ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

柳家小三治師匠亡くなる

2021-10-11 21:35:29 | 落語
落語家の柳家小三治師匠が、7日午後8時に亡くなった。
小三治師匠のファンで、寄席や独演会にも通ったりしていたが、
亡くなって、非常に寂しい。最後の高座を聞いたのが、今年の
6月9日、調布で開かれた独演会で、「長短」と「粗忽長屋」だった。
マクラがいつものようにはいかなく、まとまりがなく、さすがに衰えを
感じたが、それでも小三治師匠が話すと、何となくおかしくて笑ってしまう。
以前、朝日新聞に次のような言葉が載る。
後輩たちに小言を言う。
「誰かが評価してくれるだろうと期待してやっている。そんなことより、
自分が何をしたいのかが大事だぞ。噺家としてばっかりじゃないよ。
人間としてそうなんじゃないの」と語る。
大病とも闘う。
「以前の私からすれば、今は負け犬です。剛直に生きようなんていうのは
ないですから、駄目なら駄目なりに、何とか生き抜いてやるさっていうことかな。」
もっともっと高座に上がっている姿を見たかった。非常に残念である。
ご冥福をお祈りします。

石割山

2019-10-05 16:12:17 | 山歩き
石割山に登った。昨年、登った時は、山頂はガスっていて、何も見えなかったが、
今回は、山頂に着くと、富士山が間近に広がっていた。天気予報では、曇りに
なっていたので、あまり期待していなかったが、雄大な富士山が見えてよかった
下っていくと、だんだん、富士山に雲がかかり始めてきた。

安達太良山

2019-09-09 20:27:35 | 山歩き
職場の山仲間3人で安達太良山に登る。奥岳登山口は安達太良スキー場のわきにある。ここで、ロープウエイに乗る。ロープウエイを降りて、歩き出す。途中から雨が降り出してきて、レインコートを着る。山頂直下も雨の中、最後の急登を登って、山頂に到着。雨と風が激しくて、何も見えず。ゆっくり立っていられないので、すぐに下りる。くろがね小屋で泊まる。ここは、安達太良連峰鉄山の下にある源泉掛け流しの温泉を楽しめる山小屋である。朝食を食べて、このまま下りてしまうか、再度山頂に向かうか迷う。沼の平の火口が見たいので、登ることにした。登っていくと、前日は雨で全く景色が見えなかったが、この時は晴れていて、景色を観ながら歩くことができた。牛の背に到着。西側の沼の平の爆裂火口を見渡すことができた。安達太良山は、箕輪山(みのわやま)、鉄山(てつざん)、安達太良山、和尚山(おしょうやま)の火山群からなっており、火山体の中心には、沼ノ平(直径約1km、深さ約250m)と呼ばれる火口がある。火口を眺めた後、山頂に登り、山頂の景色を楽しんで、山頂直下の広いところに下りて来たら、雨が降り出してきた。そのままロープウエイのところまでは雨に降られ続けた。下りもロープウエイを使う。ロープウエイを降りて、日帰り温泉施設「あだたら山 奥岳の湯」で、汗を流す。

弘法山とめん羊の里

2019-03-23 21:36:38 | 山歩き
秦野駅から、山仲間で、浅間山、権現山、弘法山を歩き、鶴巻温泉で汗を流す。権現山の展望台からは、生憎、富士山は雲に隠れていたが、秦野市街等はよく見えて、特急ロマンスカー「ふじさん」号もみえた。青い小田急電車である。以前まで「あさぎり」号と呼ばれていた、JR御殿場線に乗り入れて新宿と御殿場(静岡県御殿場市)を結ぶ列車である。
今回は、昼に「めん羊の里 木里館(もくりかん)」で、ジンギスカンを食べる。ジンギスカンは丸い鉄板の上で焼く。これは昔、ジンギスカンを焼く際に鉄のヘルメットを鉄板の代わりにして肉を焼いたためといわれている。
昼を食べ終わって、外に出ると、羊に餌をあげる人が餌を運んでいて、羊たちが寄ってきていた。羊に餌をあげていいよと言われて、皆で餌をあげて、かわいい姿を見る。めん羊とは、毛を取るために家畜化した羊。帰りは鶴巻温泉に寄り、帰路に着いた。夜は打ち上げである。

