おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

テルマ&ルイーズ

2024-06-15 07:49:03 | 映画
「テルマ&ルイーズ」 1991年 アメリカ


監督 リドリー・スコット
出演 スーザン・サランドン ジーナ・デイヴィス
   マイケル・マドセン ブラッド・ピット
   クリストファー・マクドナルド
   スティーヴン・トボロウスキー
   ティモシー・カーハート ハーヴェイ・カイテル

ストーリー
横暴な夫に嫌気がさしていた主婦テルマと、ウェイトレスとして働くルイーズの2人は、週末を知人の別荘で過ごそうとドライブに出かけた。
途中立ち寄ったバーで、ハメをはずしたテルマはナンパ男ハーランの誘いにのり、酔っ払ったあげくに店の外でレイプされそうになる。
気づいたルイーズはテルマを助け出そうと衝動的に男を撃ち殺してしまい、2人はその場から逃げてしまう。
逃亡するにあたり手持ちの資金がそこを尽きてきたため、ルイーズは恋人ジミーにオクラホマ・シティへ送金を頼み、メキシコに向かうことにした。
途中立ち寄ったガソリンスタンドで知り合ったヒッチハイカーのJDを乗せ、送金先のモーテルにたどり着くと、そこにはジミーが待っていた。
心配してやってきたジミーに、彼を巻き込みたくないルイーズは何も話さず別れを告げた。
テルマのほうは部屋にJDを引き入れ、彼が強盗で仮釈放中の身であることを知った。
その晩、テルマはJDと一夜を過ごすが、翌朝、ジミーから受け取ったお金を持ち逃げされてしまっていた。
責任を感じたテルマはJDから聞いた強盗の手口を使ってマーケットからお金を奪い、2人はさらに逃亡を続けることになった。
一方、射殺事件を担当する刑事ハルは、バーの目撃証言から2人の行方を追っていたが、彼は2人が犯罪を起こすような人間ではないと確信していた。
そんな中、防犯カメラからオクラホマ・シティの強盗犯がテルマだと知り、ジミーの話からJDがお金を奪ったせいで強盗をしたと思い至ったハルは、やむにやまれず犯罪に手を染めた2人を無事に保護したいと考えていた。


寸評
女二人の逃避行を描いた作品だと思うが、では彼女たちは一体何から逃避していたのか。
それは退屈な毎日だ。
彼女たちは問題が降りかかって来ても、こんな楽しい日々はなかったと嬉々とするのである。
非日常を求めて二人は旅に出るのだが、テルマは横暴な夫に旅に出ることを告げることが出来ていない。
テルマのこの性格が後々に起きるトラブルの発火点となっているのだが、世間知らずのせいなのだろうが、少しバカではないのかと思わせるテルマのキャラ設定は面白い。
テルマに比べればルイーズは姉さん的に見えるが、テルマとは正反対のしっかり者と言うわけでもない。
時に滑稽な二人の言動を見ていると、僕は「俺たちに明日はない」のボニーとクライドを、「明日に向って撃て!」のブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの掛け合いを見ているようで懐かしく思えた。
アメリカン・ニュー・シネマの90年代女性版と評されるのも、この辺りにあるのではないか。

縛られていた日常から抜け出し、さあこれからエンジョイするぞという雰囲気が期待を持たせるのだが、立ち寄ったカントリー・バーでいきなり問題が発生する。
ルイーズは男の汚い言葉に反応して拳銃の引き金を引いてしまい逃亡劇の始まりとなる。
このテンポの良さが最後まで維持されていて、第64回アカデミー賞において脚本賞を受賞したのも頷ける。
ルイーズとジミーの間にある感情と、テルマと夫グリルの間にある感情の対比も面白く描かれており、テルマと違ってルイーズとジミーのエピソードは、物語の中で唯一と言いていいぐらいホロリとさせられる。
テルマの人の良さと浅はかさでジミーに都合してもらった金をJDに持ち逃げされてしまうのだが、このJDを演じているのが駆け出しのブラッド・ピットで、彼はこの作品で注目されて人気スターへの階段を上り始めることになる。
ジミーと共に良い人を思わせるのが刑事のハリーで、彼はやまれず犯罪に手を染めた2人を無事に保護したいと考えているのだが、二人はどんどん深みにはまっていく。
「彼女たちは利口なのか、それとも運がいいだけなのか」という刑事たちの言葉が面白い。
刑事のハリーはルイーズに昔からの友だちのように感じると言っているのだが、彼は本当に彼女たちが起こした殺人を正当防衛として思っていたのかもしれない。
しかし、人生そんなものだとばかりに狂いだした歯車が元に戻ることはなく二人は徐々に破滅に向かっていく。

ルイーズと、ダメ女だったテルマの関係が逆転する展開が、俄然映画を楽しいものにしている。
レストランを襲う時のテルマの行動は予想通りなのだが、スピード違反をした時の警官に対する時にはすっかり強盗犯が板についた態度になっていて面白い。
警官は二人に軽くあしらわれているのだが、そう言えば「俺たちに明日はない」でもボニーとクライドが警官をバカにして写真を撮っていたことを思いだした。
リドリー・スコットは「俺たちに明日はない」を意識していたのかもしれない。
最後はまるで「明日に向って撃て!」だ。
もしかしたらブッチ・キャシディとサンダンス・キッドは生き延びたのではないかと思わせたが、同様に本作でもテルマとルイーズも運よく生き延びたのかもと思わせる痛快なエンディングであった。
リドリー・スコットは「明日に向って撃て!」も意識していたのかもしれない。

ディファイアンス

2024-06-14 06:47:58 | 映画
「ディファイアンス」 2008年 アメリカ


監督 エドワード・ズウィック
出演 ダニエル・クレイグ リーヴ・シュレイバー
   ジェイミー・ベル アレクサ・ダヴァロス
   アラン・コーデュナー マーク・フォイアスタイン
   トマス・アラナ ジョディ・メイ

