ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

金時山から明神ヶ岳

2008-01-31 21:10:03 | Weblog
「金時娘さん」は元気にしているかなと思って、金時山に登った。まだ13回目である。登るとよく、お菓子をご馳走になっているので、今回はお礼に茶菓子を持っていって渡すと、喜んでいただけた。雪がぱらつき、足元が悪い中を登ってくる人たちを「お疲れ様」と優しく迎え入れてくれていた。
今回は仙石から登り、結構雪が残っていて、凍ってもいた。滑りやすいので、気を使いながら歩いた。下りはそのま降りようと思ったが、ちょっと物足りなくなり、せっかくなので、明神ヶ岳まで足を延ばすことにした。そしたら、矢倉峠をしばらく行くと、笹が雪の重みで倒れていて、通りにくい道となっていた。夏に笹薮で歩きくい経験はしたが、冬に笹で苦労をして、藪こぎをするとは思わなかった。明神ヶ岳の方は、道自体は雪があったが、凍っていなくて、長靴でさくさく歩けて気持ちよかった。明神ヶ岳から宮城野に下りたのだが、そちらは雪が溶けているところは道がどろどろになっているところもあって、長靴の威力発揮である。だんだん雪なのか雨なのか降りが激しくなり、急いでバス停まで下りた。

母べえ

2008-01-30 21:34:55 | Weblog
山田洋次監督、吉永小百合主演の母べえを観た。
寅さんシリーズがすきであったので、山田洋次監督の作品は、ほとんど観ている。
母べえは太平洋戦争直前の昭和15年が舞台に、治安維持法により投獄された夫を待ちわびながらも、2人の娘のために激動の時代を気丈に生き抜いた母親(母べえ)の物語。原作は、当時その末娘でもあった野上照代さん。つまり、黒澤明監督作品のスクリプターを長年務めた野上さんによる自伝的ノンフィクション小説「父へのレクイエム」の映画化である。
戦争は愚かな人間の仕業である。愛するものを次々と奪われ、慎ましく生きていくことさえ許されない過酷な時代でも、お互いを「父べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と呼び合う仲睦まじい家族や人と人との絆はあり、他人であっても、人とのぬくもりや助け合い、信頼関係が描かれている。浅野忠信の演じる山崎も父のいない家族に入り込んで、頼りなさそうであるが頼りになる役割を果たしているといえる。コミカルで優しくて、こういう人はほっとするのである。いい味を出している。そういう意味では、鶴瓶が演じる仙吉も周りの空気を読めない人なのだが、母べえにとっては一種の癒しになっていたのである。寅さんと似ているのかなと思った。
山田監督は初日の舞台挨拶で、「野上さんの友人に、“小さな茶の間を大きな時代が通り過ぎていくような映画”と表されて、本当に嬉しかった。(映画の作り手は)観客1人1人の感想によって教えられていくもの。この国がどうなっていくのか、あのような時代になっちゃいけない、と考えてもらえたら、こんなに嬉しいことはない」と締めくくり、再び深々と頭を下げたとのことである。
戦争の時代を描いており、映画館は小百合ファンが多いのか、高齢の方が目立った。若い人はほとんどみかけなかった。吉永小百合は魅力的である。日ごろ泳いでいる吉永小百合は海で見事な泳ぎを見せる。やつれているはずのこの時代の母べえを吉永の歳で演じてもやつれは感じない。自分は年をとっても吉永小百合は永遠のマドンナ的存在である人は多い。一方、今のこういう時代だからこそ、若い人にも見てもらいたい作品でもある。


