ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

クルージング

2008-05-25 20:04:27 | Weblog
職場の子どもたちにクルージングの招待があった。夢の島マリーナ内の東京ヨットクラブ主催で行ってくれた。今年で16回目である。長い間続けていただいて、子ども達も素敵な体験ができて、楽しみにしている。久しぶりに私も付き添いで参加した。
まず、子ども達はライフジャケットを借りて船内に乗り込んだ。雨もぱらついていたので、合羽も貸していただいて出発。夢の島マリーナを出発してお台場までの往復のクルージングである。船がスピードが出るとみんな興奮をして、落ちないかと大人がひやひやする。風を切って、波を乗り越えていく船上の旅にみんな大はしゃぎである。船からは、レインボーブリッジやお台場、ディズニーランドも眺めることができて、これまた子ども達も嬉しい。東京湾の潮風に吹かれて、海の魅力をいっぱい味わうことができた。 クルージング終了後は、マリーナ内で、つきたての餅や美味しいカレーライスなどを食べたりゲームなどをして、子ども達は思いっきり楽しい一時を過ごした。ありがたい。

パリ、恋人たちの2日間

2008-05-24 19:37:12 | 映画
映画「パリ、恋人たちの2日間」が本日初日で、新宿で見た。
フォトグラファーのマリオンとインテリアデザイナーのジャックは付き合って2年。ベネチア旅行の帰りにパリの彼女の実家に立ち寄った。両親に会ったジャックは、そのあまりの自由奔放ぶりにびっくりしたり、食文化の違いがあったり、カルチャーショックを受ける。街に出れば、次々とマリオンの元カレに遭遇する。親しげに話す彼女の姿に戸惑いを隠せない。嫉妬心に苛まれた彼のイライラは募るばかりである。
ジュリー・デルピーが監督、脚本、製作、主演、音楽、編集を手がけた本作は、パリを訪れた倦怠(けんたい)期のフランス人とアメリカ人のカップルがさまざまな危機に遭遇するラブコメディー。この2人の間に横たわる大きなカルチャーギャップを、日常のささいな事柄をユーモラスに、チャーミングに、そしてちょっぴりシニカルに描いているのである。恋人役のジャックは実際に元カレであったといわれている。マリオンの両親役には、ジュリーの実の両親であるベテラン俳優、アルベール・デルピーとマリー・ピレが演じている。こうして身内を使いながら低予算で本作をつくりあげているが、演技も自然でうまく演じているように見えた。
しかし、ただ単純なラブストーリーではなく、米仏の文化や性的な違いなどを描きながらも、社会や政治の問題もちりばめている。例えば、ジャックがテロを警戒してバスに乗ることを嫌がったり、カビを見て「バイオハザードだ」と叫ぶ場面があったりする。9・11以降自信を喪失し、神経質になった米国人の姿も皮肉っている。
とにかく、二人のカルチャーギャップを通して、ウィットに富んだ演出や脚本はうまくできていると思った。

霧の檜洞丸

2008-05-19 10:14:14 | 山歩き
調布で不発爆弾撤去18日の日曜、丹沢の山でも登ろうと思い、檜洞丸に登った。小田急線に乗り、新松田からバスで、西丹沢自然教室まで乗る。昨年までは平日に山に登ることが多かったが、今年は日曜が公休になったので、休日に登ることが多くなりそうだ。休日だと混むけど、バスの便とか多いのが助かる。登りは西丹沢自然教室からつつじ新道を歩く。登りはグループや団体がたくさん歩いていた。西丹沢自然教室でゆっくりして出発したので、単独の私はついつい早足となり、いくつかのグループを追い越していった。さすがに頂上近くになると疲れが出てきて、ゆっくりとなった。人が多いと歩きにくいし、静かな雰囲気を味わいにくいが、いろいろと説明している話が耳に入ってきたりして、知識は豊富になるかなと思った。つつじ新道分岐からはバイケイソウ保護のために設置された木道では、バイケイソウやマルバダケブキ、トリカブト等、鹿が食べない毒草等だけが残っていってしまうような話が聞こえてきた。下山は、石棚コースを歩く。結構急な坂である。岩もゴロゴロ、木の根っこが大きなのがあったりした。大きなブナの木もあって、森林浴を満喫できたが、ところどころ立ち枯れたところもあった。
シロヤシオはまだ早いかなと思ったが、登りで、上の方でちらほら咲いていた。石棚コースの方もシロヤシオは咲いていた。下りで、シロヤシオの花びらが落ちていて、上を見上げると咲いているというような感じだった。頂上近くでは豆桜(富士桜)も綺麗に咲いていた。
檜洞丸は、山自体が相模湾からせりあがる位置にあるらしく、湿り気を含んだ風が舞い上がってきやすいようで、頂上付近は霧に包まれることが多い。この日もブナなどの森の中、霧が立ち込めていて、山歩きの雰囲気がいい感じであった。