ストーリー
1941年、ドイツ軍がベラルーシを占拠し、ナチス親衛隊と地元警察がユダヤ人狩りを始めた。
8月、警官に両親を殺されたユダヤ人兄弟、トゥヴィア、ズシュ、アザエルはリピクザンスカの森に逃げ込むと、既に多数のユダヤ人が隠れていてキャンプを構えていた。
トゥヴィアが食料と武器を入手するため訪ねた父の親友コシュチュクに頼まれて他のユダヤ人たちも森へ案内することになった。
10月、武装して「ビエルスキ・パルチザン」と名乗るが、銃撃戦で2人の犠牲者を出し、アザエルも行方不明になってしまう。
食糧不足や不安から同胞の間でいざこざが起き始め、トゥヴィアは皆で生き残ることが復讐だと諭す。
トゥヴィアがコシェチュクに食料をもらいに行くと、2人の女性と一緒にアザエルが匿われ、コシェチュクは納屋に吊るされ死んでいた。
次第にズシュはトゥヴィアとの対立を深めていき、キャンプから仲間数人を連れて同地域で活動していたソ連の赤軍パルチザンに参加する。
1942年、ある日キャンプの見張り役がドイツ軍の伝令を捕まえるが、伝令が持っていた命令書には森を包囲すると書かれていた。
赤軍パルチザンは敵から逃れるため、ズシュ達の抵抗にもかかわらずユダヤ人を見捨てて撤退を始める。
まもなくドイツ軍によるキャンプへの攻撃が始まり、アザエルらがキャンプに残り時間を稼ぐ間、トゥヴィアが仲間を誘導して森の奥へと進むが、大きな沼に直面してしまう。
そこにアザエルが戻ってロープやベルトで全員をひと繋ぎにして、何とか大きな沼を渡り切った。
しかし、そこには戦車を伴ったドイツ軍が待ち構えており、彼らの命を掛けた戦闘が始まった。


寸評
ナチスによるユダヤ人の迫害は反戦映画の一つのテーマとなってきた。
そこではナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った絶滅政策・大量虐殺、いわゆるホロコーストのひどい状況が描かれてきた。
我々は映画を通じてユダヤ人が受けてきた悲惨な状況を目の当たりにしてきた。
本作でもユダヤ人たちは虐殺の対象となっているが、違うのは武器を持ち抵抗していることで、無抵抗のままに殺された者ばかりではなかったと知らされる。
それでもやはり迫害から逃れる生活は過酷だ。
ただし、武器を奪い反撃する様子が描かれることで、知らされてきた彼らの悲惨な状況に加えて別の一面の新たな知識が加わった。
もっとも、寒さに耐える姿とか、食糧不足による上の苦しみなど、実話を描いているとは言え本当の彼らはもっと悲惨な状況だったのではないかと思ってしまう。
食べ物を搾取する者との仲間割れ、ドイツ兵に犯され身ごもってしまったしまった女性の存在、強奪とも思われる食料調達、寒さにひたすら耐える状況などが描かれるが、僕にはそれらが状況説明にとどまっていたように思われた。
牛乳や毛皮を奪われたドイツ軍の道案内をしてくるユダヤ人、ドイツ軍に協力するユダヤ人警察など、ユダヤ人同士の中にあった軋轢などは、一方における悲惨な状況を生み出していたと思うし、あまり深くは描き込んでいないが、アウシュビッツでもユダヤ人の監視をユダヤ人にやらせていたことも含めて、人間の弱さを見る思いだ。

家族を殺された彼らのドイツ兵に対する憎しみが爆発するのが、斥候のドイツ兵を拉致して連れ帰った場面だ。
自分の息子の名前を叫んで殴りかかる女性を発端に、同じ恨みを持つ人たちがその捕虜を皆で撲殺する。
それも非人間的な行為だが誰も止めることは出来ない。
それほど彼らの恨みは強かったと言うことだが、僕は「七人の侍」における老婆の姿、そして「オリエント急行殺人事件」を思い出していた。
人間が抱く愛とか尊敬とか思いやりとかの美徳よりも、恨みと言う感情はそれらを上回るのだろう。
恨みの感情が紛争を生み出している。

トゥヴィア達が大きな沼に直面してしまってたじろいでいる所へ、アザエルが戻ってきて叱咤激励して沼を渡るのだが、この時のアザエルはすっかりたくましくなっており、世代交代をうかがわせる。
そして彼らは生き残り、最後にテロップで彼らのその後が示される。
辛くも生き残ったトゥヴィア達一行にズシュも加わり、その後2年間は森に残った。
新しいキャンプには学校と病院、保育所もあった。
追われながらも人数は増え続け、終戦時に生き残った者は1200人もいた。
イスラエルの地ではなく、ここにユダヤ人国家が設立されていれば今日の中東紛争はなかったのだろうが、やはり自分たちのルーツの地でないとだめだったのだろう。
活躍した彼らのその後も知らされるが、アザエルはやはりそうだったのかと胸が痛くなる。