2017年雲取山

2017-12-10 21:30:45 | 山歩き
標高2017mの雲取山に登った。2017年中に登ってみたかったので、心残りにならないように12月に入って、何とか駆け込みで登った。東京都・山梨県・埼玉県の1都2県にまたがる山である。石尾根を過ぎると急な登りがあって、しんどくなる。時間も気になり、本当に登れるのかと思いながら歩いていると、よほどしんどそうに見えたのか、下ってくる人に「歩き続けていれば到着する」と励まされる。やっと、2017mの山頂に到着。山頂では、何か作業をしている方がいて、せっかく山頂で達成感を感じようとしたが、少し残念な雰囲気。どうやら2017年を記念して建てられていた標柱を撤去した後の作業をしていたようだ。年末まで待っていたら雪やら凍結で環境が悪化して撤去出来なくなるかも知れないので、早めの撤去だったようだ。標柱が写真に収められなくて残念。作業をみていると、穴が掘ってあって、木を埋める作業もしていて、石を重ねて、見えないようにしていた。下りはいつものように足が痛くなり、ペースが遅れ、午後4時半ころから暗くなり、駐車場に着いた時には午後5時半過ぎていて真っ暗に近い状態だった。とにかく2017年中に登ることができたことには満足できた。

富士宮コースから富士山

2017-10-10 21:28:51 | 山歩き
山仲間5名で富士宮コースを通って富士山に登る。9合五勺の胸突小屋に泊る。
登りは調子よく登れたが、下りは膝が痛くなり、皆より遅れて下りることになる。
3回目の富士山である。富士宮ルートは、富士宮口五合目を出発し、静岡県側(富士宮市内)の富士山南側から山頂を目指すルートである。スタート地点は、富士宮口五合目(標高 約2,400m)、山頂までの標高差 約1,300m。六合目で宝永火口方面への宝永山遊歩道と分岐している。ガスっている中を歩き出す。途中、宝永火口の山が見える。標高3000mを超えると元祖七合目の小屋に到着。9合目を超えて、9合五勺の胸突小屋に到着。小屋に着いたら、宿泊の手続きをし、食事をする場所を確保して、持って行ったつまみでビールやワインを飲み、歓談。後から一人遅れて到着して、合流して食事。風邪気味で体調不良になって、ゆっくり登ってきた。夜中に目が覚めて外に出ると、雲が多くて、星はほとんど見えず。そのあと、小屋の中で横になっていると、激しい雨音が聞こえてきた。3時に起床の声かけで起き上がる。雨はやんでいたが、ガスっていた。3時半過ぎに歩き出す。皆ご来光を見るために、たくさんの人でにぎわっていた。山頂について、ご来光を観ようと吉田口の方に歩いて行ったが、雲が多くて、結局、ご来光は見えず。山頂はさすがに冷えてきたので、上着を一枚着こむ。吉田口経由で剣が峰に向かって歩き出す。お鉢巡りで、火口を見ながら歩く。下山は登山道と同じ道を歩く。傾斜がきつく、地面が固いので、膝の負担が大きく、膝が痛くなり、皆より大幅に遅れながら歩くことになる。前日に体調不良になった方の後をついていくような形で歩く。天気は回復してきて、雲海やら駿河湾や伊豆半島が見え、展望を楽しむこともできた。他の人たちが先に歩いて行ったので、あまり休憩時間もとらずに下る。五合目に着くと、バスに乗るために階段を下りるのもぎこちない歩き方になりながらもバス乗り場に到着。帰りは御殿場の温泉で汗を流し、帰路につく。相変わらず、富士山は人が多かった。

山モリ!フェス

2017-08-22 22:10:24 | 山歩き
山と溪谷社が「山の日」(8月11日)と翌12日の2日間、丹沢にて、山や自然を体験できる展示やアクティビティを展開するイベント「TANZAWA 山モリ!フェス 2017」が開催されていた。今年で2回目である。今回の場所は県立秦野戸川公園。8月12日の朝、ふと思い立って、娘と一緒に行ってみた。田部井淳子の思い出の品の展示 やK2やギャチュン・カンで山野井さんが実際に使用したダウンウェアや、山野井さんが中高生の頃からの愛用の装備等が展示されていた。登山教室やトークイベントも開かれていた。
鈴木みき氏のトークイベントに終了間際に入った。娘もいい話が聞けたので、もっと早く入って、聞ければよかったという。尾木ママ”こと尾木直樹氏は、自然教育のススメを語ってくれた。さすがに話は面白い。子ども連れのお母さんたちもたくさん入っていて、3歳の子に、お母さんのおなかにいたことを知っているかと聞くと知っているという。このように2~3歳までは覚えていて、3歳にリセットされ記憶が全部忘れてしまうような話をされていた。脳科学も新しい分野で、女性は、言語をつかさどる分野が進化しているが、男性は弱いといわれる。尾木ママは話が旨いので、女性化しているところもあるのかと思った。小林千穂氏もトークイベントをしていたので、入ることにして、聞くことができた。小林千穂氏は、今年の夏山の状況を話されていて、雪が多いことを語られていた。天気図の見方も触れていて、いろいろな天気図があり、信頼度のマークも注目されていた。バックの詰め方も話され、ペットボトルやストックも中に入れているといわれた。中が水にぬれにくいようにバックザックも中に詰められていることを話されていた。これからの夏は南アルプスを縦走されるとのことである。音岳家OJIライブは山の歌を山の経験に基づいて、歌詞と曲を作り、披露されていた。いい声である。
山好きの人たちが集まり、たくさんの企業が協力し、盛りだくさんの企画で、楽しく過ごせた。

