ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

グッドシェパード

2007-10-25 19:54:12 | Weblog
グッドシェパードは、ロバート・デ・ニーロが、監督、製作、出演の3役をこなす。主演の諜報部員役にマット・デイモン、その妻役にアンジェリーナ・ジョリーが演じている。内容的には以下の解説である。
「イエール大学でエリートコースを進んでいた青年、エドワード・ウィルソン(マット・デイモン)は米軍にスカウトされ、第二次世界大戦中の戦略事務局(OSS)で諜報任務に従事することになる。終戦後、OSSの延長線上に創設されたCIA(アメリカ中央情報局 )の一員となり、世はソ連との冷戦時代に突入する。そしてCIA最大の汚点と言われた「ビッグス湾事件」の失敗の原因を追求していくうちに、エドワードは国を守るか家族を守るかの究極の選択を突きつけられることに…。ひとりの諜報員の波乱に満ちた人生を追っている。」
この映画は、実際、CIAや家族を描いていると同時に「スカル・アンド・ボーンズ」も描いている。エドワードも、デ・ニーロ演じるCIAの前身OSSの長官ドノヴァンもスカル・アンド・ボーンズである。つまり、CIAは「スカル・アンド・ボーンズ」が作ったのである。スカル・アンド・ボーンズ(Skull and Bones、S&B、頭骸骨と骨)とはアメリカのイェール大学にある秘密結社であり、最も最強なエリート集団である。構成員同士が協力し合いアメリカで経済的・社会的に成功することを目的としている。入会と同時に、過去の恥ずかしい秘密を暴露させられ、その秘密を共有することによって結束を深めるという。映画の中でもそういったシーンが出てきた。現在でも(少数の例外を除き)WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)中心の徹底した白人至上主義エリート集団であるとのこと。数ある秘密結社の中でも、米国社会に最も強い影響力を持ち、CIAやアメリカ法曹界や金融界や学界に巨大なネットワークを持っているらしい。
現在のブッシュ大統領やその父もボーンズのメンバーである。スカル・アンド・ボーンズにとって大切なのは、人間に優劣をつけて、組織に属しているかどうかで基準を作り、他を排除していくことになる。そして、行き着くところが、政治権力を一部の人間で獲得するのに、軍事力の行使とセットにして進められているように思われる。CIAはその一環でもある。特権階級が、今のアメリカを牛耳っているのである。そう考えると、日本が、いくらアメリカの戦争に協力して、気に入られようとしても、愚かな感じもする。所詮はアメリカ至上主義、人種、WASPによる世界支配に従うことになると思えてくるのは思い過ごしかな。
また、この映画では仕事のために家族を犠牲にしている問題を描いていると同時に、諜報という問題では、家族を欺いている。裏切りの世界のなかで、何を信じていきていかなければならないかがわからなくなり、結果、身近な人たちにも騙すことになり、疑心暗鬼になっていく。結局何を頼りにいきていくかがわからなくなり、生き方自体も欺瞞に満ちてくることになる。それが国家という名の下に行われ、一人一人の人間も犠牲になっていくことが恐ろしい。

