またまた末広亭である。一日たっぷり落語を楽しんだ。小三治目当てであるが、昼の主任の扇遊も「妾馬」を熱演して、よかった。別名「八五郎出世」とも言われている。他の師匠方の話も面白くて、味のあるのが多かった。
夜の主任の小三治は出てくるのが少し遅れて、それは、出るときに手ぬぐいを持っていないことに気づき、取りに行ったからと説明。結局のところ、扇橋の演目がはっきりしないことに端を発しているのだと話す。ネタ帖を見ながら、演目を決めるのだが、扇橋がなんのネタを上げたのか、楽屋でいくら聞いても要領を得ない。おかげで予定が狂った。「ねー、なんですか『梅干しの歌』って?」。こんなさりげない話をしていても小三治が話すと笑いが巻き起こる。俳句会の話もして、小三治は「大安の日と決めりけり、梅雨あける」と自分の句を紹介し、40年句会に出ているが、なかなか句はうまくならなく、俳句の評価は難しいとも言う。「古池や蛙飛込む水の音」そんなにいい句ですかねえ、芭蕉だからほめるのでしょうと強調する。三年くらい前から、人にわからなくてもいいから自分がいいと思う句を詠もうと決めた。扇橋の「山奥の大安開くホウの花」という俳句も披露して、評価をしていた。なかなか演題が決め兼ねない話をする。扇橋は先代の三木助師匠にきびしく育てられたが、変な弟子になってしまい、えてしてそんなものだといいながら、同じ桂三木助の弟子だった喜久蔵。キビシイ圓正師匠にだって、マラゲーニャなんてする弟子がいるんだからと話す。笑いが起きる。マクラが長くなったので、今日はなにを話すかなと思っていたら、演目は「宗論」。キビシイ親に、コノ子ありを引っ掛けたのかな。流石。親子で仏教とキリスト教の教義を巡って口論が始まる。旦那が浄土真宗の門徒であり、息子がキリスト教信者になって不満であり、番頭相手に愚痴っているところから始まるのである。
夜の主任の小三治は出てくるのが少し遅れて、それは、出るときに手ぬぐいを持っていないことに気づき、取りに行ったからと説明。結局のところ、扇橋の演目がはっきりしないことに端を発しているのだと話す。ネタ帖を見ながら、演目を決めるのだが、扇橋がなんのネタを上げたのか、楽屋でいくら聞いても要領を得ない。おかげで予定が狂った。「ねー、なんですか『梅干しの歌』って?」。こんなさりげない話をしていても小三治が話すと笑いが巻き起こる。俳句会の話もして、小三治は「大安の日と決めりけり、梅雨あける」と自分の句を紹介し、40年句会に出ているが、なかなか句はうまくならなく、俳句の評価は難しいとも言う。「古池や蛙飛込む水の音」そんなにいい句ですかねえ、芭蕉だからほめるのでしょうと強調する。三年くらい前から、人にわからなくてもいいから自分がいいと思う句を詠もうと決めた。扇橋の「山奥の大安開くホウの花」という俳句も披露して、評価をしていた。なかなか演題が決め兼ねない話をする。扇橋は先代の三木助師匠にきびしく育てられたが、変な弟子になってしまい、えてしてそんなものだといいながら、同じ桂三木助の弟子だった喜久蔵。キビシイ圓正師匠にだって、マラゲーニャなんてする弟子がいるんだからと話す。笑いが起きる。マクラが長くなったので、今日はなにを話すかなと思っていたら、演目は「宗論」。キビシイ親に、コノ子ありを引っ掛けたのかな。流石。親子で仏教とキリスト教の教義を巡って口論が始まる。旦那が浄土真宗の門徒であり、息子がキリスト教信者になって不満であり、番頭相手に愚痴っているところから始まるのである。