テラビシアにかける橋

2008-01-27 11:35:23 | Weblog
昨年の2月にアメリカで公開されていた「テラビシアにかける橋」が日本でも1月26日から公開されるということで、早速渋谷東急まで久しぶりに妻と映画を見に行った。渋谷も久しぶりで、映画館にたどり着くまで迷ってしまった。しかし、映画はなかなか見ごたえがあった。ロケもニュージーランドで行われ、映像も綺麗である。
原作は、アメリカの子ども達のほとんどが読むとされるキャサリン・パターソンによる、児童文学の名作である。作者の息子が経験した出来事をきっかけで書かれた作品だ。出版以来、30年にわたり「親が子供に必ず読ませたい本」として世界中で愛読されてきているようである。この名作を、「ナルニア国物語」のウォルデン・メディアが映画化、監督はガボア・クスポ。ディズニーの配給で公開されたアメリカでは幅広い世代に支持され、日本でも公開されるようになった。
11歳の少年ジェスは貧しい家庭にあって、姉妹4人に囲まれ窮屈に暮らす。絵を描くことが唯一の慰めとなっている。学校でもいじめられ、居心地が悪く、ある日、女の子レスリーが転入してくる。自由な発想と行動力を持つレスリーは裕福で、両親が作家で文章を書く能力はあり、想像力豊かである。しかし、レスリーの家にはテレビもなく、風変わりでもあり、友達も出来ない。いじめられっこのジェスはレスリーに導かれて、森の中に空想の王国テラビシアを創り出し、友情を育んで行く。しかし、この国は、逃げ場所としてあるのではなく、生きていくためのパワーの場所でもある。つまり、ここは二人にとって、現実と向き合うために必要な場所でもあると感じた。豊かな想像力がいかに大切かを気づかせてくれる。二人は、この出会いで輝き始める。しかし、衝撃的な結末も用意されている。
さすが個人主義のアメリカ。「いじめ」については個人の問題であり、親や先生なども側面的な援助はあっても、助けてはくれない。自分で乗り越えていく力をつけていかなければならないのである。
公開初日ということで、オリジナルエコバックもいただき、見終わった後で、雑誌「ピア」のアンケートにも答えた。

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

2008-01-24 19:01:37 | Weblog
ティム・バートン監督とジョニー・デップのコンビの作品で、またどんな世界を繰り広げるのかなと思い、見に行った。確かにミュージカルの映画化ではあるが、ある意味、衝撃的な映画である。元は、18世紀のロンドンに実在したと言われる伝説の人物、スウィーニー・トッドを主人公としている。英国では150年以上のロングランを誇るミュージカルでもある。この映画もミュージカルになっており、ジョニー・デップも歌を披露していて、楽しめる。私生活でもバートン監督のパートナーであるヘレナ・ボナム=カーターが共演をしている。
ロンドンのフリート街で理髪店を営むベンジャミン・バーカーは愛する妻と娘を奪われたうえ、美しい妻に恋をしたターピン判事の陰謀で、バーカーは無実の罪を着せられ、投獄されてしまう。15年後、バーカーはスウィーニー・トッドと名前を変え、フリート街に戻って来た。理髪店を構え、パイ店の店主、ミセス・ラペットの協力を得て、ターピン判事への復讐を誓い、殺人鬼となる。血が滴り落ちて、目を覆いたくなるような場面も出てくる。
この作品は愛と憎悪と復讐と狂気などが描かれていると思う。愛が根底にあっても復讐と憎悪に快感を覚え始めると真実も見えなくなってしまう。愚かな性も人間は持つ。


ふじてん

2008-01-17 22:51:29 | Weblog
河口湖近くにあるふじてんスキー場に行った。
午前中、職場で健康診断があったので、早めにすませて、職場の同僚と出かける。
健康診断がなければ、晴れ予報なので、早朝からどこか山に登りたかったところだ。スキーも久しぶりで、ちょっとやってみたかったからよかったかも。11時過ぎから4時半ぎりぎりまで滑った。
バリウムを飲んでいたので、滑っている途中で、トイレに行きたくなったらどうしようとか変な心配をしたが、それはなかった。
天気もよく、ずっと空気が澄んでいて、富士山が大きく見え、南アルプスの山もよく見えた。今日は山歩きしても最高だったでしょう。調子よく滑っていたら、最後の方で転び、油断禁物。そんなに混んでいなかったし、結構滑れたので、満足である。帰りは温泉にも入って、リフレッシュが出来た。

