ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

落語ワールドの傑作映画 幕末太陽傳

2015-01-25 21:55:29 | 落語
第二回、新・午前十時の映画祭で川島雄三監督の「幕末太陽傳」を見た。日活100周年記念デジタル修復版である。「幕末太陽傳」は、「居残り佐平次」を本筋において、「品川心中」、「三枚起請」、「お見立て」などの落語が散りばめられている。落語を題材にして、映画の傑作にしているのは珍しい。もともと落語の世界は人間の弱さや愚かさ、非常識などがモチーフとなりがちで、どちらかといえば単純であるので、映画の材料にはしにくい。しかし、「幕末太陽傳」が成功をしたのは遊郭を舞台にして何本かの落語を入れ込んでいるからであるといわれる。
映画の導入部は映画制作年当時の1958年の品川の赤線地帯の風景から始まる。売春防止法の制定(1956年)に伴い、まさにこの年に廃止となる。赤線は20世紀半ばまでの、約350年の長きにわたり江戸で続いた公娼制度である。昭和のこの時期まで続いていたのである。
フランキー堺演じる佐平次は、軽妙で魅力的である。まるでフーテンの寅さんのようである。「居残り」という恥ずかしい行為をしても、なんとなく憎めなく、逆に人を救ってしまうのである。
「相模屋」で夜を徹して飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを繰り広げてあげくに金がないと居残った佐平次が朝酒ついでに朝湯につかりながら、「三千世界の鴉を殺し~♪主と朝寝がしてみたい~」と流行りの都々逸(どどいつ)をうたうと、「その歌はやめろ!」と一緒に並んで風呂に浸かっている高杉晋作(石原裕次郎)に怒られる。「俺の作った歌だから恥ずかしい」という。攘夷派の長州藩士もこの「相模屋」を討幕の根城としていたのだった
「相模屋」の人気ナンバーワンの板頭(いたがしら)を競い合う、おそめ(左幸子)とこはる(南田洋子)は、犬猿の中。こはるに板頭を張られっぱなしのやや落ち目のおそめ、住み替えという、お女郎さんの衣替えのしきたりに使うお金の工面が付かずに悩んでいる。金がないのを笑われるくらいならいっそ死んでやると決心するが、一人で死ぬのも格好が悪いと、独身の馴染み客の中から貸本屋の金蔵(小沢昭一)を心中相手に決めてしまう。ここは落語の「品川心中」が題材になっている。
こはるは、馴染を取るためにはどんな事も辞さないやり手の女郎。「年季が明けたらあんたと必ず一緒になる」という起請文を乱発。毎晩あっちこっちの座敷を飛び回るが、何人もの男に起請文を渡してる事がバレてしまい、最後はつるし上げられてしまう。起請文にウソを書くと、熊野の鴉が三羽死ぬと脅されるが、「朝寝がしたいから烏を全部殺してやりたいのさ」と開き直る始末。落語の「三枚起請」が元になっている。
「相模屋」の放蕩息子徳三郎、北国(吉原)から付き馬を引き連れ朝帰りである。今の店の主人伝兵衛は、死んだ実の父の後に、母の婿養子で入った元番頭で、徳三郎は小馬鹿にして言う事など聞きはしない。こんなエピソードも落語を感じる。ラストは「お見立て」が題材となって、遊客が遊女を選ぶことをお見立てという。死んだとウソをついて欲しいとこはるに頼まれた佐平次だが、客に墓まで案内しろといわれ、でたらめに案内するが、墓も見立てになってしまう。
まさに昭和30年代の映画で、古典落語ワールドを楽しめた。

小三治の「時そば」

2015-01-22 11:26:22 | 落語
末広亭の正月二之席に小三治が夜主任を務めるということで、行きたかったのだが、仕事の関係で小三治が出る日は行かれないと思っていた。それでも、前回、チケットが一枚もらえたので、二之席に行き、さん喬が主任を務める「いくよ餅」を聞くことが出来た。これはこれで十分楽しめることが出来た。しかし、小三治も聞きたくて、たまたま小三治の出る日に、都内で会議があり、新宿に7時半頃に着いた。そのまま末広亭に行き、夜席の後半から入ることが出来た。平日であったにもかかわらず、さすが小三治人気で、立ち見であった。「時そば」である。マクラで、二八蕎麦の説明やそばが十六文であることの説明をした後に本題に入る。夜鷹そば屋で客がそばを誉めたてて、一文ごまかすしぐさをみて、真似をして、ほめるところがないのにもかかわらず、ほめ続けたあげくに、失敗をするさまはおかしい。表情やしぐさはいつもながら思わず笑いが出てしまう。そばをすするしぐさはさすがに上手く、名演である。

権現山

2015-01-14 10:40:30 | 山歩き
年末年始の食い過ぎ、飲み過ぎで体重がどんどん増えてきたので、少し歩きたいのと富士山を見たくなり、権現山に登った。秦野駅からあっという間に登ってしまったので、もう少し歩こうと思い、弘法山の方にも足を延ばした。権現山と弘法山は、今回で3回目であるが、過去2回はあいにくの天気で富士山が見えなかった。ここからの富士山の眺めはよいと聞いていたので、天気の良い日に是非登ってみたいと思っていた。今回は澄み渡った空で富士山がくっきりと見えた。まだ、正月休みだったので、結構人が登っていた。子ども連れの親子もいたが、年配の親子連れらしき人も登っていた。弘法山を下っていくと鶴巻温泉駅と東海大学前駅との分岐の標識があり、東海大学駅前方向の道はまだ歩いていないと思い、歩き出した。この道は「野仏と温泉のみち」といわれているようである。東海大学前の道を下っていくと、途中に幾つか地蔵が建っていた。下りはやはり、膝が痛くなり、ペースが落ちる。途中で、鶴巻温泉駅方向の標識があり、あれと思ったが、うろうろして、近くの人に聞くと、鶴巻温泉に行くには山を越えないとならないので、東海大学前駅の方が良いといわれ、そちらの方向に歩き、東海大学前駅に到着。今回は用事があったので、温泉は入らないで、帰宅した。