土を喰らう十二ヵ月

2024-06-13 06:51:59 | 映画
「土を喰らう十二ヵ月」 2022年 日本


監督 中江裕司
出演 沢田研二 松たか子 西田尚美 尾美としのり
   瀧川鯉八 藤巻るも 久住小春 佐藤優太郎
   檀ふみ 火野正平 奈良岡朋子

ストーリー
信州の山奥で暮らす作家のツトム(沢田研二)は13年前に妻を亡くし、今は自ら作った野菜や、山から取った山菜を自らが調理して食べるのを喜びとし、担当編集の真知子(松たか子)がたまに訪ねてくるのも楽しみだった。
立春(りっしゅん)、まだ雪が残る中、訪ねてきた真知子を囲炉裏にあて、お茶と干し柿を出すツトム。
啓蟄(けいちつ)、畑で抜いてきたほうれん草を茹でて水に浸し、おこげが出来たご飯を頂いた。
清明(せいめい)、ツトムはセリを取りに行き、セリご飯にしてワサビの胡麻和えとウドの味噌汁で頂いた。
立夏(りっか)、少し変わり者の亡き妻の母チエ(奈良岡朋子)を訪ね、ツトムはチエからご飯と漬物と味噌汁を出され、亡くなった妻の墓を作れと急かされた。
小満(しょうまん)、筍を柔らかくなるまで煮込むと、臭いに誘われるかのように真知子がやってきた。
芒種(ぼうしゅ)、拾った梅で梅干し作り。
小暑(しょうしょ)、亡くなった住職の娘から、遺言とのことで梅干しを受け取り、亡くなった人のことを思い涙した。
立秋(りっしゅう)、たくさん育ったキュウリと茄子をぬか漬けにするためにぬか床に押し込んだ。
処暑(しょしょ)、亡くなった妻の弟夫婦からチエの様子を見てくれと言われ、訪ねるとチエは亡くなっていた。
白露(はくろ)、チエの葬式がきっかけで、土で自分の骨壷を焼いてみようと考えた。
秋分(しゅうぶん)、庭の窯の中で倒れて入院していたツトムはようやく退院した。
寒露(かんろ)、ツトムは今日1日生きれば良いと考えるようになった。
霜降(そうこう)、もう来ないかもと言っていた真知子がやってきた。
立冬(りっとう)、寒さは厳しくなりつづけているが、ツトムは書いては寝るを繰り返していた。
冬至(とうじ)、近所の方のご厚意で、玄関に白菜と味噌の入った樽が置かれていた。


寸評
僕は元をただせば中学生になるまで田舎の百姓家で育った。
ツトムさんほどの田舎ではなかったが、それでも半ば自給自足気味の所があって、僕も土から育った野菜が食生活の食材となることが多かった。
大根、ナス、キュウリ、カボチャ、トマトに玉ねぎ、豆類はエンドウ、お多福豆、インゲン、枝豆などだ。
ジャガイモ、サツマイモ、里芋などの芋類もあった。
白菜、キャベツ、小松菜、水菜、ほうれん草などの葉物もよく出た。
肉はもっぱら飼っていた鶏の鶏肉だが、それは大勢が集まる特別な日だけで、牛肉は食べた記憶がない。
季節が良くなった日曜日や夏休みは家の前を流れる寝屋川で魚釣りをし今では高級魚に数えられる、釣った魚のモロコや鮒は甘露煮として夕食のお供となった。
餅つきの日に堤防に生えているヨモギを獲りに行きヨモギ餅の材料としたし、ツクシも食べたことがある。
そんな子供の頃を思い出させる映像が次々と出てくる。
野良仕事が忙しくて手の込んだものは出てきたことがなかったので、ツトムさんの作る料理は家庭料理研家の土井善晴氏が監修しているだけあってとてつもなく美味そうに感じられた。
主演の沢田研二よりも松つたか子の食べる様子が、より一層素朴な味を美味そうに感じさせた。

季節と共に淡々と進む映画だが、アクセントを付けているのが、時折、料理と酒を一緒に楽しむ相手の東京からやってくる担当編集者の真知子の存在である。
二人の間には、男と女の微妙な気配があって、真知子は年の離れた恋人でもありそうなのだが、ツトムのかたわらにはまだ妻の遺骨があることで、二人の微妙さを浮きだたせている。
ツトムにとっては真知子は真知子と呼び捨てに出来る都合の良い女性だ。
編集者でもあるので時々会いに来てくれる。
ツトムの妻は真知子の先輩らしく、真知子は仕事上ですっかり世話になっていたことが語られる。
いつまでもあるツトムの中にある妻の存在が、ツトムから「ここで一緒に住まないか」と誘われた時に返答を渋らせた理由であろう。
真知子が一緒に暮らす決心をすれば一人でいたいと言い出すツトムの身勝手さに、しびれを切らして別の男と結婚する真知子も強い女だと思わせる。

ハイライトは義母の葬式の場面だ。
懇意にする大工さんが祭壇や棺桶を作り、写真屋さんは大きな遺影を作って持ってくる。
思ったより大勢の参列者になったので大急ぎで真知子と料理を作る姿が微笑ましい。
義母の息子は母親と疎遠だったのでオロオロするばかりだが、母親との関係は嫁の存在がそうさせたのかもしれないなと思わせる。
晴耕雨読の生活をどこかでうらやむ気持ちがある。
住人たちとの和やかな交流があれば尚更だ。
我が家も隣家から筍や庭になった果物を頂いたり、近所の知人から貸農園で獲れた野菜を貰ったりしている。
自由人となった今の僕は、半ば晴耕雨読の生活の様なもので不満はない。

TITANE/チタン

2024-06-12 07:10:35 | 映画
「TITANE/チタン」 2021年 フランス / ベルギー


監督 ジュリア・デュクルノー
出演 ヴァンサン・ランドン アガト・ルセル
   ギャランス・マリリエ ライ・サラメ
   ミリエム・アケディウ ベルトラン・ボネロ ドミニク・フロ

