ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

柳家小三治師匠亡くなる

2021-10-11 21:35:29 | 落語
落語家の柳家小三治師匠が、7日午後8時に亡くなった。
小三治師匠のファンで、寄席や独演会にも通ったりしていたが、
亡くなって、非常に寂しい。最後の高座を聞いたのが、今年の
6月9日、調布で開かれた独演会で、「長短」と「粗忽長屋」だった。
マクラがいつものようにはいかなく、まとまりがなく、さすがに衰えを
感じたが、それでも小三治師匠が話すと、何となくおかしくて笑ってしまう。
以前、朝日新聞に次のような言葉が載る。
後輩たちに小言を言う。
「誰かが評価してくれるだろうと期待してやっている。そんなことより、
自分が何をしたいのかが大事だぞ。噺家としてばっかりじゃないよ。
人間としてそうなんじゃないの」と語る。
大病とも闘う。
「以前の私からすれば、今は負け犬です。剛直に生きようなんていうのは
ないですから、駄目なら駄目なりに、何とか生き抜いてやるさっていうことかな。」
もっともっと高座に上がっている姿を見たかった。非常に残念である。
ご冥福をお祈りします。

小三治の「千早ふる」

2016-01-13 22:01:17 | 落語
 小三治の落語を聞きに末廣亭に行く。今回も混むのを予測して、伊勢丹で、開店の10時半を待って、弁当を買って行く。11時前には末廣亭に着くが、やはり行列ができていた。それでも前から3番目の席が取れた。最初から聞いて、トリの小三治まで聞いたので、たっぷり落語を味わったことになる。
マクラは寄席の様子の違い、浅草、池袋、そして新宿と、小三治師匠は新宿生まれ、新宿育ちなので、新宿をひいきにする。噺の所々で新宿が出てきた。初日なので、お目出度い噺と来れば、在原業平にちなんだ噺で、千早ふるである。本筋の枕は、知らないのに知っている振りをする悪い奴。もっと悪いのが、知っているのに知らない振りをする奴。さらに悪いのが、知らないのに知らない振りをする奴。と言って、千早ふるに入る。
"ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは"の意味を八五郎は先生に聞きに行く。しかし先生はこの意味を知らない。それでも知らないといえないので、めちゃくちゃな解釈をして、小三治ワールドに入っていく。浪花節が入ったり、乞食の千早を遠くの山まで、ポヨヨン ポヨヨンと突き飛ばして弾ませるしぐさがあったり、跳ね返ってくる音(ホワンホワン)等面白い。そんな馬鹿なと思いながら、先生の解釈に聞き入っていく八五郎である。登場人物の描写、会話のやり取りやしぐさ、小三治ワールドをたっぷり楽しませてもらった。

