ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

早戸大滝

2011-01-31 21:40:36 | 山歩き
日本海側は大雪が降っているというのに、関東地方はからから天気が続いている。典型的な冬型気圧配置である。天気が良いということで、丹沢の早戸大滝に行った。しかし、今年は雪があまりないと思っていたが、最近、降ったようで、登山道に積雪があった。それよりも道路が凍っていたのには、まいった。油断して、車がノーマルタイヤであったので、凍っている道の手前で、車を停めて、林道を歩いた。伝道からは、雪のある登山道を歩き、沢にもでて、沢沿いを歩いたり、渡ったりしながら歩く。ボッーとしていて、いつのまにか雷平を通り過ぎてしまって、本流に行かないで、原小屋沢をそのまま歩いていき、雷滝に出てしまう。その先の道がわかりにくくて、今度はきちんと雷平に戻り、早戸川本流を登っていき、早戸大滝に到着。大滝は凍っていた。大滝は落差50mといわれているが、流れの一部が巨大な岩に隠されていて、見えない。下の滝つぼ付近に行って、見事な氷瀑を見ることができた。そして、天気もよくて、展望もよさそうなので、そこから蛭ヶ岳に登ろうかとも思ったが、思ったより、積雪や結氷があって、歩きにくいし、長い林道歩きもあって、雷滝までのロスもあったので、今回は無理をしないことにした。大滝から戻ることにした。空気が冷たくて、汗もあまりかかなくて、雪が少ないながらもあって、沢沿いの変化のある道を気持ちよく歩けた。

雲取山

2011-01-23 10:55:08 | 山歩き
20日に今年の初笑いで、末広亭である。正月二之席の千秋楽であった。昼の部の主任が円歌、夜の部の主任は小三治である。ある意味、小三治目当てで行った。小三治の演目は「お化け屋敷」。
21日は、初登りで、雲取山。山に登るようになって、毎冬に一度、自分の体力の調子を推し量ることも含めて、雲取山に登るようにしてきたが、昨冬は登れなかった。そこで、今年は是非と思って、登った。今年の天気は、西高東低型の気圧配置で、日本全体に寒気が覆い、雪が多いかなと思ったが、雲取山は、上のほうはまだ雪があったが、ブナ坂の手前までは雪はなかった。もう少し雪を期待したが、今年は冷え込んでいても、雪の量はあまり降っていなかったようである。日本海側は大雪であっても太平洋側の東京地方では、寒いが、晴れている状態がずっと続いているために、雪が少ないのかもしれない。しかし、乾燥はしている。多摩川の河川敷でも枯れ草が燃え上がって、22日も多摩川の川崎よりで、消防車が出動していた。
この日も、雲取山でも天気はよくて、富士山や南アルプスも良く見えた。木々の向こうで、浅間山が真っ白になっていた。最近、体重が増えて、体力も落ちてきている。歩きやすい道ではあったにもかかわらず、しかも七石山に登らずに歩いたのに、時間はかかるようになってきている。平日であったため、人にもあまりあわず、山頂で、避難小屋に泊る人と、展望を見ながら話をした。甲武信や笠取の三角の山の位置を教えてくれた。定年退職して、奥秩父からの縦走もし、いくつか高い山にも登って、南アルプスの赤石岳なども登ったとの話。今はさすがに暇になって、時間を少しもてあまし気味とのことである。私も退職後、いくつか縦走や登れていない山にも挑戦をしたいと思ったが、その頃には登れる元気があるかどうかは不安である。
いずれにしても、雪は少なかったが、今年もこうして雲取山に登ることが出来て、満足した。

いきるちから

2011-01-05 08:40:51 | 美術館、博物館
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年の元旦は仕事で、泊り勤務であった。2日に明けで、キムタク主演の「ヤマト」を見た。相変わらずのキムタクで、なにをやっても許されて、ヒーロー扱いは変わらない。3日には休みで、チャップリンの「独裁者」をみて、午後は妻の実家への挨拶。4日は府中美術館に行き、現在開催されている「いきるちから」展を観る。このように正月は仕事も入っていたので、何となくのんびりもして、天気が良いのに、初登りは出来ていない。
「いきるちから」展は、木下晋の描く鉛筆画は迫力があった。描いているのは最後の瞽女といわれた小林ハルや元ハンセン病患者の桜井哲夫、実母や姉など苦難の人々である。瞽女とは唄や三味線を弾きながら物語を聞かせて、旅する盲目の女性芸人集団である。芸能の伝播者でもある。木下は鉛筆で103歳である小林ハルの深いしわが刻まれた肌、白髪の一本一本までを緻密に描いている。老いが奥深い生の中から浮き彫りになってくるかのような迫力で迫ってくる。木下自身が、3歳の頃、一家離散となり、母と逃亡していた弟が餓死をしている体験を持つが故に、生の深さが描けるようにも思えてならない。
私自身、もともと小林ハルという人物には強く惹かれるものがあった。生後100日で失明。瞽女として厳しい道を歩き、すさまじい地の底を這うような生き方をしてきた人の言葉は重い。「良い人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」。自分を支えてくれる人は楽しく、意地悪をする人は自分を鍛えてくれていると思えばいいということである。「生の深い淵」を生きてきた人間のもつシワや目が見えなくても何か訴える目や表情には人生に鍛えられてきた力を感じるものがあった。