ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

ミッドナイトイーグル

2007-11-29 14:53:32 | Weblog
北アルプスが舞台であるということで、ミッドナイトイーグルを見に行ったが、期待したほどではなかった。とにかく物語事態がリアリティに欠けるし、総理官邸や北の工作員、アメリカのステルス機が出てきたり、仰々しいが、内容的には短略的な印象で薄い感じがした。アクションシーンも銃撃戦で民間人とプロの多数の工作員が張り合うのにリアリティが欠けているのか、迫力がいまいちであった。山好きの主人公は亡き妻をめぐって、義妹との確執などもあったり、山に登る理由が戦場カメラマンの経験からの逃げの場として出発しているが、何かと描き方が中途半端な感じ。せっかく北アルプスという景色の素晴らしい山を舞台にしているのだから、山の魅力とか山の特徴を生かした工夫が伝わってくるような内容にもしてほしかったと思うのは私だけかな。

高尾山から城山

2007-11-26 21:04:37 | Weblog
仕事で子ども達が代休で、高尾山から城山まで歩いた。
紅葉がちょうど見ごろを迎えているためか、
平日なのに、人がたくさんである。
高尾山口の駅に下りて、びっくり。
今回は高尾山までのつもりが、子ども達が
城山まで行くと元気がよかったし、紅葉や展望もよく
気持ちが良かったので、城山、弁天島と歩いてきた。
小学校1年生の子も元気がよく、どんどん先を歩いていって、
こちらが後から追っかけるようであった。

西岳から編笠山

2007-11-22 18:59:13 | Weblog
八ヶ岳の西岳から編笠山に登った。富士見高原ゴルフ場の駐車場に車を置いた。今日の予報では、寒気は流れるが、快晴になっていたので、展望を期待して、登ったのだが、例のように朝早く登って、西岳では、雲の中であった。編笠山から下に下りてきたら、雲が引いて、晴れてきた。車山でもそうだったけど、雲が引くタイミングが悪い。頂上ではガスの中で、下りてくると、頂上の雲が引いているのである。よほど日ごろの行いが悪いのかな。西岳では展望より、霧氷を見に行ったようなものである。まったく展望なしであった。西岳までは南斜面のためだと思うが、雪はあまりなかったが、西岳から編笠山までは、雪の上を歩いた。降ったばかりの雪なので、あまり滑らなくて、歩きやすかった。それより、青年小屋から編笠に登るところと編笠から下りる岩場が雪が降り積もりだしていて、しかも風がとても強く、冷たくて、滑ってしまうのではないかとか、凍えてしまうのではないかとひやひやものであった。しかし、雲がかかったり、ひいたりして、景色は雲の動きと一緒に堪能できた。何とか樹林に入ると、上のほうでは雪はあったが、だんだん雪もなくなる。風も治まり、歩きやすくはなったが、今度は展望はほとんどなくなった。すっかり体が冷え込んでしまい、帰りは鹿の湯に入って、あったまって帰った。

ボーンアルティメイタム

2007-11-19 21:35:02 | Weblog
記憶を失った元CIAの暗殺者ジェイソン・ボーンをマットデイモンが演じている。
アルティメイタムとは、最後通告だという。ジェイソン・ボーンが自分を陥れた陰謀を暴き、自分を取り戻すために、組織にアルティメイタムをたたきつけるということであるそうだ。
『ボーン・アイデンティティー』『ボーン・スプレマシー』に続く、ジェイソン・ボーンシリーズの第3作めであり完結篇といわれている。私は今回で、このシリーズははじめてである。なかなかアクションやスリルなシーンが盛りだくさんで、見ごたえはあった。手に汗を握る場面も多かった。宿直明けで、眠くなるかなと思ったが、これだけスリリングな展開だと一気に見ることが出来た。
グッドシェパードと比べて、この作品のマットデイモンはかっこよく見えた。それにしても、あれだけのカーチェイスで、事故にあったり、車が爆発したりしても、ボーンが生きているのも不思議であり、やはり、ボーンは超人なのである。それでもボーンが人殺しに走らないで、人間味のある展開にはほっとするし、見ていて安心も出来た。