ストーリー
少女アレクシアは父の運転する車で交通事故にあった。
父は幸いにも軽傷で済んだものの、頭蓋骨に大怪我を負ったアレクシアは頭部と首を固定するためのチタンプレートを埋め込むという大手術を施された。
退院したアレクシアはその頃から自動車に対して愛情にも似た強い親近感を抱くようになっていった。
それから21年後、32歳になったアレクシアは未だに側頭部に消えることのない大きな傷跡を残していた。
アレクシアはモーターショーのショーガールとしてステージで情熱的なパフォーマンスを披露し、客の男たちの視線を釘付けにする一方で若手のジャスティーヌに対して性的な興味を覚えていくようになっていた。
そんなある日の夜、ショーを終え駐車場にいたアレクシアの前にひとりの男性ファンが現れ、唐突に愛の告白をすると強引にキスをするなどして迫ってきた。
アレクシアは金属製のヘアピンで男を刺し殺し、死体を車の後部座席に隠した。
そしてシャワーを浴びたアレクシアはショールームに向かい、展示されているマッスルカーに裸で乗り込むと何と車と性行為に及んでしまう。
翌日からアレクシアはお腹の痛みを感じ、股間から血ではなくオイルが漏れてくるなどの異常をきたした。
アレクシアは自分が妊娠したことに気付き、独力で中絶しようと試みたが失敗に終わった。
その夜、アレクシアはジャスティーヌと身体を重ねた。
アレクシアはヘアピンでジャスティーヌを刺し殺し、現場を目撃したルームシェアの者たちを次々と殺した。
そして自宅に戻ったアレクシアは両親を寝室に閉じ込め、家に火を放って焼き殺した。
連続殺人犯として追われる身となったアレクシアは10年前に当時7歳で失踪した少年アドリアンになりすますことを思いついた。


寸評
何かわからない映画だが、何だかスゴイ映画を観たという気がする。
しかしこの作品は好き嫌いがはっきりする映画でもあると思う。
サスペンスのようでもあり、ホラーのようでもあり、作品自体は極めてグロテスクである。
だいたい車とセックスするなんて奇想天外な発想である。
それに比べれば体にチタンプレートを埋め込むことなど序の口だ。
アレクシアがステージで情熱的なパフォーマンスを披露したかと思うと、彼女による殺人が次々と起きる。
殺人の様子はサスペンスというよりホラー映画に近いものがある。
ジャスティーヌを初め、そこに集まっている殺人の目撃者を次々殺していくが、この時のアレクシアはまるで精神異常をきたした殺人鬼だ。
黒いフードをかぶり指名手配から逃れる様子はサスペンスの様相を呈するが、連続殺人犯を追及するサスペンスを追及する作品ではないことが雰囲気からして分かる。
妊娠したアレクシアは行方不明になっている男の子に成りすまして父親と暮し始める。
父親のヴァンサンは、目の前にいるのが本当に息子だと思っているのか、それとも偽者だと知りながら接しているのかよく分からない。
アレクシアは男と偽り、アドリアンと偽っているのだが、ヴァンサンもまたホルモン注射のようなもの打って老化を防ぎ、消防士の隊長として男の中の男であることを演じている。
偽装者として同類のものを感じていたのかもしれないが、僕は初対面の時のDNA鑑定を拒否した時から実の息子ではないことを認識していたのかもしれないなと思っている。
さすがに実の母親は産み落とした子供だけに、即座に息子ではないと見抜いている。
そこで母親がアレクシアに要求する内容が老後問題を髣髴させて面白い。
ヴァンサンが老化を必死で押しとどめていることと連動してくる。

アレクシアは消防士として活動していくが、同時にお腹は大きくなっていき出産時期が近づいてくる。
秘密を知る消防士ライアンは消火活動中の森林火災で爆死してしまう。
アレクシアの出産が始まると、一方ではヴァンサンも衣服を燃やしている。
冷たい金属と熱い炎のイメージが重なり合う。
父親のヴァンサンがアレクシアの出産を手伝う。
僕は出産に立ち会ったことがないのだが、映像からは出産の苦しさが伝わってくる。
必死の形相でアレクシアは子供を出産してこと切れるが、車と行為に及んで生まれた子供は・・・という驚くべき展開である。
色々な作品を連想されているようだが、僕はロマン・ポランスキーの「ローズマリーの赤ちゃん」を思い出していた。
ローズマリーは、悪魔の子という真実を知ってもなお、母として子供を育てることを決意した。
ここでは父親のヴァンサンがその役目を負うのだろう。
そう思いながらも、結局この映画は何だったのだろうと思わずにはいられない。
父性愛と、母性愛を描いていたのだろうか?
僕には何かよくわからない映画で、カンヌではパルムドールに輝いたが、カンヌは時々変な作品を選ぶ。

探偵物語

2024-06-11 07:02:06 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/12/11は「日本のいちばん長い日」で、以下「ニュー・シネマ・パラダイス」「ニワトリはハダシだ」「人間の條件」「人情紙風船」「ヌードの夜」「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」「眠らない街 新宿鮫」「眠狂四郎 勝負」「野いちご」と続きました。

「探偵物語」 1983年 日本


監督 根岸吉太郎
出演 薬師丸ひろ子 松田優作 秋川リサ 岸田今日子
   北詰友樹 坂上味和 山西道広 清水昭博
   林家木久蔵 藤田進 中村晃子 鹿内孝 荒井注
   蟹江敬三 財津一郎 