丹沢 沢登り

2017-07-17 20:04:54 | 山歩き
30数年ぶりの沢登りである。丹沢の葛葉沢と源次郎沢に登る。作治小屋に泊まり、1泊2日である。登り方はほとんど忘れてしまっている。プロの人について、ロープを出してもらったりしながら、登る。ずぶ濡れになったりして、天気も曇っているので、体が冷え込んでしまいながらも、沢登りを久しぶりに味わうことができた。2日目は、結構な雨にも降られながら、途中で沢を下ることになる。下りて来たら、ヒルも足にくっつかれていた。それでも沢登りの難しさと楽しさを堪能できた。

上高地

2017-05-14 21:48:18 | 観光
連休に一泊2日、家族4人でバス旅行をした。郡上八幡や白川郷、飛騨高山、上高地を回る旅行である。バスの移動時間が長く、欲張りなコースなので、一つ一つの観光地は時間が短く、じっくり見ることができない。それでも上高地は90分の時間がとれたので、大正池でバスを降りて、河童橋まで歩くことができた。大正池では、穂高連峰や焼岳の眺めがよい。大正池は1915(大正4)年6月6日の午前に突然あらわれた池。焼岳が大噴火をおこし、その際に噴出した多量の泥流により梓川がせき止められてできた。大正池はできた当時、梓湖と呼ばれたこともあったが、大正年間にできたことから今の名称が定着した。河童橋のほうに歩いていく途中に、霞沢岳と六百山を望む梓川のほとりに、英国人宣教師ウォルター・ウェストンのレリーフ(石碑)がある。ウェストン氏は登山家として日本各地の名峰を制覇し、上高地にも訪れて山案内人・上條嘉門次とともに北アルプスに登る。そして上高地の魅力を1896(明治29)年、著書『日本アルプスの登山と探検』で世界に称賛している。「楽しみとしての登山」を日本に浸透させた功労者として、日本山岳会は氏の栄誉を称えて1937(昭和12)年に梓川沿いの広場にレリーフが掲げられた。河童橋まで来ると、たくさんの人でにぎわっていた。写真は、大正池と焼岳である。

ライオン~25年目のただいま~

2017-04-14 21:49:28 | 映画
ガース・ディブィス監督の映画「ライオン~25年目のただいま~」を見た。
5歳の時、インドで迷子になり、25年経って青年になったサルーが母を見つけ出した実話が元になっている。インドの貧しい母子家庭に暮らし、兄と共にいたときにはぐれて、停車中の回送電車に乗ってしまい、眠り込んでしまい、遠い大都市コルカタへ迷い込んでしまった。家に帰るすべもなくて、オーストラリアへ養子に出された。里親に育てられ、大学生になった彼は、グーグルアースを使い、自分の生まれ故郷を探し当てて実親とも再会ができる。里子となって恵まれた生活を送っていたが、インドの実母や兄は自分を探し続けているのではないかと悩み続ける。一方で育ての親である里親に対する「罪の意識」もあって、なかなか言い出せない。だんだん不安定な青年期を送る。ある意味、自分のルーツ探しをし始め、自分を取り戻す旅に出たともいえる。オーストラリアの里親の社会状況とインドの子どものおかれている厳しい現実も垣間見えた。里子の弟が後から家族の一員となり、発達的に対応の難しさがあり、ニコール・キッドマン演じる母親が苦労する場面を見て、サルーも不安定になる。里親になって子育てをし、子育ての難しさと成長を見守ることを描き、子育ての多様性と包容力も感じられた。