丸岳から金時山

2007-11-15 11:48:31 | Weblog
箱根外輪山の尾根歩きで、仙石から長尾峠、丸山、乙女峠を越えて、金時山に登った。下りは矢倉沢峠経由で仙石に下りた。天気はよく、富士山がでかかった。
仙石でバスを降りて、早川沿いの道に入り、このあたりから丸山から金時山の稜線がはっきり見えて、この道を歩くのだと思った。そうこうしているうちに湖尻自然探勝歩道に出て途中、中央火口丘の神山や冠ヶ岳、台ヶ岳、芦ノ湖が見渡せるところを通り過ぎて、でかいゴルフ場の脇を通っているサイクリングコースに合流して、長尾峠の入口に入る。ここから長尾峠までは、急なところもあったりして、やっと長尾峠に着いたと思ったら、舗装道にでる。車だと楽に来れるところである。そこから脇の登山道を歩き、富士山が見えてきて、丸岳まで登った。尾根道は、時折、左にくっきりした富士山が顔をのぞかせ、右側は芦ノ湖や箱根の神山や火口丘などを眺めながら、また、紅葉も終わりかけていたが、時々赤や黄色に染まった樹木もあった。
金時山は12回目である。金時娘さんが忙しそうにしていた。今日は天気がよく、混んだのか、食事のメニューがほとんどなくなってしまって、かろうじて、ビールを飲んで待ち、そばを食べることが出来た。金時娘さんは大腸がんの手術をした話をされていて、今年は富士山に登れなかったといわれる。それでも元気な姿を見れて良かった。和歌もいくつか作っていられて、少し見せていただいた。1時間以上も長居をして、「またきます」と声をかけて、矢倉沢峠経由で下って、仙石についた。自然道や尾根を長い距離、歩いて登ったので、下りはあっという間についた感じである。


霧が峰

2007-11-14 21:15:15 | Weblog
父の不幸もあって、何かと気持ちが落ち着かなかったが、一段落したので、山にでも登ることにした。出来れば、車を使わないでゆっくり公共機関を使って、いくことにし、しかもあまり考えずに手軽に登れるところはないかと思って、思いついたのが、霧が峰であった。朝、八王子から普通電車でゆっくり乗り、途中、甲斐駒や鳳凰など南アルプスがくっきり見えて、こちらに登ったほうが良かったのかなとも思いながら、八ヶ岳方面は雲がかかっている。だんだん、電車が長野方面に向かうと雲が多くなり、期待が薄れていく。上諏訪でおりて、バスで霧が峰まで行く。やはり雨が降った後でぬれてはいるが、雨はやんでいる。雲は多かったが、車山まで向かう。登りながら、父のことも頭に浮かんだりしながら、しばらくして頂上につく。頂上は晴れていれば、360度の展望である。しかし、ちょうどアルプスや八ヶ岳の山の稜線のところに雲がかかっていて、残念である。富士山がかろうじて見ることが出来た。しばらく待っていれば、雲も取れてくる気配もあったが、昼を過ぎていたので、あまり期待できないと思っており始めて、車山高原に着いたときには、良い天気になっていた。バスに乗ると、今まで八ヶ岳の稜線も見えなかったが、よく見えて、もう少し辛抱して上で眺めを楽しんでおけばよかった。花もないこの時期の平日、頂上はずっと私一人であった。展望も見逃してしまい、歩いたのも少なかったので、何か物足りなさがあった。気持ちが落ち着かないと思って、楽をしようとしたのが逆に物足りなさにつながったのかなと思った。それでも山の空気に触れ、山の景色を見ることが出来たのは、良い気分転換になった。帰りは、ビールを飲みながら、あずさに乗る。富士山がすっきり、くっきり良く見えた。