ストーリー
女子大生の新井直美(薬師丸ひろ子)はあと一週間で父親の待つアメリカに旅立つことになっている。
ある日、直美は前から憧れていたサークルの先輩・永井(北詰友樹)に誘われた。
永井は海辺の店でペンダントを二つ買い、一つを直美にプレゼントする。
そして、いつしか二人はホテルの一室にいた。
そこに突然、直美の伯父と名乗る男が飛び込んできて永井を追い出してしまう。
この男・辻山秀一(松田優作)は私立探偵で、直美の父の元秘書・長谷沼(岸田今日子)から、彼女のボディ・ガードに雇われたのだった。
ある日、辻山の別れた妻・幸子(秋川リサ)が、彼女の愛人で岡崎組のドンの跡取りである和也(鹿内孝)がホテルのシャワー室で何者かに刺殺されたと辻山のアパートに飛び込んで来た。
ホテルは密室状態で犯行のチャンスがあったのは幸子だけだったので、警察と国崎組の目は幸子へ向かう。
国崎組の追手が迫る中、三人はどうにか脱出し、直美の家へ逃れた。
直美は幸子をかくまい辻山と二人で真犯人を見つけようと言い出す。
そして、和也の葬儀に出かけた直美は、未亡人の三千代(中村晃子)と国崎組の岡野(財津一郎)が一緒に出かけるのを見つけた。
そこに辻山も現われ後を追った二人は、三千代と岡野のベッドでの会話の録音に成功するが、国崎組に追い回される。
ある夜、辻山と幸子がベッドにいるのを見て、ショックをうけた直美は、街をさまよい見知らぬ男の誘いにのる。
その男と入ったホテルは和也が殺されたホテルであった。


寸評
典型的な青春映画、アイドル映画であり、作品としての中身はあまりない。
惜しまれながらも早世した松田優作が薬師丸ひろ子と共演していること、監督が根岸吉太郎である事で存在価値のある映画だと思う。
根岸吉太郎は日活に入社したこともあって、当初は日活ロマンポルノ作品を撮っていたが僕はそのころの作品を見ていない。
存在を知ったのは1981年の「遠雷」で、その後「ウホッホ探険隊」などを撮った後、2000年代には「雪に願うこと」「サイドカーに犬」「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」などと僕好みの作品を撮っているので僕にとっては注目すべき監督の一人となっている。
「探偵物語」はこの頃はこのような作品も撮っていたのだなと懐かしく思う作品である。

さて本作だが、アイドル映画らしく裕福な家庭のお嬢さんを探偵の青年がボディ・ガードとして雇われ、やがて二人の間に恋が芽生えるというものである。
実際に大学生となっていた薬師丸が等身大の女子大生を演じている。
1981年の「セーラー服と機関銃」が高校生の役だったので、本作では年齢に合わせて少し成長していたわけだ。

主人公の直美が先輩の永井に憧れていたが、やがてボディ・ガードの辻山に恋していくというのは青春映画としては普通の展開で驚くものではない。
しかし国崎組とのドタバタに紛れて、その恋の変遷は明確ではないし、辻山に恋心を感じるきっかけも描かれていない。
辻山の元妻とのベッドシーンを見て動揺するのがその表れなのだろうが、初めて恋していることに気がついたのか、その場面を生で見てしまったことによるショックだったのかは曖昧だ。
もちろん前者であるはずなのだが、その印象は乏しいものとなっている。
密室殺人の種明かしも平凡だし、新犯人も推理劇の常として予想外の人物と思えばある程度予測がつくものだ。
全体的にはそのような消化不良の部分が多いのだが、しかし終盤に直美が辻山に愛を告白するシーンは、お互いの気持が噛み合わない様子を表すための1カット1シーンの長回しになっていて、薬師丸はこの5分に渡る時間によく耐えたと思う。
濃厚なキスシーンによるラストはアイドル映画としては異例だが良かったのではないか。
ままごとみたいなシーンの連続なのだが、辻山と別れた妻の幸子が会話する場面だけはしっとりとしている。
二人が離婚した時のいきさつを語るシーンや、二人が釈放された後に交わす会話などは大人の世界の会話で、愛というものを感じさせ、この作品の中では少し違ったトーンで描かれていたと思う。

松田優作と共演していることは特筆ものなのだが、松田優作が持ち味を発揮していたとは言い難い。
薬師丸ひろ子のための映画であったが、父の元秘書で母親代わりとなって薬師丸の面倒を見ている長谷沼さん役の岸田今日子が一番面白かった。
父との愛情を尋ねられて「いいません、言えば減りますから」には大笑いした。
主題歌はお気に入りである。

誰よりも狙われた男

2024-06-10 07:02:06 | 映画
「誰よりも狙われた男」 2013年 アメリカ / イギリス / ドイツ

                                     
監督 アントン・コルベイン                                    
出演 フィリップ・シーモア・ホフマン レイチェル・マクアダムス
   ウィレム・デフォー ロビン・ライト グリゴリー・ドブリギン
   ホマユン・エルシャディ ニーナ・ホス ダニエル・ブリュール
   メディ・デビ ヴィッキー・クリープス コスティア・ウルマン

ストーリー
ドイツの港湾都市ハンブルク。
ドイツ諜報機関でテロ対策のスパイチームを指揮するバッハマンは、密入国した青年イッサをマークする。
イッサはイスラム過激派として国際指名手配されている人物だった。
テロ対策チームを率いるギュンター・バッハマンは、彼を泳がせてさらなる大物を狙う。
一方、親切なトルコ人親子に匿われ政治亡命を希望するイッサを、人権団体の若手女性弁護士アナベル・リヒターが親身になってサポートしていく。
イッサはアナベルを通してイギリス人の銀行家トミー・ブルーと接触を図る。
ブルーの銀行にテロ組織の資金源である秘密口座の存在が疑われるため、バッハマンはその動向を監視していた。
ドイツの諜報機関やCIAがイッサの逮捕に動き出す中、彼を泳がせることでテロ組織への資金援助に関わる大物を狙うバッハマン。
アナベルとトミーの協力を強引に取り付けるや、ある計画へと突き進むバッハマンだったが…。


