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ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

剱岳 点の記

2009-06-21 15:51:14 | 映画
「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です。」「剱岳 点の記」の中の一節である。原作は新田次郎。映画が公開された。日露戦争(1904年から1905年)直後に、軍の命令で「死の山」と恐れられた“未踏峰”剣岳への三角点埋設の命を受けた参謀本部陸地測量部(現国土地理院)、柴崎芳太郎と現地の案内人、宇治長次郎らの剱岳登頂の苦闘を描いている。剱岳は宗教上の理由から決して登ってはいけない山であった。日本山岳会との初登頂争いなども描かれていて、日本山岳会創始者でもある小島烏水が剣岳登頂を競う代表的な存在として登場している。監督は長年、黒沢明作品のカメラマンを務めた木村大作。初めての監督作品となった。まったくCGを使わないで撮影をしている。本物の山岳風景である。延べ約200日にわたって撮影。出演は主人公の「柴崎芳太郎」役の浅野忠信、山案内人の「宇治長次郎」役の香川照之、測量助手の「生田信」役の松田龍平、柴崎芳太郎の妻「柴崎葉津よ」役の宮崎あおいらと豪華なメンバー。点の記(てんのき)とは、基準点(三角点・水準点・基準多角点など)設置の記録のこと。
 あまりにも美しく魅了しくる大自然、かと思えば非常に厳しい大自然。自然の前では人間の存在はあまりにも小さい。山岳会との競争に焦ったり、仲間同士でも不協和音が流れることもある。しかし、共に大自然と対峙するうちに信頼関係も生まれてくる。結局はお互いにエール交換を行った山岳会とのフェアな関係は見ていて清々しい。逆に軍部の初登頂の威信にこだわる卑小さが際立ったように思われる。
 映画の中の測量隊の苦労は、そのまま映画の撮影隊の苦労でもある。剣岳を制覇するのも、映画作りも1人では出来ない。支えてくれる仲間があってこそやり遂げられた。最後に流れるエンドクレジットには「仲間たち」と書かれて、肩書きはなく、名前が並ぶ。
 一方で、物語として創作され展開され、史実との隔たりもあるようだ。立山信仰に篤い仏教徒の長次郎は測量登山の登頂の際は途中で断念したといわれている。民間人の日本山岳会の初登頂は小島鳥水ではなく、吉田孫四郎であり、その時に長次郎は案内人として登頂を果たしたことになる。年月の隔たりもある。原作や映画は史実と異なり、創作はあるにしても、結果がどうであれ、大切なのは、何をしようとしたかであり、柴崎芳太郎や宇治長次郎たちの偉業はかすむことはない。


雨月物語

2009-06-07 21:47:08 | 映画
映画全盛期に大映、日活などの撮影所がフル稼働していた調布市であるが、現在、映画館は一館しかない。その映画館キネマ開館20周年を記念して調布にゆかりの深い大映から、傑作6本を上映されている。「おとうと」を先日見て、今日は「雨月物語」を見た。
「雨月物語」の時は戦国時代。琵琶湖に近い村に住む貧しい陶工・源十郎は、戦乱に乗じて、陶芸品を売りながら、一穫千金を狙っていた。一方、侍になることを夢みる義弟の藤兵衛。2人は反対をされながらも、それぞれの女房を連れて琵琶湖を渡るが、海賊を恐れて、離れ離れになる。その後、藤兵衛は武士になるが、妻は娼婦になってしまう。一方、源十郎は、妻・宮木が子供を連れ、決死の覚悟で村へ戻ろうとするが、若狭姫と名乗る美しい女性と出会い、生活を共にすることになったが、彼女の正体は死霊。そのことに気づいて、家に戻っても、すでに時遅しである。地位や功名心、金に囚われる男が目立ち、耐える女が悲惨な状況に置かれながら、なにが大切かを男が悟ったときには既に取り返しがつかなくなっている。
時代は違っても、人間の強欲とか性分と言うのは普遍的なテーマになっていて、この映画が今でも通じるテーマになっている。「雨月物語」は怪談話が原作であるが、溝口健二の代表作でもある。京マチ子の妖艶な演技も良いが、田中絹代の演技が特に深い。