訃報

2007-11-10 17:18:38 | Weblog
父が6日に亡くなった。3日と4日で、入院の見舞いをして、一旦東京に戻り、宿直の勤務をする。しかし、妹からも脈が下がってきて、血圧も低い。あまり持ちそうにないので、病院につめているという。私も6日の朝、早めに勤務を上がり、車で向かおうとすると、こういうときに限って、車のエンジンの警告灯がついている。念のため、遠出するので見てもらおうと思い、まず車のショップに行ったが、コンピュータの関係なので、デューラーに持っていくように言われ、とりあえず持っていく。修理の人が休憩中で、まごまごする。結果、当面は大丈夫ということで、車を使って愛知の病院に向かった。病院に着いたときには母も妹もずっと看病しており、一定悪いながら脈などは落ち着いていた。何か父が私の来るのを待っていたかのようである。いったん脈もなくなった時間もあったというが、心臓も強いから持っているのかなという。長期戦になるかもしれないと思ったので、食事をしに行ってもらった。しかし、最後のあがきだったのか、だんだん脈が上がったり下がったりが極端になってきている。それから母達が戻ってきてからも、しばらく見守り続けていると、明らかに呼吸の力が弱まってきた。だんだん、顔色も変わってきて、9時頃に看護師さんも厳しいねといわれて、脈が止まってきた。同時に呼吸もなくなってきた。医師を呼びに行って、確認をした時間が9時11分であった。最後はあっけなくて、放心状態。それでも、ゆっくりしていられない。妹のだんなも駆けつけて、葬儀屋に連絡をいれてもらったり、関係するところに連絡を入れる。その後、担当医師もかけつけて、病気の説明をしていただいた。入院したときに喘息のような症状が出たが、肺が弱っていたのではないかと思われる。肺に水がたまったりする症状から最終的には心不全になって、亡くなる。転んで脳内出血が7年前で、それからまだ良く持ったとも言われる。それが寿命を縮めたことも大きい。入院前は、大好きな酒もやめていたので、飲める元気もなくなっていた。遺体を実家に搬送した後に、葬儀社の方がみえて、翌日の通夜、翌々日の葬儀の打ち合わせを行う。浄土真宗の葬儀で、お寺さんにも連絡を入れる。それぞれ、宗派や地方によって、葬儀の仕方も違う。浄土真宗は、塩で身を清めるという風習はなく、人は死後、極楽浄土に行って、仏様になるのだから、塩で身を清めるのは縁起が悪いこととされている。とにかく葬儀社に通夜と葬儀の段取りを任せる。私はずっと家を離れて生活していたが、長男ということで喪主となった。その夜は父と一緒に皆で寝る。次の日も、葬儀社や花屋や写真がきたり、遺体に化粧しに来たり、焼香にきていただけるお客も多く、何かと忙しく時間が過ぎていく。4時半に遺体が葬儀場所に運ばれた。通夜の後、父と同じ部屋で寝た。次の日に葬儀、初七日を済ませ、葬儀の翌朝に、母と近所にあいさつ回りをした。葬儀などこういうことを通して、親戚やお隣さんと引き合わされて、お礼とこれからよろしくお願いしますという挨拶をすることになる。この間、あれよあれよという間に進んでいったが、振り返ってみると、非常に長く時間がたったように感じる。それでも無事に終了できて、母もホットはしているが、一人になり、寂しくはなるだろう。当面はいろいろな手続きや挨拶で追われそうで、まぎれるかもしれない。それにしても、人の死は突然やってくるので、気持ちが落胆し、落ち着かない。しかし、葬儀などバタバタはするがいろいろすることもあって、時間がたって、気がまぎれることもあるのかなとも思う。そして、多くの人に心配をしていただいたり、気を使っていただいたり、本当にありがたい。感謝をしている。

