ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

花火大会

2007-09-30 16:21:44 | Weblog
調布市花火大会が29日に開催された。今年は秋で、いつもより一時間早くスタートした。
私は、学童クラブ父母会のOBと一緒に多摩川で見た。しかし、始まる前に、妻の実家の両親を車で迎えに行ったのだが、妻の姉が到着遅くて、すでに始まっている時間に自宅に戻って来たので、車の規制で車がなかなか動かなくなってしまって、家になかなかたどり着かない。会場の多摩川に行ったのは終わり30分ぐらい前であった。しかも入口規制をしていたり、近くにいっても、人だらけで、何処に誰がいるかわからないような状態で携帯電話で聞きながら、探すのに大変だった。
当日は、雨も降ったり止んだりしていたので、天気が心配だったけど、花火は良く見えた。短時間でよく飲んだり食ったりしながら、花火を楽しんだ。やはり間近でみる花火は迫力がある。終わってからも、しばらく飲み続けて、片付けた後も行きつけの店で飲んだ。最近飲む機会が多く、体重も増えている。こういうときはついつい飲みすぎてしまう。

「ロッジ山旅」と権現岳

2007-09-28 09:25:00 | Weblog
職場の山仲間のもんちゃんと天女山から権現岳に登った。長沢さんの話も伺いたいと思い、前日は「ロッジ山旅」に泊った。前日の午後、4時頃に東京を出て、6時過ぎには宿について、さっと一風呂浴びて、食事。宿には横山厚夫さんご夫妻がいらした。オーナーの長沢さんが横山さんの本の愛読者であり、不思議な縁で、横山さんはここの宿の常連となっていらした。お酒を飲みながら、いろいろと山の話を伺い、特に横山さんの深田久弥と交流があり、いろいろな逸話を聞かせていただき、とても興味深い話であった。あっという間に時間が過ぎ、次の日の山もあるので10時近くにお開きになった。泊り明けの勤務で行ったので、私もすぐに眠りに入った。次の日は、朝6時15分頃に朝食を食べて、7時過ぎに天女山駐車場から三ツ頭を経て、権現岳を往復した。天気はあまりよくなくて、ほとんどガスの中を歩いた。時々雲が切れそうなときがあったので、山頂では、赤岳方面の展望を期待したが、結局見えなかった。下るときに編笠山方面にガスが引けたときがあり、展望が見えた。三ツ頭を境に雲の切れ間が出来たのである。帰りはパノラマ温泉に寄って、汗を流す。

彼岸花

2007-09-24 21:17:51 | Weblog
自宅近くの田んぼの脇に彼岸花が咲いている。
お彼岸の頃に咲く秋の花である。
墓地の周辺でよく咲くといわれているが、私は、
この頃に自転車で田んぼの近くを通ると、よく見かける。
稲刈りもこの頃に始まるので、
稲刈りが始まる前に写真におさめた。
鮮やかな赤が目立つ。
別名「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)とも呼ばれている。
花が終わったあとに、葉が生えてきて、花と葉が一緒に
姿を見せることがないそうである。

小楢山

2007-09-20 20:35:35 | Weblog
今回は仕事でもやもやしていることがあって気分転換に温泉でもゆっくり入りたいと思い、ほったらかし温泉にでも行こうかと思ったが、それだけでは物足りないので、小楢山に登ることにした。写真は南アルプスの展望。
登りは父恋し道を歩く。樹林の中をずっと歩き、ほとんど展望はなく、大沢ノ頭に到着して、富士山の展望が開けた。南アルプスの展望も樹林越しに見えた。この調子で行けば、小楢山の山頂では、もっと展望がよいと思って、急いで山頂に向かって歩いた。しかし、山頂は、富士山方向には樹林が刈ってあるのか、よく見えたが、他の八ヶ岳や南アルプスなどの展望は木立に阻まれていた。これなら、大沢の頭に戻った方がよいかと思った。その前に、一杯水の方向に下って、錫丈ヶ原から南アルプスが見えるかもしれないと思って、一杯水の方向に下る。水が飲めるようなところではなかった。そこでも、展望が開けず、そのまま大沢ノ頭方向に引き返していく。途中で、幕岩があり、そこには鎖がついていた。もしかして登ってみたら展望があるかもしれないと登ってみた。鎖を使って、岩の間を抜けたが、そこから岩の上を渡るが、滑り落ちたらまっ逆さまに落ちそうな雰囲気。慎重に渡っていき、ピークにつくと、そこは360度の展望である。富士山は前の大沢の頭が少し引っかかる位置ではあったが、よく見えた。南アルプスの全貌、御嶽山、八ヶ岳がみえ、金峰山などの奥秩父の山、大菩薩連峰などの展望が広がっていた。幕岩の上で一時間近くまったり過ごした。今回、思ったのは山の山頂だけではなく、近くの穴場になるところで、展望が広がる場所があることを実感した。また、大沢の頭で見る景色も幕岩の景色を見た後だと、山の同定や景色の特徴がわかりやすかった。下りは母恋し道を下ったが、樹林の中であったし、父恋し道から合流してからの林道歩きも長い。それでも同じ林道を歩いていても、登るときと、下るときでは違って見えることもあった。いつも車だと同じ場所に戻らなければならないことが嫌だと思っていたが、同じ道を登って下るのも悪くはないことも感じた。登山道は登りも下りも樹林が長く、台風や大雨の影響から荒れていた。この時期は花も少ないし、紅葉もないしで、人にはまったく会わなかった。静かな山歩きであった。
帰りは予定通り、ほったらかし温泉によるが、そこで、モンちゃんにばったり会うとは思わなかった。びっくりである。