小三治の「野ざらし」

2015-06-29 07:09:01 | 落語
6月の末広亭、下の席に、夜主任で、小三治登場ということで、聞きに行ってきた。11時前に着いたのだが、すでにたくさん並んでいた。前に並んでいた人たちが、なんでこんなに今日は人が多いのかなと言っていたので、今日は小三治が出るからですよと話すと、一人は仙台からきている人で、飛行機の予約の関係で、昼の部が終わったらすぐに出なければならないが、もう一人の方は、夕方帰るつもりでいたが、最後までいることにしたという。とにかく最初から最後までいられるので、たっぷり落語を聞くことが出来た。この日はトリで演じる演目がわかっていたかのように、他の人たちも幽霊話がいくつかあった気がする。小三治が演じるときは、二階席もびっしり埋まり、立ち見も出ていた。小三治は、まくらで、自分の笑い顔は苦手で、笑い顔の写真を撮りたくないという話から趣味の話になり、釣りの話に言及し、「野ざらし」。野ざらしは、上方では『骨釣り』という題名で演じられるが昭和50年代に月亭可朝がそのまま「野ざらし」の演題で東京風に演じたのをきっかけに上方でも浸透している。小三治も十八番にしているとのこと。
ある夜、長屋に住む八五郎の隣りから女の声が聞こえてくる。隣りに住むのは、堅物で有名な尾形清十郎という浪人。八五郎は、翌朝、浪人宅に突撃する。浪人はとぼけてみせるが、八五郎に「ノミで壁に穴開けて覗いた」と言われ、とうとう語り始める。浪人の話によると、向島で釣りをした時に野ざらしになった人骨を見つけ、手向けの句を詠み、回向の酒をかけてやったところ、何とその骨の幽霊がお礼に来てくれたというのだ。その話を聞いた八五郎、「自分も美人の幽霊と話がしたいから」と浪人から無理やり釣り道具を借りて向島へ行く。ほかの釣り客達に、「骨は釣れるか?新造か?年増か?」と質問して白い目で見られつつ良い場所へ陣取り、早速、骨釣りを始めた。「水をかき回すな」との苦情に。川面を思いっきりかき回したりと、八五郎の暴走は止まらない。だんだんと自分の妄想にはまり込んでいく。最後は、幽霊が来たシーンを一人芝居でやっているうちに、自分の鼻に釣り針を引っ掛けてしまった。「こんな物(釣り針)が付いてるからいけないんだよと、釣り針を川に放り込んでしまった。
小三治はこの話をよく取り上げるみたいであるが、初めて聞く。話自体、よく取り上げているので、聞く方も分かっていると思っているのか、マクラでほとんど言葉や関連の説明がないし、落ちも、分かりにくい所があった。それでも小三治が出てくると、超満員の客席がシーンとなり、何か言うと笑いの渦が巻き起こり、しぐさに可笑しさがある。八五郎の浮かれぶりもよく伝わってくる。笑いを無理にとろうとするのではなく、自然体に演じる妙味でもある。落語の面白さは、極端な思い込みの中で生まれてくる可笑しさでもある。自分たちも思い込んでしまうことがあるなと感じながら、他人ごとであるから笑いにつながるとも思える。

落語ワールドの傑作映画 幕末太陽傳

2015-01-25 21:55:29 | 落語
第二回、新・午前十時の映画祭で川島雄三監督の「幕末太陽傳」を見た。日活100周年記念デジタル修復版である。「幕末太陽傳」は、「居残り佐平次」を本筋において、「品川心中」、「三枚起請」、「お見立て」などの落語が散りばめられている。落語を題材にして、映画の傑作にしているのは珍しい。もともと落語の世界は人間の弱さや愚かさ、非常識などがモチーフとなりがちで、どちらかといえば単純であるので、映画の材料にはしにくい。しかし、「幕末太陽傳」が成功をしたのは遊郭を舞台にして何本かの落語を入れ込んでいるからであるといわれる。
映画の導入部は映画制作年当時の1958年の品川の赤線地帯の風景から始まる。売春防止法の制定(1956年)に伴い、まさにこの年に廃止となる。赤線は20世紀半ばまでの、約350年の長きにわたり江戸で続いた公娼制度である。昭和のこの時期まで続いていたのである。
フランキー堺演じる佐平次は、軽妙で魅力的である。まるでフーテンの寅さんのようである。「居残り」という恥ずかしい行為をしても、なんとなく憎めなく、逆に人を救ってしまうのである。
「相模屋」で夜を徹して飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを繰り広げてあげくに金がないと居残った佐平次が朝酒ついでに朝湯につかりながら、「三千世界の鴉を殺し~♪主と朝寝がしてみたい~」と流行りの都々逸(どどいつ)をうたうと、「その歌はやめろ!」と一緒に並んで風呂に浸かっている高杉晋作(石原裕次郎)に怒られる。「俺の作った歌だから恥ずかしい」という。攘夷派の長州藩士もこの「相模屋」を討幕の根城としていたのだった
「相模屋」の人気ナンバーワンの板頭(いたがしら)を競い合う、おそめ(左幸子)とこはる(南田洋子)は、犬猿の中。こはるに板頭を張られっぱなしのやや落ち目のおそめ、住み替えという、お女郎さんの衣替えのしきたりに使うお金の工面が付かずに悩んでいる。金がないのを笑われるくらいならいっそ死んでやると決心するが、一人で死ぬのも格好が悪いと、独身の馴染み客の中から貸本屋の金蔵(小沢昭一)を心中相手に決めてしまう。ここは落語の「品川心中」が題材になっている。
こはるは、馴染を取るためにはどんな事も辞さないやり手の女郎。「年季が明けたらあんたと必ず一緒になる」という起請文を乱発。毎晩あっちこっちの座敷を飛び回るが、何人もの男に起請文を渡してる事がバレてしまい、最後はつるし上げられてしまう。起請文にウソを書くと、熊野の鴉が三羽死ぬと脅されるが、「朝寝がしたいから烏を全部殺してやりたいのさ」と開き直る始末。落語の「三枚起請」が元になっている。
「相模屋」の放蕩息子徳三郎、北国(吉原)から付き馬を引き連れ朝帰りである。今の店の主人伝兵衛は、死んだ実の父の後に、母の婿養子で入った元番頭で、徳三郎は小馬鹿にして言う事など聞きはしない。こんなエピソードも落語を感じる。ラストは「お見立て」が題材となって、遊客が遊女を選ぶことをお見立てという。死んだとウソをついて欲しいとこはるに頼まれた佐平次だが、客に墓まで案内しろといわれ、でたらめに案内するが、墓も見立てになってしまう。
まさに昭和30年代の映画で、古典落語ワールドを楽しめた。