グラントリノ

2009-05-17 15:33:32 | 映画
グラントリノを見た。クリント・イーストウッド監督が、自ら主演して、孤独に生きる人種差別主義者の偏屈老人が、ひょんなことから隣人のアジア系移民家族と思いがけず交流を深めていき、変わっていく様を演じている。
グラントリノはアメリカフォード製の車、過去に自動車産業が栄えていた時期、デトロイトで作られた憧れの車である。フォード工場の熟練工で、朝鮮戦争の従軍経験を持つウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は、妻に先立たれ、72年製の“グラン・トリノ”を持ち、犬と一緒に孤独に暮らす。その彼の隣にモン族の少年タオの一家が越してくることから物語が進む。モン族はベトナム戦争に協力し、アメリカに亡命しなければならなかった過去も持ち、アメリカの多民族国家の一部になっている。このマイノリティの民族に対するまなざしもぬくもりがある。
頑固爺でもあるウォルトとタオの友情、タオ一家との交流や床屋との会話などは、ほほえましくてユーモラスで、笑える場面がたくさんある。タオの姉役のアーニー・ハーも魅力的だ。かつてイーストウッドは「ダーティハリー」など不正を打ち砕くのに銃を武器に使っていた。今回は時代の変化なのか、暴力が暴力を招く連鎖の恐ろしさもテーマとしてこめられている。復讐は復讐を呼ぶ。武器を振り回しても解決しない。この点で、イーストウッド映画の集大成的な意味もあるのではないだろうか。それは今のアメリカ社会への警鐘も鳴らしているようにも思える。とても素晴らしい作品である。最後の音楽も余韻に残る。

調布映画祭2009

2009-03-09 10:31:25 | 映画
調布で20回目となる「調布映画際2009」が3/4~8日まで開かれた。
調布では昭和8年、日本映画株式会社が建てた撮影所(現在の角川大映撮影所)が誕生。映画全盛期に大映、日活などの撮影所がフル稼働し、独立映画の撮影所もあった。現在も日活、角川大映の撮影所があり、大正時代から映画、演劇などの小道具を作ってきた高津装飾美術などがある「映画のまち」。昭和30年頃には、「東洋のハリウッド」とも呼ばれていた。 その後、映画産業そのものがかつての勢いを失ったといわれる中で、近年はコンピュータグラフィックなどの最新のデジタル技術を持った会社が活躍し、依然として映画づくりに欠かせない街となっている。山崎貴監督の所属している各種アニメーションや特殊効果制作を手がける株式会社白組(調布スタジオ)は調布にある。今回の映画祭も映画上映だけではなく、映画関連資料が展示されたり、映画のまち情報館があったりで、調布の映画関連の歴史や情報がつまっていた。
昨年、90歳にして初めて長編映画「夢のまにまに」を監督した、映画美術の巨匠木村威夫さんと、「ALWAYS 三丁目の夕日」の監督、山崎 貴さんをゲストにし、映画パーソナリティー伊藤さとりさんが司会をし、当時の調布や今後の日本映画界についてトークショーも開催された。私も仕事の合間を縫って、会場に出かけ、聴いた。日活全盛時代の記録映画を見ながら、木村監督のお話や「三丁目の夕日」で、昭和の世界をVFX(視覚効果)を駆使して見事に再現した山崎監督の話などなかなか興味深い話が聴けた。
映画祭は市民らによる実行委員会が作品を選定している。今回は「綴(つづ)り方教室」(昭和13年、山本嘉次郎監督)から映画全盛期の「赤線地帯」(昭和31年、溝口健二監督)、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」、「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」、「カンフーパンダ」「それでもボクはやっていない」「インディジョーンズ・クリスタル・スカルの王国」「母べえ」、活弁士による「チャップリンの冒険」など多彩な28作品がそろった。
これが全て無料であるので、見るよい機会でもある。
今回の映画祭もあまり時間がとれなかったが、「チンパオ-陳宝的故事」「州崎パラダイス赤信号」「母べえ」などの映画を見た。
「映画の街」調布を復活させたいという関係者の思いが伝わってくるような映画祭である。
 


旭山動物園物語

2009-03-05 10:22:19 | 映画
マキノ雅彦監督作品『旭山動物園物語』。動物の生態をそのまま見せる“行動展示”で一躍話題となった動物園。過去には「閉園」の危機に瀕した時期が幾度もあったが、今では日本一の入場者数を誇る有名な動物園になっている。
動物の親の愛情の深さ、親が子を世話をするという本能的な行為はもちろん、相手を一個のパーソナリティとして愛している姿や動物の表情など魅力もカメラはとらえている。ここまで映すのは大変だったと思われる。また、弱肉強食の世界で野生生物は生きているが、「人間は弱いものを活かすことが出来る叡智をもつ」という言葉も印象に残る。
 幾たびかの逆境にもあいながら、あきらめないでいろいろとアイデアを出しながら乗り越えようとしていく。一口ガイドの導入や冬期、夜の開園などである。そして、予算を引き出すためのプレゼンテーション、その「執念」もすごい。
 旭山動物園の滝沢園長(西田敏行)と新人飼育係・吉田(中村靖日)。このふたりの登場人物は、それぞれ園長と副園長が実在のモデルとなったといわれる映画である。

