ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

名取洋之助展

2013-12-29 17:28:14 | 美術館、博物館
「報道写真とデザインの父」として知られる写真家、名取洋之助(1910~1962年)の展覧会が、東京の日本橋高島屋で開催されていて、12月29日で終了するとのことで、観に行ってきた。名取は日本で最初に本格的な報道写真の概念をもたらし、新しいデザインと写真表現の発展に寄与したといわれている。
 実業家の家に生まれた名取は1928年、18歳でドイツに渡った。写真やデザインを学び、グラフ週刊誌に写真を発表し報道写真家となった。33年に帰国した後は欧米の写真雑誌に写真を送り続け、日本社会の姿を伝えた。一方で、木村伊兵衛や伊奈信男らと「日本工房」を設立。海外に日本の文化を紹介する目的で作られたグラフ誌『NIPPON』(1934年創刊)では、グラフィックデザイナーの亀倉雄策、写真家の土門拳ら優れた人材を登用し、注目を集めた。戦後の岩波写真文庫(1950年創刊)など、名取の指揮により優れた写真と斬新なデザインで作られた刊行物は、時代を切り開いていったといわれる。
 本展は、名取が現地グラフ誌のために撮影した36年のベルリンオリンピックや37年にアメリカグラフ誌「ライフ」の契約写真家としてのアメリカ大陸横断、朝鮮半島、写真集『ロマネスク』や岩波写真文庫に収められた中国各地の写真などを含めた作品約150点と、編集に携わった刊行物やグラフ誌、撮影日誌などの資料約100点で構成。芸術的あるいは主観的な写真作品を批判し、現実のメッセージを直接に伝える報道写真を切り開いた名取の実像を伝える。写真という一瞬を伝える情熱をかけた名取の迫力が伝わってくるような展覧会である。撮影に使用したカメラ、初出品となる日誌やスクラップブック、パスポートなども展示し見どころが満載である。
 娘・名取美和が創設した、タイ北部チェンマイにあるHIV母子感染孤児のための生活施設「バーンロムサイ」の活動紹介を同時開催(無料)していたので、見てきた。
帰りに恵比寿にある東京都写真美術館に寄ったが、年末年始の休館日になっていた。残念。



原発問題

2013-12-23 16:15:34 | Weblog
  職場の人たちと、福島の南相馬市まで日帰りで行った。現地では、「安全安心プロジェクト」の吉田さんが案内をしていただけた。最初、飯館村を案内していただく予定であったが、東北道で事故渋滞などがあり、思ったより時間がかかり、結果的には、飯館村はあきらめて、南相馬市だけを案内していただいた。飯館村を通って、南相馬市に行く。自然豊かだった飯館村は、今は「居住制限区域」に指定されている。したがって、住むことはできないが、家に出入りすることはできるので、車の往来はあって、車はよく見かける。さびしい村となっている。村役場も移転中となっている。また、作付制限地域でもあり、田畑は一面に雑草が生えている光景が広がっていた。飯館村から八木沢峠を越えると南相馬市に入って、吉田さんと待ち合わせる。吉田さんは、もともとは東京に住んでいたが、現在は南相馬に住んでいるとのこと。東電の職員だったこともあり、放射線の測定の仕事にも従事したことがある。今回の訪問は、今なお続く福島の深刻な現実を目の当たりにした。
 南相馬市をしばらく車で行くと、仮設住宅がたくさん作られていた。原発で問題になっている一つは、20キロ圏内、圏外とか単純に距離で測って区別していることである。そのような状況で、隣同士で保障される家と保障されない家があり、そこで分裂状態にさせられているのである。海岸に近づくと復旧作業が続けられていた。瓦礫は片づけられていたが、まだ車がひっくり返ったりしていた。原発の近くで住んでいた人は、原発事故の前に、原発の恩恵を受けていて、事故が起きたら、多額の補償をいただいて、県外に避難をしている。本当に困っている人は、原発の恩恵を受けていなかった人たちで、今回の事故で、補償も受けられなくて、仮設などに住み、苦しんでいる。結局はお金のある人たちは避難をしている。市政に対しても批判的であった。市長は人の流出を防ぐために「国が安全と言っています」というが、その根拠になる証拠やデータはない。市の職員が300人減り、そのうち200人が医療関係者であるといわれる。安全でないことがわかっている人は移動しているのである。確かに故郷に残りたい気持ちは尊重されなければならない。しかし、避難が出来る費用や条件があっても、残ることを選択するならいいが、避難をしたくても、残らざるを得ないことが問題であるといわれる。津波で流されて、更地が続く。一部、流されないで残っていた住宅があったが、近づいてみると、悲惨な状況になっていた。新築の住宅が、流されて、ブロックにぶつかり止まったようであるが、とても住める状況にはなっていなかった。海岸線は広かったが、ここで大津波が押し寄せたと思うと、自然の猛威を感じた。津波に枝を落とされ、幹を伸ばす一本の松があった。枝が落ちているということは、そこの高さまで津波が至ったということである。曲ったガードレールが積み上げてある場所もあった。仮設置場では中が見えないための柵付けが組み立てられており、黒い袋で隠されている汚染物質が中に置いてある。平地になっているところは表土の5㎝ぐらい削って、汚染土を取り除くのである。その後、小高くなっている場所に車を走らせて、行くと、線量計の数値がみるみる高くなっていく。放射線はガラスを通すので、車の中でも外と変わらなくて、乗っていても測定ができるのである。新しく舗装された道路のところは、まだ数値は低かったけど、古いアスファルトになる場所で高くなり、山の斜面があるところはまた高くなっていた。また場所によって、数値が高くなったり、低くなったりする理由を尋ねると、事故後に雨が降った場所で集中的に汚染されたことも考えられ、どちらかというと南相馬市は風で流れて、数値は低くなり、飯館村や中通りなどには、山を越えて、放射線が流され、雨が降り、落とされて線量が高くなったようでもある。山側の表土をすべて削ることはできない。たとえできたとしても、裸の山になり崩れやすくなるし、川や海にも影響を及ぼして、自然の破壊につながっていく。2011年3月11日の夕方には、福島第一原発で勤務していた方から、すでに地震によって配管が破損したり外れたりして、水がどんどん流れ危険だということが吉田さんに連絡が入ったとのこと。東電幹部はその時点で避難をしていたのである。モニタリングポストは、600万円から800万円ぐらいかかっているといわれる。ポストの数値は、0.22mSvを示していたが、近くの土壌で線量計をあてると、0.74mSvであった。モニタリングポストの周りは除染されていて、コンクリートで底上げをされていて、遮蔽されているので、数値としては低く出てしまうのである。高いお金をかけて、モニタリングポストを作る意味があるのかなとも思ってしまう。モニタリングポストがあるところは除染しているので、ポストのある公園で子どもたちは遊ぶともいう。しかし、除染を一部の場所にしても、あまり意味がなく、それよりは、避難させた方がいいとも思われる。除染にも従事していた吉田さんは、除染は成功しないといわれる。飯館村の除染費用が3224億円町民一人あたり、5千万円を超える。このお金で皆引っ越しが出来るのである。原発事故の放射線の影響はガンのリスクも高い。後々にも影響する。少なくても避難するかしないかの選択ができることが重要である事を強調される。南相馬市内の山間の道を、車で南下すると吉沢牧場があり、看板の前に出た。その先は、立ち入り禁止になっていた。牧場の吉沢さんは、原発から20キロ圏内の家畜を殺処分するという国の方針に逆らい、今も300頭を超える牛の世話をしている。看板にはゲバ文字で「決死救命、団結」と書かれた、ブルドーザーが置いてあった。そして「殺処分反対」の文字があった。牛の頭や足などの骨もぶら下げていた。帰りも東北自動車道の二本松インターに行くために、飯館村を通ったが、公民館などで除染作業をしていた。しかし、そこだけ除染しても地域や山自体が汚染されているので、なかなか解決につながらない。除染は到底終わらない。放射能と闘っても勝てないという言葉が印象的である。いずれにしても、これだけ甚大な被害をこうむる原発施設。もし戦争になって、原爆を落とされなくても、真っ先に原発がある場所に攻撃をかけられれば、致命的になると思った。