小三治の「時そば」

2015-01-22 11:26:22 | 落語
末広亭の正月二之席に小三治が夜主任を務めるということで、行きたかったのだが、仕事の関係で小三治が出る日は行かれないと思っていた。それでも、前回、チケットが一枚もらえたので、二之席に行き、さん喬が主任を務める「いくよ餅」を聞くことが出来た。これはこれで十分楽しめることが出来た。しかし、小三治も聞きたくて、たまたま小三治の出る日に、都内で会議があり、新宿に7時半頃に着いた。そのまま末広亭に行き、夜席の後半から入ることが出来た。平日であったにもかかわらず、さすが小三治人気で、立ち見であった。「時そば」である。マクラで、二八蕎麦の説明やそばが十六文であることの説明をした後に本題に入る。夜鷹そば屋で客がそばを誉めたてて、一文ごまかすしぐさをみて、真似をして、ほめるところがないのにもかかわらず、ほめ続けたあげくに、失敗をするさまはおかしい。表情やしぐさはいつもながら思わず笑いが出てしまう。そばをすするしぐさはさすがに上手く、名演である。

むかし家今松の「芝浜」

2014-12-30 16:51:04 | 落語
新宿末広亭は12月28日が寄席の千秋楽である。今年はあまり寄席に行っていなかったので、久しぶりに落語を聞きたいと思い、「芝浜」を聞きに行ってきた。いつものように歌之介の噺は観客から大爆笑がおきていたし、こいる・順子の漫才には、名コンビが成立したと思い、面白かった。トリを務めているのが、むかし家今松である。新宿末広亭の最終日、下席の落日は、ここ数年、今松の「芝浜」が恒例になっているのである。そのため、この日は、一階席は満席になり、2階席も開く。朝11時半には末広亭で並び、前から3番目の席に座ることが出来た。「芝浜」は、師走の時期の噺である。感動とか涙ちょうだいの話になりがちな「芝浜」を今松師は感情表現をおさえて演じている。そのため凝った演出もなく、感動というよりは、淡々と話す中で、心温まる話に出来上がっていて、ほのぼのとした心持となって、あっという間に40分近くの時間が過ぎた。今松の「芝浜」もいいなと思った。今年の笑い納めである。