ベンジャミンバトン

2009-02-08 18:41:17 | 映画
ベンジャミン・バトンはF・スコット・フィッツジェラルドの短編小説をデヴィッド・フィンチャーが映画化している。第一次世界大戦時から21世紀に至るまでのニューオリンズを舞台に、80代で生まれ、徐々に若返っていく男の数奇な運命が描かれる。主人公のベンジャミン・バトンを演じるのはブラッド・ピット。共演はケイト・ブランシェット。ブラッド・ピットの一生を通した演技力は見事だし、ケイト・ブランシェットも年代によって美しさに魅力があって、ダンスまで披露している。二人の豪華な顔合わせである。
ベンジャミン・バトンは老人として生まれ、成長するにしたがって、どんどん若返っていく。次第に明かされる彼の生涯。上映時間167分、つまり2時間47分。内容的には数奇ではあるが、ある意味、盛り上がりに欠けて時間的には長い感じだが、その中に、色々考えながら見ることが出来た。人の一生を描けば、このぐらいの時間は必要になってくるでしょう。若返っていくということは未来があってよいと単純に考えるが、そうでもない感じ。人間は年をとっていくと赤ちゃん帰りをするといわれるが、色々なことを経験して老いていくことにも意味があるかなと思う。だんだん老いが身近に迫ってきている自分自身、どうなっていくのだろうという不安はあるし、壁にぶつかることは多いけど、限られた人生、前向きに生きたい。人生は、ひょんなことから決まってくることが多い。また偶然のかみ合わせで、事故がおきたり、運命が決まったりする。何が起こるかわからないのが人生でもある。そんなことを考えさせられるような映画でもあった。

天国はまだ遠く

2008-12-01 16:31:39 | 映画
シネセゾン渋谷で「天国はまだ遠く」を見た。
加藤ローサが演じる千鶴が都会生活に疲れ、山奥に建つ民宿田村を訪れ、大量の睡眠薬を飲み、自殺を図る。2日後に目覚めて、自殺は失敗。自給自足の民宿の主人は、チュートリアル徳井が演じる。秋の気配が濃厚な山里や満点の星などの自然風景を描きながら、千鶴の傷ついた心は、生きている喜びを感じ、その中で癒され、生きる活力をつけていく。また、食べ物も重要な役割をになっている。そばうち体験もあり、魚や鶏など生き物を食べて生かされているという実感ももちやすい。自殺未遂をして、目覚めた千鶴は自然を生かした豪勢な食事に旺盛な食欲をみせる場面が出てくる。まるで自殺未遂をして吹っ切れたかのようである。また、田村と出会い、その何気ない自然な優しさに触れていくことで、千鶴の孤独感も癒されていくのである。自然や食べ物で生きている味わいや実感を感じることができるのである。
同じように田村の中で止まっていた時間も千鶴との出会いで動き出したといってもよい。田村も千鶴にふれあいながらだんだん自分を取り戻していっている。二人は民宿の主人とお客であって、恋愛関係にはないので、その距離感がなかなかよい感じ、映画は進んでいく。
自分が生かされることによって、生きていくことが実感できる。生とのかかわりで相手の生も生きていく。生きていること自体も人に役に立ったりする。千鶴とのかかわりで救われた夫婦もある。
この映画は特に大きなドラマがある展開ではないが、心温まる映画ではある。瀬尾まいこの同名小説を長澤雅彦監督が映像化した。撮影地は日本三景のひとつ天橋立で知られる京都府宮津市。


レッドクリフ

2008-11-10 11:24:02 | 映画
映画「レッドクリフ」は、中国の「三国志」の中の"赤壁の戦い"をジョン・ウー監督の手で映像化された歴史スペクタクルである。その第一部(第二部は来春公開)が公開されている。天下統一という野望に燃える<曹操>は80万の兵力を使い、怒涛のごとく敵国を攻めていた。曹操軍に追われ敗走中の劉備は諸葛孔明を孫権の元に送り、蜀と呉の同盟を申し出る。そこで、劉備軍の諸葛孔明と孫権軍の周瑜の二人は、連合軍を結成する。しかし、その数、わずか6万。兵力で劣る連合軍は、知略と奇策によって戦いに挑んでいく。お互いに駆け引きがあったり、戦法でも、迫力があり、工夫されていて、おもしろい。そして、80万の大軍で迫り来る曹操の水軍を赤壁で迎え撃つ。いよいよこれからというクライマックスの合戦が生じるところで終わって、第二部に続くのである。エピソードも水牛泥棒の話とか、馬の出産の話とか、諸葛孔明と周瑜の合奏とか、色々と盛り込まれながら、話は展開していく。また、製作費100億円とのことで、さすが、すさまじい数の兵士と馬による戦闘シーンは迫力がある。ジョン・ウー監督は黒澤明を尊敬し、『七人の侍』を踏襲しているとのこと。
蜀の劉備を支えた名軍師・諸葛孔明を日本人の金城武が演じている。呉の孫権に仕えた水軍の将・周瑜をトニー・レオンが演じて、友情のドラマが展開されている。日本人としては中村獅童も出演している。周瑜の妻「小喬」を台湾の女優である林志玲(リン・チーリン)が演じて、重要な役回りの予感。美しく、芯の強い女性の存在感がある。絶世の美女の一人といわれている。

