ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

盛岡でわんこそば

2014-02-09 17:08:14 | 街歩き
石川啄木と宮沢賢治で有名な盛岡の街歩きをした。
まず、盛岡城跡公園を散策した。盛岡城跡公園は南部藩主の居城であった盛岡城の旧跡。盛岡城は28代藩主重直の時代、寛永10年(1633)に完成。北上川、雫石川、中津川を自然の壕に利用した平城で、不来方城とも呼ばれた。現在は石垣や池が残り、盛岡城跡公園(もりおかじょうあとこうえん)となっている。盛岡城は、北上川と中津川の合流点に位置している。しかし、現在の合流点は、盛岡城跡から南西に約700m離れた北上川公園になるが、築城当時は、現在の「JR盛岡駅」の東にある開運橋あたりから東に流れ、大きく弧を描いて南下し、盛岡城の西を流れていた。南東には中津川が接しており、往時の合流点はまさにこの地だった。 三方を天然の外堀に囲まれて、要害の地としては最良であったが、多くが沼地であり、たびたびの洪水にも見舞われ工事は難航したという。
盛岡は石川啄木と宮沢賢治が青春時代を過ごした街でもある。二人の若き日と、盛岡の街を紹介する常設展がもりおか啄木・賢治青春館で開かれている。旧第九十銀行は明治43年(1910)、盛岡市出身の建築家で当時司法省の技師だった横浜勉の設計によるレンガ造りの美しいロマネスク風の近代洋風建築。現在、「もりおか啄木・賢治青春館」として保存利用されている。ここで、啄木と賢治の青春時代の盛岡に接した後、賢治や啄木が気に入ったであろう中津川周辺を歩いた。たくさん歩いた後は、お腹がすいてきたので、昼に東屋本店に入って、わんこそばを食べた。盛岡に来たら、わんこそばを食べてみたいと思っていたので、よかった。食べる前に、わんこそばの食べ方の説明を受けた。最初の一杯は薬味をつけずに食べて、2杯目からは薬味をつけて食べる。飽きないようにするため、いろいろとつけながらである。ゆで汁は残るが、飲まないようにした方が、そばがおなかに入りますよと言われたので、汁は飲まないようにした。終わるときは蓋を閉めてくださいと言われた。朝食がホテルのバイキングだったので、たくさん食べている。それで、50杯食べればよいかなと思って、食べ始めたが、意外にお腹に入っていく。60杯に達したときにまだ入りそうだったが、これ以上食べるときつくなると思って、やめにした。もりそば1杯分がわんこ15杯というので、もりそばを4杯分食べたことになる。ちょうどいいぐらいですよとお店の人には言われた。隣で食べている人はお椀がずらっと並ぶ。100杯を食べて、手形をもらった人もいる。女性でも80杯ぐらい食べている。結構みんな食べられるものである。もう少し若い時に食べたら、100杯はいけたなと思った。それでもわんこそばの雰囲気を楽しむことが出来て、満足して、店を出た。