柳家小三治 人間国宝へ

2014-07-19 11:32:13 | 落語
 先日、久しぶりに末広亭に行き、たっぷり落語を聞いた。二つ目昇進の春風亭朝之輔や古今亭始の喜びがほとばしる落語や末広亭初デビューという林家あずみの緊張した面持ちの漫談などを聞くことが出来た。昼主任の小ゑんの「ほっとけない娘」は仏像おたくの噺。最近奈良の仏像を見たりしたので、仏像の表情などうまくて、楽しめた。夜主任が林家たい平の「青菜」である。古典落語で爆笑をとり、さすがに上手い。今風のくすぐりがところどころにも出てきて、よく笑った。テレビでおなじみのたい平ではあるが、古典落語もきちんと演じられる名人である。小三治も派手さはないが、青菜」など滑稽話を得意とする名人であると思っていたら、小三治が人間国宝に認定されたとニュースで報じていた。
小三治は、いつも飄々と演じているので、顕彰されることにあまり興味がなさそうであるが、「あえて言いましょう、とてもうれしかったです」と表現する。しかし、「本当にうれしいのは勲章や肩書じゃない。寄席に来てくれるお客さま一人ひとりが喜んでくださるのがうれしんですよ」ともいう。面白いことは面白いので、あえて「面白そうにやらないこと」という流儀で自然体を強調している。笑いを取るというより「引きの芸」といわれる。落語をやめなかったのは、「人生と引き換えにしてもいいって思うほど、好きな落語だからです。」多趣味で枕も長くなることが多い。落語家としての人間国宝は師匠の五代目柳家小さん、三代目桂米朝(88)に続き3人目である。今回、人物や情景を巧みに描写し、ひょうひょうとした味わいのなかに自然なおかしみを醸し出す芸が、古典落語を正しく高度に体現していると評価された。

小三治のやかんなめ

2014-01-13 15:59:37 | 落語
新宿末廣亭に行った。正月二之席の初日である。混むのを覚悟で家を早めに出たら、京王線が人身事故で運転を見合わせていた。そこで、小田急線の最寄りの駅まで行って、電車に乗る。少し時間がかかったが、前から4番目の席に座ることが出来た。正月興行なので、顔見世興行でたくさんの噺家が登場する。それぞれ噺は短いので、もったいないと思いながら、それなりの味わいもある。端折ってサゲまで辿り着く噺家、盛り上げたままで終わる噺家、漫談で終えてしまう噺家、マクラで盛り上げる噺家など様々である。南京玉すだれや寿獅子や松づくしなど正月にふさわしい興行も多かった。特に、三遊亭歌る多を中心にした女流落語家3人の松づくしは見事であった。花緑が、めでたい話をしたいといって、話をしたのが、昨年、末広亭の八月上席で昼夜の主任を努めたこと。たまたまその日は、昼の主任が正蔵であったが、泰葉の復活コンサートに正蔵が出てしまって、代演を頼まれて、昼夜の主任をすることになったとのこと。これは、圓生以来の30年ぶりの快挙だったと自慢。みんなに話をしてシェアできることがめでたいのであるという。そこに正蔵がラフな格好で登場し、落語を早くやれと言って一言。花緑はその後、「つる」をしっかりと演じる。
 夜の主任は小三治。やかんなめという滑稽噺。枕で、癪と合い薬の解説。江戸時代の病気といえば男は疝気(せんき)、女は癪(しゃく)。癪は種々の病気によって胸部・腹部に起る激痛の通俗的総称。医学が発達してなかった時代、その人の体質に合ったというか、おまじないみたいなもので「合い薬」というのがあった。たとえば女性特有の癪には男のマムシ指で患部を押すとピタリと治るとか、男の下帯、要するにフンドシで体をしばると治るとか、いろいろ迷信めいた治し方があり、これを「合い薬」といった。今は、体の仕組みなどもよく知られるようになってきた。小三治自身、昔の医者より、ずっと体のことは詳しいといっていた。今回のこの噺は、別名「癪の合い薬」という。
 向島に梅見に出かけた商家の奥様が突如、癪を起こして倒れてしまった。この奥様の合い薬はナント「やかんなめ」、つまりやかんをなめればすぐに治るのだが、あいにく持ってきてない。ついてきた女中が困っていると、向こうの方からヤカン頭の侍がお供を連れてやってきた。それを見た女中、奥様のためと侍に駆け寄り「お助けください」。事情を説明して、頭を舐めさせてくださいと必死の懇願。カンカンになって怒った侍は、「武士に対して何ということを。無礼討ちだ」と息巻くが、お供は笑い転げるばかり。このお供とのやり取りを小三治がすると、非常に笑える。そして、「お怒りでしたらどうぞお手討ちになさってください」と必死の思いの女中に侍は、「そこまでいうなら忠義なその方に免じて」と承諾する。やがて、侍が差し出した頭をベロベロ舐めた奥様は全快。治った奥様一行が去ったあと、侍は頭がヒリヒリするというのでお供が見ると、頭には歯形が残っている。お供は「ご安心ください。縫うほどのキズではございません」という。客席の笑いの渦の中に、ゲラゲラ笑う小学生の声が響いた。こういう話は、特に子ども受けがするのかなと思った。今となってはあり得ない馬鹿馬鹿しい話と思ってしまうが、病は気からということもあるので、江戸時代ではさもありなんという話であったのかな。とにかく小三治のやかんなめ、面白く、満足して、末広亭を後にした。