東山魁夷展

2008-05-15 10:49:24 | Weblog
 久しぶりに山歩きでもしようと思ったら、雨模様の天気。そこで、生誕100年を迎える東山魁夷の記念展が東京国立近代美術館で開催されていたので、観に行った。
5月18日までとあとわずかなので、平日なのに、たくさんの人で賑わっていた。代表作の一つである《道》、東山自身が画業の転機とみとめる《残照》や人気の高い《花明り》などの重要な作品等含めて、本制作約100点、スケッチ・習作約50点を数える絵が展示され、これまでの東山の回顧展で最大規模であるといわれる。私は、音声ガイドを借りて、聞きながら見て回った。東山魁夷本人の声による作品の解説を聴きながら鑑賞することができた。「生かされている」を信条とした東山魁夷は自然との調和をはかり、描写が見事である。
《道》は、緑の草原に、一本の道が奥に向かって延び、消えていく。構図的にはきわめて明瞭、簡潔である。《道》について、東山は、「過去への郷愁に牽かれながらも、未来へと歩みだそうとした心の状態」と回想している。いわゆる心象風景である。この作品は戦前のスケッチに、最初のイメージを得たという。戦前の不遇などの遍歴を経て、新しく始まる道に希望への憧憬と強い意志を見出そうとしていたのである。先は見えない道ではあるが、何処までも続く道は、先の遍歴の旅を暗示しているともいえる。
《残照》は寂寥とした夕暮れの中で山肌が見せる微妙な変化を描いている。1947年(昭和22)年に、最後の肉親である母と弟を失い、初の日展にも落選した39歳の東山は失意の中で房総の鹿野山に登った。そこで、はじめて自然とひとつになった実感を抱く。自らも大自然の一部として、あるがままの世界を受け入れることができたという。山々の姿の下から上に行くにしたがって、次第に明るさを増していく色調が無限の広がりを感じさせる。この色彩の変化が東山の憂いとかげりを含んだ内面と明るさの残る夕映えが微かな救いを見通しているといわれる。自然を描きながら内面描写を描いているといわれるゆえんである。
また、11年あまりにも及ぶ、奈良・唐招提寺の御影堂障壁画の制作は、東山の画業における一大プロジェクトであって、この展覧会では、《濤声》の一部と《揚州薫風》を、ギャラリー4を御影堂内部に見立てて展示してあり、圧巻である。
素晴らしい作品ばかりが並び、人も多い中で、音声ガイドを聞きながら鑑賞したので、思ったより時間がかかったが、見応えがあって、充実感に浸った時間であった。山の絵も多く、何か共感するところも多かった。
帰りは、新宿に寄り、末廣亭で落語を楽しんだ。午後の部は、日ごろの疲れと午前中の鑑賞の疲れもあってか、うとうとしてしまったこともあるが、夜の部では最後まで聴くことができた。ここでは、入れ替わり立ち代りの演芸を本当によく笑わせてもらった。そして最後のとりは一朝で、名前の通り「いっちょう懸命」演じていて、満足して寄席を出た。



鵜飼実演

2008-05-05 21:49:00 | 観光
「鵜呑みにする」という言葉は、鵜が口にした魚は噛まずに丸呑みにするため、人の言葉の意味を理解しないまま、相手の言葉を信じ込んでしまうという意味で使われている。
家族で愛知の実家に行ったときに、名古屋の街を歩き、矢場町で、特産物フェアーをしており、そこで鵜飼の実演をしていた。とても興味深いものであった。
鵜飼は、魚をのみ込む鵜の習性を利用した漁法である。本来の鵜飼は、鵜匠が10から12羽の鵜を手縄さばきで操り、鵜が次々に魚を捕っていく日本の伝統漁法の一つである。かがり火の明かりや櫂を船べりに打ち付ける音にびっくりして、逃げる鮎を、捕えていくそうである。
鵜匠は、木綿でできた紺色の漁服(りょうふく)に胸あて、ザッと開いたスカート状の腰蓑(こしみの)を身につけ、風折烏帽子(かざおりえぼし)を被り、足中(あしなか)を履いた姿を説明した。
風折烏帽子は篝火から頭髪を守り、胸あては火の粉や松ヤニをよけ、腰蓑はワラででき、寒さと水を防ぐ。足中は普通のワラジの半分の長さしかないが、船底が魚の脂で滑りやすいので、滑りにくくしている。
実演では、鵜匠が籠から一羽の鵜を取り出す。首ひもで途中まで縛ってあった。この手ごろな縛り方が難しいようである。アユを次から次へと飲ませて首紐で縛られているところまでたまり、その後、一挙に吐かせた。手早い作業である。鵜は鮎の向きを変えながら、頭から飲み込んでいる。鵜は渡り鳥で、野生であり、神経質なため、一旦人間の手が加わると、繁殖能力もなくなる。オスかメスかの区別もつかないとも言われた。
鵜匠の仕事は、鵜飼をするための準備などで、腰みのも手作りで、365本の藁で作ったり、鵜飼の時期よりシーズンオフの方が返って忙しいともいわれる。実演していただいた人も16年の経験であるが、鵜飼は奥が深くて、一生突き止められない技であることを強調された。伝統技も、日々精進の中で行われていると思った。