新宿末広亭は12月28日が寄席の千秋楽である。今年はあまり寄席に行っていなかったので、久しぶりに落語を聞きたいと思い、「芝浜」を聞きに行ってきた。いつものように歌之介の噺は観客から大爆笑がおきていたし、こいる・順子の漫才には、名コンビが成立したと思い、面白かった。トリを務めているのが、むかし家今松である。新宿末広亭の最終日、下席の落日は、ここ数年、今松の「芝浜」が恒例になっているのである。そのため、この日は、一階席は満席になり、2階席も開く。朝11時半には末広亭で並び、前から3番目の席に座ることが出来た。「芝浜」は、師走の時期の噺である。感動とか涙ちょうだいの話になりがちな「芝浜」を今松師は感情表現をおさえて演じている。そのため凝った演出もなく、感動というよりは、淡々と話す中で、心温まる話に出来上がっていて、ほのぼのとした心持となって、あっという間に40分近くの時間が過ぎた。今松の「芝浜」もいいなと思った。今年の笑い納めである。
11月中旬に、職場の職員7名で茅ヶ岳に登る。前日はロッジ山旅に宿泊。当初、八ヶ岳の権現岳に登ろうとしていたが、当日の朝、ロッジ山旅の長沢さんから冬型の気圧配置で、八ヶ岳は雲の中で天気が悪いといわれ、茅ヶ岳なら晴れているとのこと。急遽登る山を変更して、茅ヶ岳に登ることにした。天気が良くて、変更をして正解だった。紅葉は、下の方では、まだ見えたが、上では終わっていて、晩秋の茅ヶ岳を登った。ロッジ山旅を朝7時半過ぎに出て、長坂インターから高速に乗り、韮崎インターで下りて、深田公園の駐車場から登り始める。最初は緩やかな坂道を歩く。途中に女岩があるが、落石が多いため、今回はロープが張ってあり、立ち入り禁止になっていた。女岩から上ぐらいから落葉しており、登山道にたくさん落ちており、滑りやすく歩きにくかった。女岩から急登になり、きつくはなってきたが、見晴らしの良い場所で休憩をして、眺めを楽しむ。富士山が見え、金峰山の五丈岩もよく見え、金峰山の左側に瑞牆山も望めた。作家であり登山家でもあった深田久弥氏は、昭和39年に「日本百名山」を発表。昭和46年3月21日、山岳会の仲間と茅ヶ岳に登っていた氏は、頂上まであとわずかの地点で、脳出血で亡くなった。亡くなった地で合掌。山頂からも富士山や奥秩父方面の山は展望が良かった。南アルプスも見え、地蔵岳のオベリスクも見えた。下りは尾根道を歩く。結構急であるので、膝に負担がかかり、膝が痛くなってきたので、途中でサポーターをつける。足が固定されて、少し歩きやすくなった。下に下りてくると、逆光の光の加減で、ススキが白く輝いていた。帰りは高速道路の釈迦堂パーキングに寄り、釈迦堂遺跡博物館を見学して、勝沼インターで降りて、ほったらかし温泉で汗を流す。