ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

雪景色の大山

2014-01-14 21:33:22 | 山歩き

連休がとれて、一日は山に登りたいと思い、この日は天気予報では、晴れマークだった。
行きやすい大山にしようと、朝、多摩川に出ると、富士山がよく見えて、奥多摩方向は澄み渡っている。しかし、丹沢方向は雲がかかっている。そこで、奥多摩にしようかとも頭にかすめたが、地図も持っていないので、やはり大山にした。前夜雪が降ったようで、伊勢原駅から大山行きのバスに乗り、終点で降りると、雪景色であった。大山寺の本堂はもともとは阿夫利神社下社にあったが、明治初年の廃仏毀釈によって破壊される。明治18年に全国の 信者たちの寄進によって再建された。大山は、古代の山岳信仰を母体に社寺を中心とする神仏混合の信仰拠点として形成され、近世は僧侶集団による運営がなされ、明治の神仏分離以降は神道組織と仏教組織がそれぞれ別々の運営を行い現在に至っている。大山は、またの名を「あふり山」という。あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起こったといわれる。この日は、晴れ予報だったが、山の上は雲が多く、段々雪も降るようになってきた。下は晴れていた。実際、大山は関東平野に突き出すように延びている丹沢山地の東端にあり、相模湾からの吹き込む湿った空気があたる関係で一年中雨が降りやすいとのことであるらしい。頂上の登山口から登り始め、粉雪交じりの雪が降り始めて、富士見台に着くと、富士山は見えず。雪景色の道を歩くことになり、山頂は人が少なかった。ガスっていて、景色はあまり見えなかったが、東京方向のスカイツリーや相模湾、江の島などはかすみながらも肉眼では見えた。下りも同じ道をたどる。だんだん人がたくさん登ってきて、雪道も解け始めていて、ぬかるみ始めていた。途中、鹿の親子に出会う。下社に下りてきて、大山阿夫利神社下社「参集殿」で、きのこカレーを食べる。ご飯が三角に盛られていたので、大山を形作っているのかなと思った。テラス越しに雪が舞っていた。下りは、無理をしないで、ケーブルカーに乗ることにした。帰りは伊勢原駅から東海大学前駅まで電車で行き、「さざんか」に入って、汗を流し、帰路についた。

小三治のやかんなめ

2014-01-13 15:59:37 | 落語
新宿末廣亭に行った。正月二之席の初日である。混むのを覚悟で家を早めに出たら、京王線が人身事故で運転を見合わせていた。そこで、小田急線の最寄りの駅まで行って、電車に乗る。少し時間がかかったが、前から4番目の席に座ることが出来た。正月興行なので、顔見世興行でたくさんの噺家が登場する。それぞれ噺は短いので、もったいないと思いながら、それなりの味わいもある。端折ってサゲまで辿り着く噺家、盛り上げたままで終わる噺家、漫談で終えてしまう噺家、マクラで盛り上げる噺家など様々である。南京玉すだれや寿獅子や松づくしなど正月にふさわしい興行も多かった。特に、三遊亭歌る多を中心にした女流落語家3人の松づくしは見事であった。花緑が、めでたい話をしたいといって、話をしたのが、昨年、末広亭の八月上席で昼夜の主任を努めたこと。たまたまその日は、昼の主任が正蔵であったが、泰葉の復活コンサートに正蔵が出てしまって、代演を頼まれて、昼夜の主任をすることになったとのこと。これは、圓生以来の30年ぶりの快挙だったと自慢。みんなに話をしてシェアできることがめでたいのであるという。そこに正蔵がラフな格好で登場し、落語を早くやれと言って一言。花緑はその後、「つる」をしっかりと演じる。
 夜の主任は小三治。やかんなめという滑稽噺。枕で、癪と合い薬の解説。江戸時代の病気といえば男は疝気(せんき)、女は癪(しゃく)。癪は種々の病気によって胸部・腹部に起る激痛の通俗的総称。医学が発達してなかった時代、その人の体質に合ったというか、おまじないみたいなもので「合い薬」というのがあった。たとえば女性特有の癪には男のマムシ指で患部を押すとピタリと治るとか、男の下帯、要するにフンドシで体をしばると治るとか、いろいろ迷信めいた治し方があり、これを「合い薬」といった。今は、体の仕組みなどもよく知られるようになってきた。小三治自身、昔の医者より、ずっと体のことは詳しいといっていた。今回のこの噺は、別名「癪の合い薬」という。
 向島に梅見に出かけた商家の奥様が突如、癪を起こして倒れてしまった。この奥様の合い薬はナント「やかんなめ」、つまりやかんをなめればすぐに治るのだが、あいにく持ってきてない。ついてきた女中が困っていると、向こうの方からヤカン頭の侍がお供を連れてやってきた。それを見た女中、奥様のためと侍に駆け寄り「お助けください」。事情を説明して、頭を舐めさせてくださいと必死の懇願。カンカンになって怒った侍は、「武士に対して何ということを。無礼討ちだ」と息巻くが、お供は笑い転げるばかり。このお供とのやり取りを小三治がすると、非常に笑える。そして、「お怒りでしたらどうぞお手討ちになさってください」と必死の思いの女中に侍は、「そこまでいうなら忠義なその方に免じて」と承諾する。やがて、侍が差し出した頭をベロベロ舐めた奥様は全快。治った奥様一行が去ったあと、侍は頭がヒリヒリするというのでお供が見ると、頭には歯形が残っている。お供は「ご安心ください。縫うほどのキズではございません」という。客席の笑いの渦の中に、ゲラゲラ笑う小学生の声が響いた。こういう話は、特に子ども受けがするのかなと思った。今となってはあり得ない馬鹿馬鹿しい話と思ってしまうが、病は気からということもあるので、江戸時代ではさもありなんという話であったのかな。とにかく小三治のやかんなめ、面白く、満足して、末広亭を後にした。