「報道写真とデザインの父」として知られる写真家、名取洋之助(1910~1962年)の展覧会が、東京の日本橋高島屋で開催されていて、12月29日で終了するとのことで、観に行ってきた。名取は日本で最初に本格的な報道写真の概念をもたらし、新しいデザインと写真表現の発展に寄与したといわれている。
実業家の家に生まれた名取は1928年、18歳でドイツに渡った。写真やデザインを学び、グラフ週刊誌に写真を発表し報道写真家となった。33年に帰国した後は欧米の写真雑誌に写真を送り続け、日本社会の姿を伝えた。一方で、木村伊兵衛や伊奈信男らと「日本工房」を設立。海外に日本の文化を紹介する目的で作られたグラフ誌『NIPPON』(1934年創刊)では、グラフィックデザイナーの亀倉雄策、写真家の土門拳ら優れた人材を登用し、注目を集めた。戦後の岩波写真文庫(1950年創刊)など、名取の指揮により優れた写真と斬新なデザインで作られた刊行物は、時代を切り開いていったといわれる。
本展は、名取が現地グラフ誌のために撮影した36年のベルリンオリンピックや37年にアメリカグラフ誌「ライフ」の契約写真家としてのアメリカ大陸横断、朝鮮半島、写真集『ロマネスク』や岩波写真文庫に収められた中国各地の写真などを含めた作品約150点と、編集に携わった刊行物やグラフ誌、撮影日誌などの資料約100点で構成。芸術的あるいは主観的な写真作品を批判し、現実のメッセージを直接に伝える報道写真を切り開いた名取の実像を伝える。写真という一瞬を伝える情熱をかけた名取の迫力が伝わってくるような展覧会である。撮影に使用したカメラ、初出品となる日誌やスクラップブック、パスポートなども展示し見どころが満載である。
娘・名取美和が創設した、タイ北部チェンマイにあるHIV母子感染孤児のための生活施設「バーンロムサイ」の活動紹介を同時開催(無料)していたので、見てきた。
帰りに恵比寿にある東京都写真美術館に寄ったが、年末年始の休館日になっていた。残念。
実業家の家に生まれた名取は1928年、18歳でドイツに渡った。写真やデザインを学び、グラフ週刊誌に写真を発表し報道写真家となった。33年に帰国した後は欧米の写真雑誌に写真を送り続け、日本社会の姿を伝えた。一方で、木村伊兵衛や伊奈信男らと「日本工房」を設立。海外に日本の文化を紹介する目的で作られたグラフ誌『NIPPON』(1934年創刊)では、グラフィックデザイナーの亀倉雄策、写真家の土門拳ら優れた人材を登用し、注目を集めた。戦後の岩波写真文庫(1950年創刊)など、名取の指揮により優れた写真と斬新なデザインで作られた刊行物は、時代を切り開いていったといわれる。
本展は、名取が現地グラフ誌のために撮影した36年のベルリンオリンピックや37年にアメリカグラフ誌「ライフ」の契約写真家としてのアメリカ大陸横断、朝鮮半島、写真集『ロマネスク』や岩波写真文庫に収められた中国各地の写真などを含めた作品約150点と、編集に携わった刊行物やグラフ誌、撮影日誌などの資料約100点で構成。芸術的あるいは主観的な写真作品を批判し、現実のメッセージを直接に伝える報道写真を切り開いた名取の実像を伝える。写真という一瞬を伝える情熱をかけた名取の迫力が伝わってくるような展覧会である。撮影に使用したカメラ、初出品となる日誌やスクラップブック、パスポートなども展示し見どころが満載である。
娘・名取美和が創設した、タイ北部チェンマイにあるHIV母子感染孤児のための生活施設「バーンロムサイ」の活動紹介を同時開催(無料)していたので、見てきた。
帰りに恵比寿にある東京都写真美術館に寄ったが、年末年始の休館日になっていた。残念。