巻機山

2007-10-24 17:18:42 | Weblog
22日に巻機山に登った。天気もよかった。登りはヌクビ沢を歩き、下りは井戸尾根コースで下った。ヌクビ沢は下山禁止となっているコースである。
朝方、4時前に駐車場に着いて、まだ暗いうちに一眠りしようとしても眠れない。
暗いので、ヘッドライトをつけながら歩き始めた。今回はヌクビ沢を目指して歩いたので、結構、きついコースとあったので、時間に余裕を持つためにヌクビ沢まで早めにつくように早めに動き出した。しかし、暗い中、途中で、目印を見落とし、道を間違えて、樹林の中に入っていった。作業道のようなところで急なところを登っていって、おかしいと思ったときには、上のほうが明るく、稜線に出るかなと思ってどんどん進んでいくが、山のピークではあったが、樹林に囲まれている。油断して進みすぎた。何とかなるという過信が禁物である。しばらく彷徨い続けたが、沢方向に出るのは怖いので、今日は敗退だとどんどん樹林の中を下ることにした。そして、熊よけの鈴の音が聞こえ、ほっとして登山道に出て、元に引き返したのである。熊鈴とこのご夫妻に感謝である。本当に樹林の中に入って迷うと、気持ちの余裕もなくなり、わからなくなる。登山道がいかに安心な道なのかが良くわかった。この間3時間近くである。この時点で、神経と体力は消耗していたが、その鈴のご夫妻は、これから登るというので、私も気を取り戻し、まだ間に合うと思い、登っていった。途中、沢沿いを行かなければならなかったところを、無意識に樹林のあるほうの道に入っていってしまったのが間違いのもとであった。
そしてやっとヌクビ沢出合いに出て、ここからがまた、スリルありすぎる。ヌクビ沢は変化のある沢沿いの道を歩く、途中で、三点確保しながらでないと登れなかったり、笹を頼りに無理やり登ったり、急な岩登りがあったり、そのご夫妻とは最初はついていくような感じで登り、途中で追い越したが、始終同じようなペースで登っていった。定年退職を過ぎた年齢で、山登りを健康なうちに夫婦で楽しんでいらっしゃるとはいうが、健脚である。
渡歩を繰り返しながら、高度が上がっていく。沢沿いの道が長く続く。なかなか気が休まらない。神経をぴりぴりしながら登っていった。しかし、紅葉が見ごろで、素晴らしい景色である。気持ちも良い。喉は渇いたが、沢沿いなので、水は豊富である。ヌクビ沢源頭からも急な壁に足段がついているようなところを登る。草つきの道をよじ登るかのようである。稜線に着いたらほっとして、割引岳まで登る。ご夫妻もすぐ後に到着し、喜びを分かち合う。越後三山の展望が目の前に広がり、谷川岳方向や巻機山の全容も見える。後から来た人が巻機山というのはこの辺いったいのことをさすのであって、巻機山という山頂の標識は本当の山頂ではないといわれる。その標識の先の牛ヶ岳方向のなだらかなところに山頂がある。私はばて気味であったので、山頂の標識のところまで行き、井戸尾根を下りることにした。下りは、道がしっかりしているので、気分的に楽で、こちらも紅葉の景色がよかった。途中、私が登ったクヌギ沢と紅葉も見れて、そのご夫妻ともあんな険しいところを歩いたんですねと感心しあった。ここからみえるということは、若いカップルが歩いているようにも見えたのではないでしょうかとつい声をかけてしまった。本当に無事に下山が出来て、感無量である。

仙展

2007-10-17 19:59:59 | Weblog
出光美術館に仙展を見に行った。
仙については、出光美術館の公式サイトに次のような記述がある。
『九州・博多聖福寺の第123世の住職として、また、臨済宗の古月派を代表する名僧としても名高い仙(1750~1837)がなくなってちょうど170年となる今年、仙の偉大な業績を顕彰するために本回顧展が実現しました。
「博多の仙さん」と今でも親しみ愛されている仙は、晩年、数多くの「禅画」を描いたことで有名な禅僧です。仙の遺した水墨作品――禅画は、「画無法(仙の絵には決まった法などない)」の精神にもとづいたきわめてユーモラスかつ自由奔放な作品で、斬新な表現や大胆なデフォルメにより、現代の私たちが見ても「楽しくて、かわいい」と感じる不思議な魅力に満ち溢れています。・・・・』

仙の絵は本当にユーモアがあって、優しい印象を受けた。しかし、一つ一つの絵がかわいいのであるが、書かれていることは深い。「指月布袋画賛」では、「を月様幾ツ、十三七ツ」とある。布袋様と子どもが月を指さして喜んでいる絵である。月は描かれていないが、指の指し示す方向に月がある。いかに指を見つめても何も発見は出来ず、月そのものを求めるべきである。つまり、経典をいくら読んでもだめで、悟りの核心を発見しなければならないということであるようだ。また、蛙の絵が出てきたと思ったら、「座禅して人が佛になるならハ」と書かれており、座禅して人が仏になるなら、蛙はみんな仏になる。そうではなくて中身が問題なのであるといっているようである。
絶筆費を書いて、また筆をとって書いたりしている。仙は87歳でなくなり、死に際に、辞世の句を聞かれて「吾に辞世の句なし」、死にとうないのぅとつぶやいて没したといわれている。とにかく人間くさい仙僧にとてもひきつけられた。
また、仙は旅や登山も好きであって、山頂に社殿がある山のいくつかに登っていると解説にあり、ますます人間像が身近に感じた。還暦を過ぎて、新幹線や電車もない当時、山まで歩いて行き、登ってくるのである。当時としては高齢にして、珍しく健脚でもあった。
好奇心旺盛な仙は、人生を楽しく生きて、笑を求めていたのであろう。この美術館を見終わってから、新宿の末広亭に行き、落語を楽しみ、笑わせてもらった。亀田兄弟等時事問題や政治、色恋の話なども出て、さすがバラエティー豊かな話題が盛りだくさんであった。