小三治の転宅

2013-06-25 07:26:04 | 落語
新宿末廣亭6月下席の夜主任は小三治である。休みが取れたので、聴きに行くことにした。小三治が出るとなると、夜の部になっても、席は空かない。早い時間から行かないと、座りたい席には座れない。10時半開店の伊勢丹で弁当を買って、並ぶことにした。土曜は深夜寄席があるので、枕の話も抑えて、時間きっちりに終わっていた。泥棒の話から、石川五右衛門が出てきて、豊臣秀吉が信長に草履を温めた取り入った性格は気に入らないらしく、五右衛門が城内に入っただけで見せしめに秀吉が油で釜茹でした話などが枕で、本題の転宅の話に入った。泥棒より数段上手な横丁の囲いの女に騙されてしまう話。この人のよさそうな泥棒を小三治は見事にツボにはまったように演じる。おどけた表情が何とも言えない。無理して時間を作り、聴きに行った甲斐があった。満足して末広亭を後にする。

春風亭一之輔真打昇進披露興行

2012-04-08 16:51:52 | 落語
4月6日、夜勤明けの勤務で、朝10時半過ぎに勤務をあがれることになった。そこで、前回の末広亭でスタンプ10個貯まって、招待券が一枚あったので、急遽末広亭に行くことにした。12時前に着き、平日にもかかわらず、桟敷席まで人が入っており、やっと椅子席が一つ空いていたので、座ることが出来た。夜勤明けのため、最初の方はどうも眠くて、うとうとしていたが、少しずつ目が覚めてきて、志ん弥、歌之介、権太楼と爆笑して聞けることが出来た。夜の部も人は減らず、一之輔の真打昇進興行を楽しみにしている様子である。2階席まで埋まっていた。そして、小朝が出てきたし、勢朝の話も面白いと思って来てよかったと聞いていたら、勢朝から次はすごい人が出てきますよと言って、出てきたのが、小三治でびっくり。場内は拍手の音がひときわ大きくなる。小三治の噺は、三人旅は一人が寂しい思いをするので、旅は二人がいいというマクラから「二人旅」の話に入る。夜の部の中休みで一之輔真打昇進の口上が始まった。司会を市馬がし、木久扇、一之輔、一朝、馬風、小三治と並んでいた。皆、口ぐちに一之輔をほめて、小三治は大絶賛をしていた。一之輔の大物ぶりは間違いないようだ。馬風の紹介で市馬の相撲甚句、木久扇の声色、一朝の笛と芸を披露していた。小三治会長は実力主義を唱えており、今回の一之輔の昇進は21人抜きといわれている。協会の改革にも着手したともとれる。トリで春風亭一之輔が登場し、『雛鍔(ひなつば)』を演じる。ちょうどこの日は子どもの小学校の入学式で、椅子に座って人の話を聞く苦痛を味わった、という話をマクラにして、本題に入っていった。さすがに私自身が最後になってくると疲れが出てきて、集中が切れがちであったが、噺のうまさは感じた。緊張感をあまり感じなくて貫禄のある話し方である。長い時間座っていたが、満足して、末廣亭を後にする。