ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

自由学園明日館の桜

2013-03-31 17:30:52 | Weblog
池袋で飲み会があって、ちょうど桜が見ごろの時期だったので、その近くにある自由学園明日(みょうにち)館の桜がきれいであるということで、観に行った。明日館は1921年に羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、フランク・ロイド・ライトの設計により建てられ、1997年に国の重要文化財指定を受け、現在はさまざまな催し物、結婚式などに使われているとのこと。桜が見事に咲いていて、ライトアップされていて、幻想的であった。

ふたりの写真家

2013-03-14 13:50:01 | 美術館、博物館

「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展が横浜美術館でで開催されていたので、観に行ってきた。
世界的な写真家の「ロバート・キャパ」という名が、もともとは、アンドレ・フリードマン(1913年生/1954年没)とドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ、1910年生/1937年没)の二人によって創り出された架空の写真家であったということはあまり知られていない。
タローは、ユダヤ系ドイツ人、フリードマンもハンガリー出身のユダヤ系の亡命者である。1934年にパリで出会い意気投合した二人は、1936年春に「ロバート・キャパ」という架空の名を使って報道写真の撮影と売り込みをはじめる。仕事が軌道に乗りはじめてほどなく、フリードマン自身が「キャパ」に取ってかわり、タローも写真家として自立するが、その矢先の1937年、タローはスペイン内戦の取材中に26歳で死亡する。
この展覧会は、キャパとタローそれぞれの写真作品による二つの「個展」で構成されている。死後50余年を経てなお絶大な人気を誇るロバート・キャパと、その陰でほとんど紹介されることのなかったゲルダ・タロー。約300点にのぼる豊富な写真作品と関連資料によって二人の生涯と活動の軌跡を辿りながら、両者の深いつながりと個性の違いを浮かび上がらせていると案内にはある。展覧会では、「キャパコレクション」193点が展示され、タローのものと確認された写真のオリジナルプリントを中心とする83点を含めて、関連資料も展示される。
ロバートキャパに興味を持ったのは、ロバート・キャパの代表作「崩れ落ちる兵士」について、作家の沢木耕太郎さんがNHKでも出演した推理ドキュメント番組が放送されたのを見たからである。丹念な取材で描き出されるのは、「崩れ落ちる兵士」の写っているのが死の瞬間ではなく、兵士は滑って転んだだけで、しかも撮影者はタローだった、というのである。ただ、二人は反ファシズムということではかわりなく、二人のどちらかが撮ったかが重要ではなく、一緒のその現場で撮ったという事実である。
そして、そのあとのキャパの活動や写真の輝きが重要でもあると思われる。キャパ(フリードマン)は、アーネスト・ヘミングウェイやジョン・スタインベック、パブロ・ピカソらとの交流でも知られており、写真が展示されている。そして、イングリッドバーグマンの美しさが際立った写真もあった。キャパはバーグマンンの恋人であった時期がある。バーグマンの結婚生活が行き詰っていたちょうどそのころ、夫との離婚を考えている時だったので、バーグマンはキャパに結婚を申し込むが、彼は断った。家庭を持っているバーグマンとの関係はいつまでも続くものではないと、リアリストのキャパは考えていたといわれている。
また、トロツキーの演説をとらえた写真から、スペイン内戦や第二次世界大戦、インドシナ戦争などの戦争写真、インドネシアでの死の一ケ月ほど前に、日本にも立ち寄って、撮影した写真もあった。日本の名所にはあまり興味を示さず、一般の人々の表情をとらえている。当時の吉田茂首相にも撮影を持ちかけられたが、関心を示さなかったと言われる。そういえば、キャパの写真は必ず人が映っていて、表情などをうまくとらえている。その中にも、温かいまなざしとともに、人間の中に潜む差別意識や社会的なメッセージもその中から伝わってくるのもある。よくこの瞬間を撮れたものだと思ってしまう写真が多い。キャパ(フリードマン)の原点はタローにあるのかもしれない。

タローは、キャパに勇気と熱意を与えたという。まさに「キャパのまなざしは、戦地にあっても、そうでない時も、状況ではなく、立ち会っている人間に迫っていきます。そこにある事実を、ただ情報として伝えているだけではない。いろいろな読み込みが可能で、美術館に展示される意義があると思っています」である。