僕がいない場所

2007-10-14 20:14:07 | Weblog
渋谷まで行き、映画「僕がいない場所」を観た。映画館の場所がわからなくて、周辺をうろうろして探し回っていたら、やっと見つかって、入場券を買うと、上映時間を10分ぐらいオーバーしているといわれた。最初の肝心な部分が見えなかったのは残念だったが、次の回までは待てなかったので、見ることにした。途中からではあったが、なかなか見ごたえのある映画であった。
孤児院でうまく馴染めないクンデル(ピョトル・ヤギェルスキ)は、院を脱け出し、母(エディタ・ユゴフスカ)の元にいく。しかし、見知らぬ男と寝ていた母を許すことが出来なく、そこも飛び出す。居場所がなくなったクンデルは川辺に捨てられた艀船(はしけぶね)で暮らし始めた。そばには裕福な家があり、そこに住んでいて、親に愛されない寂しさや美しい姉への劣等感を抱える少女クレツズカ(アグニェシカ・ナゴジツカ)とも出会う。母親の愛を求め続けたクンデルが、再度親に会いに行っても、母親は男が来ないことに寂しさを表して、グンデルは、拒絶されて生きる孤独と切なさがびしびし伝わってきた。
この映画では、見放された少年の心の叫びが表情によく表れている。クンデルと交流や絆を深めていくクレツズカはすっきぱが目立ったが、無邪気な笑顔が良い。クンデルの痛みが理解できるのか、非常に同情的であり、何かと世話を焼いてくれる。クレツズカを演じるアグニェシカ・ナゴジツカは実際に監督が孤児院からみつけてきているとのこと。この映画では監督は素人の少年少女を起用しているが、演技が自然であり、迫力がある。自然の美しい情景や子ども同士の美しい絆も感じたが、親や子ども達が生きにくい社会を映し出して、鋭く子どもの心の闇や傷を描いている。ただ、その中で、生きる展望が見えにくかったことが気になったところでもある。


金時山

2007-10-11 21:14:00 | Weblog
久しぶりに金時山に登り、今回で11回目となる。この山は3000回を越えて登っている人もおり、100回、200回登頂者はたくさんいる。今日も金時娘さんに達筆な筆で登頂記念の色紙を書いてもらって渡された方もいる。
朝、和泉多摩川の駅で電車に乗ろうとすると、財布がないことに気づく。取りに戻る。そこで行くのをどうしようかと思ったが、やはり行くことにした。今回は何となく、「金時娘」さんに会いたくなったのである。今日は、奥にいて、ほとんど店に顔を出してこなかったので、あまり話を聞くことは出来なかったが、元気そうで、安心をした。小屋で、ビールを飲んで、そばをいただく。うまい。
今回は地蔵堂から登り、金時ハイキングコースを歩き、山頂に着いた。途中、路が台風の影響なのか、くずれたところがあって、迂回路が出来ていた。山頂近くのはしごのところで、小学生の遠足の大渋滞にぶつかり、なかなか進まなくて、時間がかかる。山頂もにぎやかであった。この時期は子どもの遠足で登る人も多いのであると店の人に言われる。登るとき、子どもは文句を言いながらも山頂では元気が良い。良い経験になると思う。
帰りは箱根湯本の温泉に入って、気持ちが良かった。帰りの電車でうとうとする。電車だと気持ち的に楽である。ゆっくりした気分である。

