ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

アメリカンギャングスター

2008-02-24 10:56:02 | Weblog
1970年代のニューヨークを舞台に実在した伝説のギャング、フランク・ルーカスの半生を描いている。監督は『グラディエーター』の名匠、リドリー・スコット。主演はオスカー俳優のデンゼル・ワシントンとラッセル・クロウ。二人の力演で、なかなか見ごたえがある。D・ワシントンが演じるフランクは表向き信心深く、地味で家族想いのビジネスマン、裏では麻薬の新しいビジネスモデルを築き上げ、暗黒外のカリスマでもある。ラッセル・クロウ演じるリッチーは乱れた女性関係と離婚裁判をかかえているが、正義感の強い刑事である。この二人を軸に描いている。
フランクのビジネススタイルはまるで、今日の家電販売店やユニクロなどの量販店が実施している流通システムである。買人を通さず、直接製造者から買い取って消費者に売るというシステムである。確かにこうなると安くなるが、小売店は、大変である。画一化した販売システムを先取りしたかのようである。フランクは自ら東南アジアのジャングルに出向き、製造元と直接交渉して大量の麻薬を購入し、ベトナム戦争で活躍した軍用機に乗せて運び込んでしまう。文字通り「アメリカン・ギャングスター」で純度の高い麻薬ブランドを確立した。ベトナム戦争で疲弊していたアメリカの中で見事にマッチしたのか知れない。暗黒外のアメリカン・ドリームでもある。裏社会で暗躍したが、それも時代の流れの中で変化していくのである。当時のベトナム戦争、蔓延するドラッグ、黒人・イタリア系などマフィア界の闘争、軍や警察の汚職など、複雑な社会情勢や人間模様を描いている。モハメッドアリの世界ヘビー級ボクシングの試合が出てきたり、懐かしく思う人も多いと思う。

歓喜の歌

2008-02-21 21:42:09 | Weblog
今日は、映画を見る前に胃カメラを撮る。職場の健康診断でひかかったのである。胃カメラ自体は麻酔が効いていたのか、それほど痛くはなかったが、注射が痛くて、「痛い」といっていたら、看護師から「ごめんなさい、これは痛いですよね」といわれながら、やり直しているうちに、胃カメラのほうは終わってしまった。しばらく麻酔なのか、うとうとしていた。撮った写真が見えたので、いただけますかと聞くとよろしいですよと渡された。その後、診察をしてもらうと、胃があれてはいるが、大丈夫ですよといわれて、ほっとする。
そして、せっかくの休みだからと映画「歓喜の歌」を見に行く。
とある文化会館で、“みたまレディースコーラス”と“みたま町コーラスガールズ”、この似た名前のコーラスグループが、大晦日のコンサート会場の予約をダブルブッキングしてしまう。文化会館に勤める飯塚主任は、半年前に市役所から飛ばされてきた典型的なダメ公務員だ。彼は適当に生きている。その彼が、歌うことを楽しみにし、ひたむきに生きていく人たちの生き様に触れながら、彼自身が変わっていくのである。優柔不断で何となく頼りない主人公の様子が、自分と重なってしまうところもあって、それでも一生懸命生きることは大切なんだといわれている様でもあった。トルコ行進曲などいろいろな歌が出てきて、楽しめるし、物語がだんだん盛り上がり、「歓喜の歌」である。落語家・立川志の輔の同名作品の映画化である。

雪の乾徳山

2008-02-18 20:50:36 | Weblog
乾徳山に登り、月見石まで行ったが、雪で敗退。
2/14(木)朝、徳和のから道満尾根の方に行ってみようと思い、車を走らせていたら、急な登りがあって、登りきったところで、道が曲がっていて、急坂のため前の道が見えなくて、そのまま前に走らせていたら、前輪の片方のタイヤが路肩を乗り上げてしまった。下は崖である。危ない。車が動かなくなり、どうしようかと思っていたら、たまたま工事の方たちの車が通っていくのが見えて、助けを求めた。親切にみんな来ていただく。とても持ち上がる様子ではなかったので、工事の方が車を取りに行ってもらって、牽引をしていただいた。とても助かった。本当に感謝一杯である。
それからは、道満尾根をあきらめて、いつものように乾徳山登山口から登ることにした。この間、雪がよく降ったのか、雪が多かった。登り口から雪が現れ始めて、登っていくと、結構、雪が多くなる。途中で、雪が深く、ひざ下までとなり、足跡もなくなってきて、ラッセル状態の中で、ズボズボと足がはまりながら歩く。雪がないと雪があったほうがよいと思うが、だんだん疲れてくると、もういいやとなってくる。月見石のところまでがんばって歩いたが、そこからはさらに深い雪で、とても歩ける状況ではないと思ったので、引き返すことにした。朝のこともあって、今日はついていないので、無理をしないことにした。こういうときは、スノーシューとかがあると歩きやすく、気持ちがよいのだろう。スノーシューで歩きたいとも思った。帰りはほったらかし温泉に寄って、汗を流し、疲れを癒した。