父の入院

2007-11-05 03:44:38 | Weblog
2日の夜、宿直の勤務をしているときに、妹から電話があり、父が入院をしていて、医師の説明を聞いている間に、呼吸が停止したので、人工呼吸をして、酸素マスクをしていると連絡があった。翌早朝、急遽、体制を取っていただいて、父の入院をしている愛知の病院先に駆けつけた。父は集中治療室にいた。一定落ち着いてきたら、酸素マスクをつけたまま、個室に移った。
数年前から転んで頭を怪我したり、入院や通院を繰り返し、癲癇や喘息も出て、体力は低下し、肺などの内臓の機能も落ちてきていて、回復はかなり厳しい状況。肺に水がたまっていたりで、呼吸が困難になったようである。医師の説明も、マスクに頼りすぎると、だんだん機械に依存して、呼吸の機能自体がますます低下していくということで、途中、酸素の量を減らしてみたが、やはり、状況は厳しそうで、また酸素の量を高めている。二酸化炭素がうまくはき出せなくて、たまりがちである。痰が詰まらないように、たびたび看護婦さんが鼻から痰を吸引してくれていた。マスクをしていて、呼吸の数も1分間に普通は10いくつかが、30以上の数の呼吸をしている。自分の呼吸と酸素マスクから出てくる酸素が出てくる呼吸が合わなくて、父もきつそうでもある。いずれにしても、酸素マスクをしている間の現時点では、一定落ち着いている。
父に「わかるか」と声をかけると、うなづいてくれた。救いであった。こうなると、今までのことが走馬灯のようにいろいろと浮かんでくる。結局は、夏冬に帰省して、孫の顔を見せるぐらいで、親孝行もなかなか出来なかったなと思った。父は、酒が大好きで、飲みすぎで体調を悪くし、母親からはいつも控えるように言われていたが、デイサービスの記録を見ていると、その酒もやめたと言っていた矢先である。
いずれにしても、こういう状況になると、私自身も不安や迷いがあって、頭の中で仕事のことやいろいろなことを考えてしまい、ある意味、整理がつかないような状況にもなっていた。

末広亭

2007-11-02 13:40:52 | 落語
山に登るのに、きちんとしたコンパスが必要だと、先日の巻機山で思い、昨日登山店でコンパスを買った。その後、麺屋武蔵でラーメンを食べる。11時半開店で、その時間に行ったら、すでに人がたくさん並んでいた。私はぎりぎり座ることが出来たが、続々と人が並んできた。人気店である。店員達の威勢のいい声で、店内に活気はあった。
その後、末広亭で落語を聞いた。落語だけではなく、漫才あり、講談あり、三味線ありで、いろいろな芸が披露されて、楽しめる。結局、夜の部までいて、最後まで聞いていた。
今回、漫談三味線の玉川スミの話は考えさせられた。体調があまりよくなくても話し出すと力が入ってくる。今テレビなどで、グループの赤坂が覚せい剤のことで騒がれているが、命を粗末にしてはいけない、修羅場を潜り抜けてきた玉川が、命を大切にすることをと一生懸命力説。言葉に重みがあった。3歳で一座に身売りされ、14人も親が変わるという波乱の人生送っている。大正9年生まれで芸歴はなんと80年を越えている。命を大切にして、「長生きして世の中の移り変わりをしっかり見届けようじゃありませんか」と言葉に力が入っていた。
ギタレレ漫談のぴろきも面白かった。自虐ネタを話して、「明るく陽気に行きましょう」で笑を取っていた。講談も歯切れが良いしゃべりで、内容がもっとわかっていたら面白いだろうなと思った。
もちろん落語もたくさんあって、どれも内容にうならせるものがあり、そのとりで桂伸治の名人芸である。これが職人技かと思ったぐらいである。長い時間座っていたので、最後で疲れてきたのだが、桂伸治の話に吸い込まれ、話し方に技を感じてしまった。一日たっぷり楽しめた。