ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

高川山

2010-10-22 19:30:46 | 山歩き
天気予報では曇りだったが、ビッキーの追悼も兼ねて、高川山に登った。初狩駅から小雨模様の中、傘をさしながら、歩き始める。天気が悪くて、平日だったためか、誰も会わず。山頂近くになると、ここで、ビッキーが迎えに来たのだと思いながら歩いた。雨が降っていたので、空も泣いていて、追悼登山らしいと思った。それでも山頂に着くとほとんど雨はやんでいた。山頂では、早速、ビッキーの立派なアルバムが置いてあったので、ながめる。ノートも読んでみると、皆から慕われていたことがよくわかる。展望は見えず。下りはシラノ沢コースを下りて、最初からロープがあって、急な下りコースであった。下に下りてくると天気は回復ぎみである。明日だったら晴れるのにねとおじさんに声をかけられた。田野倉駅から富士急行線に乗って、帰る。

冬の小鳥

2010-10-21 22:01:18 | 映画
岩波ホールで、「冬の小鳥」を見た。
昨年のカンヌ国際映画祭で特別招待作品として上映され、同年10月の東京国際映画祭ではアジアの風部門で最優秀アジア映画賞を受賞した。韓国・フランスの合作映画で、大好きな父親に置き去りにされた事実を受け入れられない少女の悲しくも切ない失意の日々と、そこからの再生のドラマを力強く描く。
舞台は1975年のソウル郊外。9歳の少女ジニ(キム・セロン)は父親に連れられ、カトリック系の児童養護施設に預けられてしまう。いずれ父親が迎えにくると信じながら過ごすジニだったが、周囲になじむことなく反発を繰り返す。そんなジニを気にかけるのは年上のスッキだった。2人は庭で傷ついた小鳥の世話を始める。スッキはアメリカや遠い国への憧れをジニに語り、一緒に外国へ行こうと誘う。かたくなだったジニの心も、ようやく開いていくが、しかし、ズッキも養女として一人で外国へ行く。そこでまた、ジニは喪失感を味わうことになる。
ウニー・ルコント(44)監督自身が、実際に少女時代、1970年代に韓国のカトリック系児童養護施設に預けられ、その後、フランスのプロテスタント系一家に養子として引き取られた。「韓国文化から別れてフランス文化に入ったとき、葛藤(かっとう)や苦痛を感じました。カトリックのシスターたちによく面倒をみてもらったので、プロテスタントの家庭に入ったのも一種の別離でしたから苦痛で悲しかったですよ」と語る。
この映画は喪失体験というのがテーマの一つであり、子どもの心の孤独と葛藤も描かれている。しかし、その中で、子ども心に秘められた思いと生きる力も示唆している。まさに新しい命を自ら与えたのである。主演は、これが映画初出演となるキム・セロン。彼女の存在感と情感あふれる演技が、観客の心をつかむ。
映画は監督の実体験ではなく、あくまでフィクションであるが、当時感じた「心の痛み」が投影されているといわれる。監督は9歳だった頃の気持ちで脚本を書いたと振り返っている。子どもが厳しい現実にぶつかって葛藤する姿を描きたかったということで、9歳のジニの気持ちに寄り添って描かれているともいえる。監督は次のようなことも述べている。「過去に捨てられたことは確かに大きな傷跡になっていて、それに向き合うことをずっと避けてきた。ですが、今回このテーマで映画を作ることによって、真剣に正面から傷跡に向き合ってみようという決意で取りかかりました」



高川山のビッキー

2010-10-12 22:56:01 | 山歩き
今月の6日、休みが取れて、久しぶりに高川山にも登ってみようと頭をかすめたが、少しからだが鈍っていたので、高川山より少しきつめが良いと思い、塔ノ岳に登った。そして、その後、山頂にいる犬のビッキーはどうしているかと思って、調べてみたら、亡くなっているのが見つかったという記事があった。富士山の眺めのよい高川山。最初に登ったのが、2004年12月で、山頂に犬がすみついていると言われて、びっくりした。首輪がついていたので、飼い主がいるのかなと思ったが、ハチ公と同じように、何年も飼い主が来るのを待っているのかもしれなかった。その後も何回か登っていて、いつもビッキーが山頂で迎えてくれた。そのたびに、ビッキーと会うのを楽しみにしていた。これからはいないと思うと寂しい。