蓼科山

2007-10-07 15:54:45 | Weblog
日帰りで登れる山を探していたら、蓼科山なら登れそうだということで、深夜に出て、蓼科山に向かう。朝5時に女神茶屋登山口にある無料駐車場から登り始める。駐車場には数台の車があった。この時間ではまだ暗くヘッドライトをつける。さすがにこの時間はまだ誰も登らない。7時頃に山頂。
山頂では、360度の展望である。近くの八ヶ岳、南アルプスはもちろん、御嶽山や中央アルプスも見え、北アルプスの長い稜線がよくみえた。妙高など新潟の山、浅間山、奥秩父の山などがずらっと見渡せて気持ちが良かった。ただ風は冷たく、ずっとはじっとしていられなかった。下りも同じコースを歩く。8時過ぎに下り始めたが、さすが連休の中日、手軽に登れるこの山は、人気である。どんどん次から次へと登ってくる。こんなに登ってくるとは思わなかった。下の駐車場につくと、駐車場はいっぱいで、待機している車も何台かある。私が出ようとすると、待ってましたかのように入れる車があった。
やはり朝が早いと三文の徳かな。今回は早出で得したことが多かった。ETCの深夜割引は使えるし、休日でも混むのを避けることが出来る。駐車場はがら空きだし、帰りの高速も早い時間帯になったから空いていた。山の展望も朝早い時間帯で、山頂にいる間はよく見えたが、下に下りた頃には、山に雲がかかり、霞がましていた。ただ、登り始めに、高い笹が多く、夜露でズボンがぐっしょり、下りで歩いたときには笹はぬれていなくて、登ってくる人たちはぬれなくてすんでいる。私がぬれて、少しは水分をとってあげたのは誰も気づいてはいない。

エディット・ピアフ~愛の讃歌~

2007-10-04 18:45:09 | Weblog
オリヴィエ・ダアン監督の「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」を見た。エディット・ピアフの「愛の讃歌」「ばら色の人生」「水に流して」などの名曲は今日でも歌いつがれている。この映画は彼女の47年の迫力ある生涯を迫力のある歌とともに一気に駆け抜けて描いている。晩年が出てきたと思ったら、子ども時代が描かれたりして、時代を交錯させていて、わかりにくいところもある。監督は、「何かを思い出したときのように、考えやイメージを、ある時代から別の時代へと移動させたかった。・・・」と述べている。ピアフの恋人とのシーンで、幸福に浸る朝と恋人を飛行機事故で恋人を失った夜とを交錯もさせている。幸福に浸るシーンは夢をみていたのかとも思った。マリオン・コティヤールがこのピアフの20代ぐらいから47歳で死に至るまでを演じきっている。演技のすさまじさを感じた。歌が認められ、名声を経ていく過程と、恋人の死や本人も事故にあったりしながら、晩年は孤独を恐れ、破壊的になり、酒と薬に体を蝕まれた姿も交互に描いている。絶頂期は一瞬でジェットコースター的人生であったが、エディットピアフの人生はドラマチックであり、歌と名前は残り、引き継がれている。人生が歌と愛と情熱で燃え尽きたかのようである。凡人である私はすでにエディットピアフの生きた年を越えている。私の場合はある意味で、日々を淡々と生きて、永らえているのかもしれない。

幸せなレシピ

2007-10-01 20:57:11 | Weblog
幸せなレシピはドイツ映画『マーサの幸せレシピ』をハリウッドでリメイクした作品である。主人公のシェフを『シカゴ』のキャサリン・ゼタ・ジョーンズが演じる。
主人公はニューヨークで大人気のレストランで料理長を務めるケイトであり、完璧主義者でもあった。そんなケイトにある日、たった1人の肉親であった姉が事故死し、9歳になる姪のゾーイを預かることになるのだ。ゾーイを慰めようと、自慢の料理を作るものの、彼女はそれを食べようとせず、どうしていいかわからないケイト。さらに自分が休んでいる間に、レストランのオーナーは、勝手に副料理長として、アーロン・エッカートが演じるニックを雇っていた。ニックの性格は自由奔放で、ケイトとは正反対のタイプ。しかし、ニックは映画の上でも共演者としても、見事に女優を引き立てている。自分の聖域である厨房に、突如訪れた彼に、敵意むき出しとなるケイトだが、この出会いこそが、人生の転機ともなっていく。
一人でがんばってきた完璧主義者のケイトが、ゾーイやニックと出合い、母親としての役割、家族の問題、受け入れる愛を通して、人との触れ合いの暖かさや豊かさを大切に思うようになり、変化していく。それは料理にも変化し、食を通して人間関係を描いているようにも思えた。幸せな食事は何を食べるかだけではなく、いかに味わうかでもある。ケイトが新しい触れ合いを通して、仮面や束縛をはずして生き生きとした豊かな人生が開けていくようにも見えた。
幸せなレシピは新しい自分を発見することでもある。
ケイトが、「幸せになるレシピがあるのなら、教えてほしいわ」と聞く。 
 カウンセラーは応える。「自分のレシピが一番素晴らしい」