ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

アンナプルナ南壁 7、400mの男たち

2015-03-29 10:15:57 | 映画
下高井戸シネマで、「滝をみにいく」と「アンナプルナ南壁 7、400mの男たち」を見た。ともに山に関する映画で、興味深かった。特に、「アンナプルナ南壁 7、400mの男たち」は、世界的にも登頂が困難を極めるとして有名なヒマラヤ山脈のアンナプルナ南壁における救出活動を描いた山岳ドキュメンタリー。当時の貴重な映像を交えながら世紀の救出劇を振り返る。
世界第10位、ヒマラヤでも屈指の標高8091メートルを誇るアンナプルナ。サンスクリット語で「豊穣(ほうじょう)の女神」という賛辞を贈られながら、登山者の4割近くが亡くなるというキラー・マウンテンの異名を持つ。その過酷さのために「登山人生のゴール」と語るアルピニストもいるという。2008年5月、危険度が突出して高いこの山の南壁に挑んだスペイン人登山家のイナキ・オチョア・デ・オルツァは途中高山病に見舞われ、同行者がSOSを発信。その報を受けた世界10か国12人の登山家は、危険を顧みずイナキの救出に向けて出発した。
 事故から数年後、スペインの監督、パブロ・イラブとミゲルチョ・モリナは、救出活動に参加した12人を訪ね歩いた。鍛錬された肉体と強靱(きょうじん)な精神力、高いスキルを持つアルピニストたちの素顔は、医者や学者、軍人、写真家など様々だ。自らの登山計画を断念してまで参加したウーリー・ステック、カザフスタンの登山家デニス・ウルブコら世界的登山家が語る、命懸けで山と向き合う信念や死生観が胸を打つ。
 世界的に有名な登山家たちが一報を聞き、何を思いどう行動を起こしたのか。ドキュメンタリーではあるものの、救出劇の映像だけでなく、その時の彼らの心情をカメラは丹念に追いかける。死もいとわぬ勇気ある彼らの行為に対して、登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール賞が贈られた。しかし、この作品の撮影後、1人が登頂の途中で命を落とした。常に隣り合わせの死を意識しながら、危険な山に挑む男たち。山と真摯(しんし)に向き合い、含蓄ある言葉の数々が印象深い。言葉に重みがある。
「登山という言葉の延長線上にあるものーそれは限界との闘いだ。高い山に登ると焼けるような筋肉の痛みや寒さや空腹、疲労などに苦しめられる。問題は、その辛さとどう向き合い、どうやり過ごし、受け入れ、不快を快適に変えるかだ。山は力技で登るのではなく、心で登るんだ」
「山に登るのは、死ぬためじゃない。今こうして生きていることをかみしめるためだ。」
「現場に駆けつけ全力を尽くさなくては。必ず助けられると信じて動く。何もせず投げ出すのは間違いだ。信じて最後の瞬間まで最善を尽くすんだ。」



陣馬山

2015-03-21 16:15:39 | 山歩き
子どもたちと陣馬山に登る。藤野駅から一ノ尾尾根を登り、下りは、一ノ尾尾根から和田のバス停の方に下りた。藤野駅で、トイレに入っている間に、バスが発車したので、藤野駅から歩くことにした。陣馬山登山口の標石から右側に入り、すぐに分岐があり、右へ行くと栃谷尾根、奈良子尾根へ、左へ行くと一ノ尾根。今回は一ノ尾尾根を登ることにする。登山口から山頂までは約5km。登っていくと、和田からの道が合流する和田第1合流点があり、さらに少し登ると和田第2合流点で、ベンチがある。最後に急坂を登り、丸太の階段を登って、山頂に着く。薄着の子はどんどん前へ進んでいく。歩き始めた時は、暑くて服を一枚ずつ脱いで行ったが、高度が上がってくると、寒くなる。途中、杉の木がたくさんあり、花粉症の症状もひどくなり、くしゃみの連発である。山頂まで歩いていると段々雲が多くなり、富士山は見えない。北側方向の生藤山や奥多摩の山は見える。昼は清水茶屋で、食べる。寒かったので、暖かいうどんやそばが美味しい。下りは、和田第二合流地点から、和田バス停の方に下っていく。子どもたちは元気が良くてどんどん進んでいく。今回はストックをもっていなくて、下りでは膝が痛くなる。やはりストックは必要だったと思う。それでも下りは和田のバス停までなので、距離的には短いのでよかった。和田バス停に着くと、たくさんの人がいた。陣馬から下りてくる人は少なかったので、生藤山の方から下りてくる人も多いと思われた。車道を出て、和田の集落を歩き、県立陣馬自然公園センターがあり、ここが和田のバス停になっている。バスに乗り、藤野駅まで乗る。帰りは高尾駅まで戻り、フロッピーで汗を流す。