まぼろしの邪馬台国

2008-11-04 21:32:16 | 映画
堤幸彦監督、吉永小百合主演の「まぼろしの邪馬台国」を観た。昭和40年代の日本に邪馬台国ブームをもたらした目の不自由な文学者・宮崎康平と、彼を支え続けた妻・和子の絆を描くドラマ。吉永小百合は盲目の夫を支え続ける宮崎和子を演じる。邪馬台国に執念を燃やす宮崎康平には個性派俳優、竹中直人である。柳原可奈子、綾小路きみまろなど個性豊かなキャストも脇を固めて、とっぴな感じではなく、上手く味を出している。
 和子は、もともとNHK福岡放送に勤めていた時に宮康平と出会い、島原観光バスのバスガイド指導員として招かれ、康平が島原鉄道の代表取締役を解任される中、事実上の結婚生活に入っている。宮崎康平が妻和子の協力を得て書いた『まぼろしの邪馬台国』が1967年に第1回吉川英治文化賞を受賞している。
宮崎康平は島原鉄道の役員をしていて、過度の過労から1948年に失明したといわれる。また、妻が夫と子どもを置いて逃げ出した後に『島原の子守唄』の作詞作曲をしているのも宮崎康平であることを知った。映画の中でも歌う場面が出てくる。1957年に島原を襲った大水害の復旧現場の中で、土器の破片をみつけたことから、康平は邪馬台国の研究に没頭し始めたのである。邪馬台国を探し求める旅が始まる中、和子が康平の目となって協力するようになっている。ここから夫婦の共同作業となり、『まぼろしの邪馬台国』が出来上がる。宮崎和子さんご自身が言われているように、夫に尽くして犠牲的な生活を送ったと思っている方も多いでしょうが、楽しかった、いい生活だったとのこと。確かに破天荒な生き方をしていた夫を支えるのは大変であったと思われるが、それ以上に、人生を楽しむように、前向きに生きてこられたのである。また、この映画をみて、島原や熊本の自然の美しさが映し出されて、行きたくなる。『卑弥呼のテーマ A WORLD TO BELIEVE IN~ヒミコ・ファンタジア~』はセリーヌ・ディオンが歌っている。それにしても映画館は、吉永小百合見たさなのか、中高年以上の高齢の方がたくさんいた。相変わらず吉永小百合は若々しい。一方、若い頃とは違った深みも出てきている感じがした。竹中直人もなかなかいい。

おくりびと

2008-09-21 14:45:09 | 映画
遺体に死に化粧を施してひつぎに納める「納棺師」を主人公にした映画「おくりびと」を観た。
チェロ奏者の小林大悟(本木雅弘)は楽団が解散したため、故郷の山形に戻った。ひょんなことから納棺師の仕事に就くことになる。先輩納棺師を山崎努が演じている。大悟ははじめは嫌がっていた納棺師の仕事の重みと意義を、徐々に、体得していくのである。美人だと思ったら自殺したニューハーフの青年、ヤンキーの女子高生、幼い子を残して亡くした母親、たくさんのキスマークで送り出される大往生のおじいちゃん、ルーズソックスを履きたかったおばあちゃん。遺体にはそれぞれ違った表情があり、さまざまな境遇の別れが描かれる。ユーモアも交えながら、シリアスに描かれている。妻の美香(広末涼子)には冠婚葬祭の仕事とごまかして働いていたが、ばれてしまい、「汚らわしい」と言って家を出ていった。その後、美香もやがて戻り、大悟は納棺師としての誇りを胸に成長していく。
この映画を観て、父が亡くなったときに「納棺師」の仕事と接したのを思い出した。厳粛な仕事であり、手際よく作業を進めていたし、穏やかに手助けをしていただきながら私達遺族が納棺の作業に参加することができた。納棺はただ無造作に棺に納めればいいというわけではなく、遺体を整え、旅立ちの衣装を着せて棺に納めることなのだと思った。そのときは、女性二人であったが、堂々とした振る舞いであった。世間では忌み嫌われやすい死を扱った仕事ではあるかもしれない。しかし、実際には、死という悲しい場面ではあるが、その時の死んだ人や残されたものたちの表情を通して、人間の生き様と接している。その厳粛な場面に立ち会って、最後をできるだけ綺麗な形でおくるのである。誇り高き仕事でもある。