいをかぎに行く。それがマクラの話につながる。かって鈴本演芸場は鏡餅を飾っていなくて、合理化したとのことで、その意味がわからないといいながら、そんなんだったら落語が一番合理化されてしまうと皮肉る。池袋の飾餅もあまり立派ではなくて、末広亭のが一番立派で、海老もにおってきているので本物であると笑いを誘う。浅草演芸場は人があまりにも多すぎて、人の入れ替えを行うために、暖房が非常に暖かくしていると話す。そして、何事も縁、ここで 隣り合わせて落語を聴くのも縁で、最たる縁は夫婦であるという話から、夫婦の話「厩火事」の噺に入っていく。孔子の論語の話、「厩焚(や)けたり、子(し)退きて朝(あした)曰(いは)く、人を傷つけるやとのみ言いて、馬を問はず。」という一節がある。厩が火事になり、主人が大事にしていた名馬が焼け死んだにもかかわらず、仕事から帰ってきた主人は、家中の者に怪我はなかったかとだけ聞き、馬が死んだことについて誰もとがめなかったという話である。また、麹町のサルの話しなどを出しながら、夫婦の心理の機微を描いて、さすがにうまい。今回もまた、小三治の噺が聴けて、久しぶりにたっぷり落語を堪能して、充実感を感じながら末広亭を後にする。
つばささんは、地元の利。何回も小三治の噺が聴けて羨ましいです。
二之席=夜の部のトリ;小三治は存じていますが、やはり最終までは帰りが日付が変わってしまうので駄目です。
>地元の利。何回も小三治の噺が聴けて羨ましいです。
小三治が出るとなると、夜のトリでもつい足が向いてしまいます。夜席なので、いい席をとるために最初からだと長丁場になるのですが、その日のうちに帰れるというのは、確かに土地の利ですね。あと何回ぐらい聴けるだろうかな思ったりしますが、落語協会の会長までして、元気ですね。