金峰山

2007-09-14 09:11:14 | Weblog
公休日なので、日帰りで行けるところはどこかと考えて、しかも何とか天気が持ちそうなので、山に登ることにし、金峰山に登った。瑞垣山荘近くの駐車場に、車を停め、そこから富士見平小屋経由で金峰山頂までの往復を歩いた。
深夜2時頃に自宅を出て、高速道を運転して、甲府盆地の夜景が綺麗だった。5時過ぎに登りはじめ、森林限界が高いので、樹林の中を結構歩く。朝方の天気はよく、途中、雲の上に南アルプスが見えて、わくわくしながら、頂上に登った。頂上にいる間、富士山や南アルプス、八ヶ岳、大菩薩嶺など展望がよく、ゆっくり過ごして、来た道を引き返した。ちょうど下りてくる頃には、ガスがわいてきて、周りの山々に雲が出始めてきた。
さすがにこの間の台風や雨の影響のためか、平日でもあるので、人は少なく、登りでは誰もあわず、頂上で3人、下りで一人会ったのみ。大弛峠から登ってきている人がいて、時間制限はあるようだが、林道から大弛峠までの車は通れたようである。途中、登山道は、水が噴出しているところがあったり、木が倒れているのもあったが、道はわかりやすかった。
登り始めは調子よく歩いたのだが、日ごろの疲れや不摂生がたたったのか、だんだん疲れてきて、ペースが急に落ちた。年齢的な衰えもあるのか、月1から2回程度の山登りだけでは体力の維持は厳しいかな。日常の鍛錬も必要かもしれない。
下りを歩いているときも、いろいろと考えるのが嫌になってきて、歩くのがきつくなりながらも、こうして無心になれるのもいいかなと思った。いつの間にか着いていた。増富の湯に入って、汗を流し、そこで昼を食べる。
帰りに、パーキングでちょっと甘いものが食べたくなり、信玄ジェラードというのがあったので、食べてみた。信玄餅みたいなのが回りにくっついていた。疲れていたので、おいしかった。運転中、睡魔が襲ってきたので、談合坂で仮眠を少しとった。

台風9号

2007-09-07 10:03:40 | Weblog
台風9号が東日本に上陸し、北日本に北上した。今回は首都圏を直撃。通勤時の交通機関にも多大な影響を及ぼした。
昨夜からの強い風と雨足で、なかなか眠れず。起きてきては台風情報を見たりした。我が家は多摩川からも近い。鶴川大橋のすぐ近くまで、水域が達している映像がテレビで流されていた。世田谷では避難勧告が出されているところもある。ここに引越しをする前にも多摩川の氾濫で狛江の家が流されたこともあって、護岸工事が行われたとの話。それでもぎりぎりの水域になっている。
首都圏は峠を越えたが、まだまだ予断は許さず、北日本はこれからが心配だ。今回の台風はのろのろと日本列島に近づき、雨量も多い。各地で観測史上最も激しい雨となり、被害もあちこちで起こっている。自然は時として、猛威を振るう。農作物なども心配である。

シッコ

2007-09-06 16:18:33 | Weblog
『ボウリング・フォー・コロンバイン』『華氏911』と米国社会に問題提起を続けているマイケル・ムーア監督の最新作『シッコ』(SiCKO)を観た。
先進国で、唯一国民皆保険制度がないのがアメリカである。そこにマイケル・ムーアは切り込んだ。"sicko"とは"病気"とか"感染者"という意味である。アメリカでは、健康保険は公共サービスではなく、おもに民間の保険会社が受け持っている。貧困層の人が受け入れられない。悲惨である。しかし、この映画はこのような無保険者の話ではなく、保険を受けている人たちの話でもある。
映画の冒頭で交通事故に会い、意識不明のまま搬送された人は「事前に救急車を使うことを申告してなかったから、救急車の搬送費は保険でおりなかったの」という状態。病気になってもなかなか保険会社がお金を下ろさない実態。病院をたらいまわしにされて子どもが死んだり、路上に放置される高齢者などたくさんの悲劇が映し出される。こんなことがアメリカではまかり通るのである。
また、これは政府の政策の問題でもあり、保険会社の政治家の癒着と利益の問題でもある。保険会社に都合の良い法律を通すと、天下り先が用意もされている。こうして、利益優先主義のシステムで、命を落とす国民がたくさんいる。何とかこのような悲劇は変えなければいけないとドキュメンタリータッチで、深刻ではあるが、ユーモアも交えながら訴えている。
カナダやイギリス、フランスなどの医療制度をたずねて、いかに医療が患者のために行われているかが描かれる。アメリカ人が医療を受けるために、カナダ人と「偽装結婚」したり、医療費がかからないフランスに永住をしたり、9・11テロで究明作業に従事し、病気になった人がアメリカで治療が受けれないので、キューバに行って、治療を受けたりする。 
公的医療保険制度の導入が社会主義国の第一歩であると恐怖をアメリカ政府はあおっているが、そうした体制とは関係なく、国民の命や生活に直結する医療とか福祉は営利化や市場化にはなじまなく、必要なところに給付されなければならなく、それは公的な保障が必要である。
このことは同時に日本も例外ではなく、日本の医療制度にも警鐘を鳴らしているともいえる。今日、医療制度の本人負担率は年々上がってるし、介護保険制度も導入され、本人負担が高まり、老人医療費の問題も深刻である。今後の医療制度も考えていく上でも重要な問題提議をしているようにも思えた。