寸評
スパイ映画ではあるが派手なアクションや銃撃戦などはない沈鬱とも言える静かな映画だ。
しかし、9.11事件によって大きく様変わりした諜報戦の現場をリアリティたっぷりにみせる。
舞台はドイツのハンブルグで、ハンブルグといえば9.11実行犯の潜伏先で、テロの兆候に気づくことができなかったトラウマがあることが冒頭でスパーインポーズされる。
9.11は米国を中心とする西側諸国にとっては想像以上に大きな出来ごとだったことがよくわかる。
それはドイツ諜報機関内の路線対決や米国CIAの介入でことさら強調されている。
バッハマンには過去に情報提供者を死なせてしまった後悔の念が有り、できれば無駄な殺生をさけたいとの気持ちが有るようなのだが、それとは対象的に米国などは(映画ではドイツも含めて)テロでやられる前に、その温床になりそうなものは誰であろうとも事前に力で叩き潰してしまうのだといったポリシーで動いているようなのだ。
それはあたかも9.11以前と以後の対応の違いを象徴しているようでもあった。
ラストの有無を言わさぬ行動などは、まるでイラク戦争じゃないかと思ってしまう。

作品としては丁寧な描写が見所で、バッハマンがいつも煙草を吸っていて、その吸い方に彼の性格を表しているようなところまで行きとどいている。
リアリズム追求のスパイ映画で、ラブロマンスなど入り込む余地などないのだが、バッハマンが尾行中のカモフラージュのための抱擁シーンでみせるチーム女性の見せる表情など、細かいところまで気を配っていて、チーム全体の人間臭さも醸し出し、通り一辺倒な組織体として描いていない。
そんな細かな配慮が、諜報戦という我々からすれば想像の世界をリアリティのある現実世界に感じさせるのだろう。
冒頭から静かに進んできたが、最後にこの映画で唯一といえるバッハマンの叫びで終わるが、最後は彼の無念さと世界の不毛を感じさせ、その印象は強烈だ。
2014年10月23日、カナダの国会議事堂でイスラム信者の犯人による銃の乱射事件が有り、カナダ首相の直前まで迫るという事件が発生したというニュースを目にする。
当時そのタイムリーさで、私達の考えている安全保障のイメージが時代遅れになりつつあることを、この映画は冷酷に突きつけていたのだと思うに至った。

バッハマンを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンは「カポーティ」を見て、これはオーソン・ウェルズの再来だと注目していたのだが、46歳の若さで急逝してしまった。
稀代の俳優を失ったことになり、その若さと共に実に惜しいことをしたと思う。

ダ・ヴィンチ・コード

2024-06-09 06:07:53 | 映画
「ダ・ヴィンチ・コード」 2006年 アメリカ


監督 ロン・ハワード                                   
出演 トム・ハンクス オドレイ・トトゥ イアン・マッケラン
   アルフレッド・モリナ ジャン・レノ ポール・ベタニー
   ジャン=ピエール・マリエール

ストーリー
ある日、ルーヴル美術館で館長のジャック・ソニエールが殺害される事件が起こる。
遺体はダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」を模した体勢で横たわり、周囲には不可解な暗号らしきものが記されていた。
フランス司法警察のファーシュ警部は、講演のためパリに滞在していたハーバード大学教授ロバート・ラングドンに協力を依頼、事件現場に呼び出す。
宗教象徴学の権威であるラングドンはさっそく暗号の解読を始めるが、この時警部はラングドン自身をこそ疑っていた。
暗号の中にラングドンの名前があったのだ。
そこへ、暗号解読官ソフィー・ヌヴーが現われる。
ソニエールの孫娘である彼女は、残された暗号は自分宛てで、ラングドンは無実だと気づいていた。
ソフィーはラングドンと共に残りの暗号解読に乗り出した。
そして同時に、事件解決には彼の力が不可欠なことを悟った彼女は、突然、ある驚きの行動に出るのだった…。


寸評
世界的に大ヒットしたと言われるダン・ブラウンの同名小説の映画化で、ロン・ハワード監督の下にヒット作品に出続ける俳優としてギネス認定されたばかりのトム・ハンクスが主演ということで大キャンペーンが張られた。
何だか大相撲の優勝決定戦が肩透かしで決まってしまったような物足りなさは何処からくるのだろう?
前記の宣伝に過度の期待感を持ち過ぎたせいだけではなさそうだ。
一つには謎解きとしての妙味に欠けていたことがある。
どうも「あっ、なるほど!」という感激がないのだ。
二つにはサスペンスとしてのハラハラドキドキにも物足りなさを感じてしまう事もある。
追いつめられる二人に絶体絶命のピンチを感じなくて、いとも簡単に切り抜けてしまうのだ。
どちらも説明に走りすぎて盛り上げに失敗した事に起因しているのではないかと感じた。
三つ目の原因は、どうもキリスト教の世界を基本的に理解していない自分自身にあったと思う。

噂、デマも含めて僕の中には、マグダラのマリアはキリストの愛人だったとか妻だったとかの話は、ダン・ブラウンの小説の前にも聞いた事があるし、果ては聖母マリアとマグダラのマリアは同一人物で、マリアは母にして妻という近親相姦の極致なのだとの一文も読んだ記憶がある。
それがキリスト教徒にとって、信仰とどうのように係わってくるのかがよく理解できていないのだ。
僕の中では、神功皇后が東征の帰国後に応神天皇を生むという話は、実は朝鮮半島で犯されて帰ってきて、異国の血の混ざった大和民族の歴史の書き換えなのだという話と同レベルなのだ。
だから、何処々々の国でキリスト教団体が上映に反対しているだとか、フィクション部分を理解できる必要性からR18指定にされたとかのニュースもよく解らない。
もしかすると、それも宣伝部の仕掛けなのかも知れないのだが・・・。