潜水服は蝶の夢を見る

2008-02-10 18:31:16 | Weblog
「新宿バルト9」で、「潜水服は蝶の夢を見る」を観る。「新宿バルト9」は新しく出来たシネコンである。この場所でよく映画をみたことがあったが、こんなに立派に建て替えられたのかとびっくり。三連休の中日でしかも雪の降った後のためか、いくつかの映画が上映されていたので、チケットを買うためにすごい行列が出来ていた。後に並んでいた人がこんなに混むとは甘く見ていたと何回も言っていた。同感である。2時間前に並んでチケットを買ったが、一番前の席しか空いていなくて、結局、見上げるように映画を観た。
“ロックト・イン・シンドローム”という症状は、脳こうそくが原因で全身の筋肉が麻痺し、ほぼすべての運動機能が失われる症状である。ジャン・ドミニク・ボビーは、ある日、突然脳梗塞で倒れて、病院で意識を取り戻したが、ベッドと車椅子に乗るだけの生活。「ロックト・イン・シンドローム」となり、左目のまぶたしか動かせなくなり、左目の動きでコミュニケーションを取ることになる。「はい」は、まばたき1回。「いいえ」は、まばたき2回。自由がきかなくて、潜水服を着たような状態になったわけである。潜水服の中にいる彼の焦りや周りとのずれによる苛立ちも映し出されるが、多くの人に支えられたり、女性の何気ないしぐさや表情に色気を感じたり、ウイットとユーモアにもあふれている。こうして、絶望の淵に落とされても、蝶のように飛躍できるイマジネーションと記憶を頼りに自伝を左目の瞬きで書き始める。20万回に及ぶまばたきを繰り返し、「潜水服は蝶の夢を見る」を書き上げる。この実話を元にジュリアン・シュナーベル監督が映画化。
映像はジャン・ドミニク・ボビー自身が見ている映像を写すことによって、心情と内面を視覚化して描いている。こういう見え方がするんだとか、妙に納得して、かなりつらいだろうと思った。一方、美しい女性の胸元に見とれたり、女性を口とこうとしたり、思わずかわいそうだが、生きる力が出てきたかなと思ったりして、笑いを誘うところもある。動けなくて、言葉も出なくて、相手に伝えられない状況で、意識だけは鮮明というのは、確かにたえられないし、表現する能力を持ちたいと思うでしょう。それが、本となって結実したともいえる。


諏訪敦 絵画作品展

2008-02-09 21:34:09 | Weblog
新宿の佐藤美術館に行き、諏訪敦展を見に行った。
見事までに丹念に書き上げられた絵が並んでいた。まるで写真のようである。精密なリアリズムと言ってよいでしょうか。本物を前にすると、確かに絵ではあるが、迫力がある。
女性の澄んだ目、髪の毛も一本一本鮮やかだし、血管やほくろ、あざも見える。腹部を手術した女性の傷跡は痛々しいが、写実的に描かれていて、力強く生きているようにも思えた。
前衛舞踏家の大野一雄さんを描いた絵、「絵画の原点回帰としての写実表現にある種の限界を感じ始めていた」という諏訪が、取材を通じて得た情報を作品に取り込んでいったという。リアルに描くなかで、そこに幻想的な雰囲気をまとわせている。《大野一雄の幻視》にも、幻想と現実性が入り混じり合っているのである。また、100歳を迎える大野一雄さんは介護ベッドで口をあけて横たわっている絵もあった。老いた姿を克明に描いている。骨と皮はくっついており、しわやしみ、あざなども克明である。その姿が生々しく生きてきた歴史を考えさせられる。
実父のベッドに横たわった姿や遺体を描写した絵画もあって、諏訪敦の父親に対する気持ちも伝わってくるようで、印象的だった。
人物の体の線も立体的に描かれ、背景も人物や物を浮き彫りにするようで、目立たないが、細かく描写され、大きな役割を果たしているように見えた。髪の毛や体の線の影や体についた水滴などもよく見ると細かく描かれていた。
とにかく、ここまで絵で写実的に精密に表現できるのかと思ってしまった。その上で、写実的な絵にとどまっていないのがすごい。