成人の日

2008-01-15 08:44:47 | Weblog
娘の成人式であった。着物の着付けをしてもらってから、深大寺や多摩川で記念撮影。このときばかりは、きれいねと声を掛けられたり、注目されたりする。まさに馬子にも衣装である。深大寺で私達夫婦にお祝いの声をかけてくれた方が、「今までが大変だったんだよね。よかったですね」と言われた。そうだ、我々も祝ってもらっているんだと思った。その後、妻の実家で、お披露目をした。義父母も大喜びである。
それにしても、着物は車に乗るのも乗りにくかったり、座るのも座りづらいし、トイレにも不便そうである。頭も引っ張られている感覚というし、着ているだけで重そうである。式典が終わって、着替えたときはホットしていると同時にどっと疲れも出たようである。早速、同窓会も開かれている。しかし、「女の人」は大変ではあるが華やかである。着物が着れるというのは幸せである。
さあ、子どもから大人になった節目である。裁量が広がると同時に、自分で考え、判断し、責任も大きくなる。大人の始まりであり、これからは中身が大切であり、そこが問われてくるのだろう。

雲取山

2008-01-14 15:13:17 | Weblog
雲取山に登った。いつもどおり、小袖から七ツ石山、石尾根経由で山頂に行き、また小袖に下りる道を歩いた。写真は途中の七ツ石山。
山登りを初めて、一冬に一度は雲取山に登ろうと、登ってきて、今回で5回目である。そうなると山登りをするようになって、5年目ということである。
前日の冷え込みと低気圧の影響で雪が降り積もったかなと思ったが、それまでの雪がなかったのか意外に少なかった。それでも前日に降ったらしく、少ないながら、ふわふわの雪で気持ちのよい歩きが出来た。ただ、下りの時は、人が登った後で、明日も休みというので多くの人が登ってきたので、ある程度踏み固められて、凍ってもきたので、下りの方が滑りやすかった。
年々雪が少なくなってきている気もして、温暖化の影響も出てくるのかな。
登っていく途中で、山の稜線やくっきりと富士山がよく見えてきて、気持ちが高ぶる。天気もよくて、展望はばっちりなのである。とりわけ、石尾根の展望がよいと、気持ちがよい。石尾根から富士山や南アルプスの山々も良く見えた。若い女子学生達が「がんばって登ったごほうびだ」「帰りたくなーーイ」と話をしていた。こうした感動があるので、この山は何度も苦労しても、登り甲斐があるというものだ。ちょうど山歩きのトレーニングにもなる。霧氷も綺麗だったし、自分なりに新たな発見もあって、5度目でも新鮮な感覚を味わえた。

滝子山

2008-01-04 22:11:19 | Weblog
今年の初登りは滝子山である。
正月、出かけたりもしたが、よく飲んだり、食べたりしたので、鈍った体を少し鍛えなくてはと思った。そこで、急な登りがあって、標高差も1000mぐらいあるし、富士山も天気がよければ見える山ということで、滝子山である。しかし、実は、一番の要因は、車を妻に使われてしまって、電車のアクセスが良いところというのが決定的だったのだ。笹子から登りだして、初狩に下りた。
今回は2回目で、前回と同じく、寂しょう尾根を登る。登りでは誰にもあわず、頂上で大菩薩峠から縦走してきたテントを背負った方に会う。頂上で、その人が黒岳から歩いてきた稜線がよく見えて、ここを歩けば気持ちいいだろうなと思った。ボクは南側の稜線を登ってきたので、雪は頂上付近に少しあったぐらいではあるが、北側の斜面は結構雪があって、アイゼンをその人はつけていた。

あわしまマリンパーク

2008-01-03 16:46:38 | Weblog
正月にあわしまマリンパークに家族で行った。
ここは島になっていて、島自体が公園になっている。
島までロープウェイに乗り、帰りは船で戻った。
水族館やいるか、アシカのショーを見たり、島を周遊するコースもあり、散策をした。富士山も、海を前に雄大だ。海辺で富士山がこんなに大きく見えるとはいいね。観光客がこの辺に押しかけたり、温泉を掘り、この辺をリゾート地域として拓いてきたのもなるほどである。