隣る人

2013-12-04 10:57:46 | 映画
「隣る人」という映画を観た。監督は刀川和也さん。小舎制の児童養護施設「光の子どもの家」は、5人の子どもと担当の保育士が一緒に暮らす複数の「家」がある。そこで暮らす子どもと職員の姿を8年間にわたり撮り続けたドキュメンタリー映画である。全編を通してナレーションも音楽もない。間に挿入された職員ミーティングでの話や、職員へのインタビューで子どもの背景や置かれた状況を伝えている。時系列に沿った編集ではなく時間も行きつ戻りつして描かれている。この映画には、何人もの子どもと職員の方達が登場しているが、登場人物では、「むっちゃん」と「まりなちゃん」と保育士の「まりこさん」が中心に撮られている。
監督は「何気ない日常」の中にこそ、こどもたちにとって極上の宝物といえるものが詰まっているという。自分のことをちゃんとみていてくれる存在が重要である。まりこさんはどんなあなたも好きと抱きしめる。子どもが担当保育士の布団にもぐりこんで、世界で一番いい匂いがするという場面もある。このようにかけがえのない存在がいることで、子どもたちは生きていく糧になる。一方、実親が施設で生活する子どもと再び一緒に暮らそうとするが、思うようにはいかない現実も撮っている。担当保育士がママと呼ばれるシーンがあり、まさに母親代わりをしているのであるが、複雑である。「隣る人」というのは、子どもの存在を丸ごと受け止める人という、施設の理念だそうである。そういう視点は重要であるし、今日求められていると思う。しかし、これは職員の献身的な努力や犠牲で成り立っていることも事実であり、一方で疲れ切って、バーンアウトする職員もいる現実もある。続けたくても疲れ切ってしまう人もいる。その辺は弱いと思う。そして、危惧するのは、日常にカメラが入ったら、非日常になる気がする。やはりカメラを意識せざるを得ない状況になるのではないかと思ってしまう。また、子どもや親の顔をそのまま出して、現状を撮ることは、その子たちの今後の親子関係や人生にとって、大丈夫なのかと不安も感じた。それだけ児童養護施設にカメラが入ることは難しいことである。このように気になるところはあったが、社会的養護や児童養護施設の現状には触れているし、家族や親子とは何か、人と人の関係はどうあったらよいかなどを探っているのも確かでしょう。