記事は次のように載っていた。

さよならビッキー 高川山の名物犬、山頂近くで逝く
2010年10月9日
その犬は大月市と都留市の境にある高川山(標高約975メートル)に10年近く前から住みついた。8合目付近を過ぎた登山者をまるで案内するように山頂に導き、テレビのペット番組やネットでいつしか「山頂犬」や「仙人犬」と呼ばれ、だれかが「ビッキー」という名もつけた。そんな名物犬が息を引き取っているのが6日、見つかった。
 ビッキーは雌で、体長は約60センチ。年齢不詳ながら、毛並みに白い毛が多く交じっていた。決してほえず、登山者が歩く道に、いつも静かに姿を現したという。
 話題になり始めたのは2005年ごろから。登山者や地元の人があげるお弁当の一部を喜んで食べ、人慣れしていたが、保健所の職員が捕獲しようとすると逃げたという。どこか悲しそうな目つき。首輪があるので「元の飼い主が戻ってくるのを待っているのでは」と見る人もいた。
 高川山は頂上から360度の展望が楽しめ、富士山も望める。ふもとから1時間ほどで登ることができるため、首都圏などから繰り返し訪れる人も多い。有名になってからは“彼女”目当てに登る人も増え、ネットのブログには「仙人犬に会ってきました」という書き込みも残る。
 山頂近くで亡くなっているのを東京都町田市の人が見つけた。けがなどはなく、病気や老衰のためと見られる。知らせを受けた大月市の産業観光課は、ビッキーが長年住んでいた山の中に葬ろうとしたが、土地所有者の同意をすぐには取れないため、ふもとのお寺に7日埋葬した。
 市外からも会いに来てくれた大勢の人に知らせるため、「ビッキーは旅立ちました」という掲示を山に出すことを市は検討している。(永持裕紀)


困った時の塔ノ岳

2010-10-06 19:17:49 | 山歩き
一日、休みが取れた。天気も持ちそう。日頃の運動不足を山に登って補いたい。そこで、困ったときの塔ノ岳。比較的行きやすくて、大倉バス停から山頂まで登り中心で約7キロメートル。私にとっては、それなりに歩く距離はあるので、つい足が向く。本当はもう少し時期を遅らせて、紅葉が見ごろの時に行きたかったのだが、どこへ行くか考えが浮かばなかったので、急遽、塔ノ岳に登ってきた。曇っていたので、富士山や南アルプスなどは見えなかったが、近くの山は見えた。そこそこ山頂の展望は楽しめた。もみじも紅葉には早かったが、もみじの緑がきらきら輝いているように見えるのも良かった。花もリンドウなどいくつか咲いていた。平日のためか、登る人も男性のお年寄りが多くて、黙々登っている人が多い。山頂でも若いカップルやグループで登ってきている人のしゃべる声は良く聞こえるが、単独の高齢の男性はほとんどしゃべらなくて、銘銘で過ごしている。私のように体力作りで登ってきている人も多いと思うが、それだけではなく、それそれ色々な思いを持ちながら登っているのだろうなと勝手に思ったりした。声も何となくかけにくかった。私も歩きながら仕事のことも考えたりした。それでも、特になにもなくても、山に入るとそれなりに楽しめて、歩いた充実感と疲労感がまた楽しい。帰りは、鶴巻温泉駅で下りて、弘法の里湯に入って、汗を流す。鉄道なので、ビールもうまい。

春との旅

2010-10-02 21:18:55 | 映画
 北海道で漁師をしていた忠男(仲代達矢)は、足を痛め、19歳の孫娘の春(徳永えり)と二人で暮らしていた。春の勤めていた小学校が廃校となり、失職した事から、春は東京に出て仕事を探そうとするが、足の不自由な忠男を一人には出来ない。忠男も、若い春の将来を考え、悩んだ末に二人は、忠男の世話を頼むべく、疎遠だった姉兄弟を訪ねる旅に出る。今更、兄弟に頼りたくはなかったに違いないが、東京へ働きに出たいと言う孫娘の将来を考えての、やむにやまれぬ選択であったのである。
 「バッシング」(05)、「愛の予感」(07)で知られる小林政広監督が、10年前から企画を温め、8年かけて脚本を仕上げた執念の力作といわれる。主演の仲代達矢は、「約150本の出演作品の中で、5本の指に入る脚本」と絶賛したと言う。
 男が何となく体裁があがらなく、だらしなくみえ、女性陣が気丈で、魅力的に描かれている。刑務所に入っている三男の内縁の妻・愛子(田中裕子)は、流行らない食堂をずっと守って、夫の出所を待ち続けている。その夫は、自ら他人を助けるために、犠牲になっているが、結局、身近の人を犠牲にして巻き込んでいる。忠男は感心しているが、春は首をかしげるところである。長女・茂子も、一人で旅館を切り盛りし、信念を持って毅然とした生き方を貫いている。茂子はつらさをたくさん経験し、辛いのが当たり前で、それを楽しむようにしたら、生きるのが楽になったような表現をしている。兄弟達の出会いを通じて、愛憎半ばする微妙な心の葛藤が描かれている。人生とは、親子とは、家族の絆の危うさと情、老いる事とは、さまざまな事を考えさせてくれる。
 また、出演している俳優が豪華である。主演の仲代達矢に、大滝秀治、菅井きん、淡島千景、田中裕子、柄本明、香川照之、小林薫、戸田菜穂などが脇を固めている。