僕は日本人に生まれてよかったと思う。
日本人は神も仏もすべて受け入れるし、キリスト教だって受け入れている。
そこに本来の信仰があるのかどうかは判らないけれど、ユダヤ教とキリスト教の対立のような争いを経験しなくて済んでいる事は幸せだと思う。
宗教は古くは十字軍の遠征や、中東戦争の様に血で血を洗う紛争を引き起こしてしまう事を思うと良かったと思う。
もともと僕は宗教心が薄いので、イエスが水をワインに変えた奇跡よりも、石舟斎が斬ったと言われる真っ二つに割れた巨石の方に、それが存在している分、伝説としての面白みを感じてしまう。
キリストの子孫が居るというのも、義経が大陸に落ち延びてチンギス・ハーンになったのだという話と余り変わらない。
いづれにしても、信義の上で敵対者を殺してしまう風潮は日本には無いのが幸いだと思う。

旅立ちの島唄 ~十五の春~

2024-06-08 09:02:24 | 映画
「旅立ちの島唄 ~十五の春~」 2012年 日本 

                                              
監督 吉田康弘                                              
出演 三吉彩花    小林薫    大竹しのぶ 早織 小久保寿人
   立石涼子 山本舞子 照喜名星那 手島隆寛 上原宗司
   日向丈 松浦祐也 若葉竜也 ひーぷー 普久原明

ストーリー
沖縄本島から東へ360km離れたところにある南大東島には高校がないため、この島に住む高校進学希望者は島を出なければならない。
民謡グループのリーダー・仲里優奈の家でも、姉・美奈と兄は進学を機に、沖縄本島出身の母は美奈が高校へ進学するときに一緒に島を出ており、今はサトウキビ畑を営む父と二人暮らし。
美奈は子どもとともに島に帰ってきているが、兄は那覇で働き、母は島に戻っていない。
優奈は北大東島から来た健斗に淡い想いを抱くが、健斗は高校進学をあきらめ父の仕事を継ぐため島に残ることを決意する。
中学3年生になった優奈の心には、めったに会えない母への思い、父を島に一人置いていくことの悲しみ、淡い恋、南大東島にはないものへの憧れや将来への不安などがよぎる。
様々な思いを込めて優奈は島唄を唄いきり、島からの旅立ちのときを迎える…。


寸評
ドラマのスタートは、主人公・仲里優奈の1年先輩の卒業時期。
先輩から島の民謡グループ「ボロジノ娘」のリーダーを託された優奈なのだが、彼女も1年後には島を出なければならない。
映画はヒロインの優奈が島で過ごす最後の1年を、時系列的に淡々と描き出していく。
壊れかけた家族の中で優奈の心が激しく揺れ動き、描かれている内容がすごいのに反比例するかのごとく、映し出される映像はゆったりとした雰囲気の中で淡々と、ごく自然に、最後まで描き続けていることがこの映画のいいところだと思う。
父親の利治は二度「子供は親が見守ってやらねばならない」という。
一人は子供を抱えて帰って来ていて、離婚の危機にある長女・美奈のダンナであり、もう一人は沖縄本島にいる妻の明美に対してである。
崩壊しかけた家族ながら、それでも何とか優奈を支えようとする父や母の姿も観客を引きつける。
両親を演じた小林薫と大竹しのぶの受けに徹した押さえた演技がゆったりとした雰囲気の原因の一つでもある。
そして、必死に前を向いて歩こうとする優奈の姿が、これまた静かに描かれることで、自然の中に溶け込んで心に響いてくる。

優奈が卒業時期のコンサートで別れの島唄を歌いきるところは感動的。
方言で歌われる島唄の意味が表示され、この歌の中に島との別れや家族との別れと共に、愛情に対する感謝の気持ちと、少女時代に対する決別の決意が込められていて、僕は涙が流れてしかたがなかった。
「天然コケッコー」の夏帆も良かったが、この作品の三吉彩花も実にいい。

ラストでは一年前と同じように、新たに高校生になり島を離れる子供たちを乗せた船と、それを見送る島の大人たちが映し出される。
一年前には少女だったのに、まるで大人の女性になったような旅立ちなのだが、彼女は島に戻ってくるのだろうかと思ってしまう。
離島の現実をまざまざと見せつけているのだが、見終わって温かな気持ちになれた。
成長する若者を描いた青春映画はいい。
それがドラマの世界だと分かっていても「がんばれ!」と声をかけたくなってしまうのだ。

タバコ・ロード

2024-06-07 06:52:31 | 映画
「タバコ・ロード」 1941年 アメリカ


監督 ジョン・フォード
出演 ダナ・アンドリュース チャールズ・グレープウィン
   ジーン・ティアニー マージョリー・ランボー
   ウィリアム・トレイシー スリム・サマーヴィル
   ウォード・ボンド
ストーリー
1930年代初めのアメリカ南部ジョージア州の農園地帯、通称“タバコ・ロード”は綿と煙草の生産で栄えたこの土地も今ではすっかり荒れ果ててしまっていた。
この地に豪邸を構えながらも貧困にあえぐ農家の老いた主ジーター・レスターと妻エイダ、息子デュード、娘エリーメイの元に、末娘パールの夫ベンシーが妻の愚痴をこぼしに訪ねてきてひと騒動が起きる。
そんなある日、元地主の息子ティムが銀行家のペインと共にジーターらの元を訪ねてきた。
ジーターの土地は先祖代々から守り続けてきたのだが、土地は銀行の手に渡っており、立ち退きを免れるには土地代100ドルを支払うしかないとジーターはティムやペインから告げられた。
近所に夫を亡くしたベッシーが帰ってきており、信心深いベッシーはデュードを伝道活動に誘おうと思いついた。
一方、ジーターも亡き夫の遺産に目が眩んでしまい、20歳のデュードと38歳のベッシーは年の差がありながらも結婚することになった。
ジーターはこれで100ドルが用意できると思った矢先、なんとデュードとベッシーは彼女の亡き夫の保険金800ドル全額をはたいて車を買ってしまっていた。
ジーターはデュード夫妻の車で薪を売りに行ったが、慣れない運転で新車をボロボロにしてしまった。
薪は売れないまま夜になり、ジーターは夫婦が寝静まった隙に車を奪い、二人を置き去りにして走り去った。
ジーターは土地を立ち退きになった場合に行くことになる救貧農場を下見に立ち寄り、車を100ドルで売り飛ばそうとしたが、相手の男は警察署長であり、ジーターは散々説教をされた挙句自宅に送り返されてしまう。
すっかり心の折れてしまったジーターとエイダは救貧農場行きを決意したところ、妻に逃げられたというベンシーがやってきたので、ジーター夫妻は末娘の代わりとしてエリーメイをベンシーに嫁がせることにした。
夫婦二人だけになったジーターとエイダはペインに金を払えなかったことから諦めて救貧農場へと出発した。


寸評
1930年代のジョージア州を舞台に、不毛の土地に生きる極貧の農民一家の暮らしを、温かなユーモアを交えて描いているが、僕にはドタバタ劇に見えてこれがジョン・フォードの作品なのかと疑ってしまう。
登場する人物にまともな人間がいないのにもついていけない所がある。
食べるのにも困っている一家は、娘の夫が持ってきたカブを奪い取って食べる。
息子のデュードはちょっと頭が弱そうだし、父親を父親とも思っておらずクソジジと叫んでいる。
老夫婦は子供たちより自分たちの喰いぶちを優先し、貰ったトウモロコシも子供たちが帰ってくる前に食べようといって食べ始める。
息子のデュードが帰ってきたら食べかけのトウモロコシを隠すという徹底ぶりである。
とにかくこのデュードは賑やかと言うよりうるさい存在で、おまけにクラクション狂いで騒がしいことこの上ない。
面白い存在と言うより、僕にはうっとうしい存在に思えた。

娘のパールは登場しないが、夫のベンシーが「妻のパールが口をきいてくれない」と訴えに来る。
父親であるジーターに、お前にも悪いところがあるのではと言われたベンシーは、「怒鳴ったり、物を投げたり、なぐtt来しているが、それでも何も言わない」と嘆くのはユーモアの域を超えている。
パールは夫のDVに耐えかねているのだ。
そのことを告発している風には思えず、僕はこのあたりのユーモアにはついていけなかった。

ベッシーは夫と死別して実家に帰ってきている自称伝道師である。
笛のような物を鳴らしてはお祈りの唄を歌い始める。
神のお告げとして、39歳のベッシーは20歳のデュードと結婚するが、おつむの方はデュードと似たり寄ったりな所がある。
買ったばかりの新車に薪を投げ入れるシーンは安っぽいドタバタ喜劇を連想させる。
彼女の住む家と暮らしはマシな方で、老夫婦の家はボロ屋だし暮らしぶりは極貧である。
作中で語られる会話はまともなものは無いと言ってもいいぐらいで、僕はうんざりするものがあった。

ジョン・フォードを感じさせたのはラストシーンに至るカメラとストーリーであった。
老夫婦は土地を諦め救貧農場へ向かう。
モノトーンの画面に映し出されるショットは詩情があふれ、老夫婦の心の内を無言のうちに表している。
そこへ唯一のまともな人間と思えるティムが現れる。
ティムは元地主の息子だが、どんな経緯があったのか土地は銀行の抵当に入れている。
担保の土地を銀行に取られるのだが、なけなしの金で老夫婦を助けてやる。
「猶予を与えたのはあなたの綿作りの腕前を確かめるためだ。父親にしたように、今度は自分につくしてくれ」という言葉にグッと来るものがある。
結構いい加減なジーターが夢を語って終わるが、畑仕事だけは真面目にやるのだろう。
それにしても公開が47年も遅れたことが分かるような内容で、僕は評価しない。
全編を通じて詩情豊かに描けたと思うのだが、ジョン・フォードはドタバタ喜劇を目指したのだろうか。

太平洋奇跡の作戦 キスカ

2024-06-06 07:27:37 | 映画
「太平洋奇跡の作戦 キスカ」 1965年 日本                                       


監督 丸山誠治                                                            
出演 三船敏郎    山村聡    中丸忠雄 稲葉教男 田崎潤 児玉清
   志村喬 西村晃 佐藤允 久保明 藤田進 平田昭彦

ストーリー
昭和18年5月29日北太平洋アリューシャン列島のアッツ島玉砕に続き、それより120浬離れた孤島キスカ玉砕は時間の問題とされていた。
大本営海軍部の司令長官川島中将(山村聡)は、5200名の守備隊見殺し説の強い中で、キスカを救えとくい下り、この作戦に大村海軍少将(三船敏郎)を指命した。
この日からキスカ島無血撤退の準備は進められた。
おりしもキスカ島は、米太平洋艦隊の厳重な封鎖にあい、食料弾薬の欠乏の前に、守備隊の運命は風前の灯であった。
撤退作戦は、十数隻の軽巡洋艦及び、駆逐艦を使って、北太平洋特有の濃霧に隠れ、隠密裡にキスカ島に到着、一挙に守備隊収容撤退させるしかなかった。
一切の運命を霧に託すこの作戦は、救援隊全滅の公算も大であった。
国友大佐(中丸忠雄)を潜水艦でキスカ島に送りこんだ大村艦隊は、7月7日、キスカ島突入の態勢に入ったが、霧が晴れたためやむなく反転帰投を余儀なくされた。
再び濃霧を見込んで7月22日、キスカ島へ向った。
だが濃霧は味方に不利に動いた。
旗艦阿武隈の三重衝突で、艦船に傷を負ったのだ。
だが敵をふりきった阿武隈は一路キスカに向った。
戦況は悪化し、救援隊のキスカ島入港時間は判らず、守備隊は、毎日日没後約二時間の間、海岸に集結し待機するという方法をとった。
7月29日、救援隊は、常識に反して、岩礁の多い難所を廻り、島影を利用して、ネスカ湾口の探照灯に導かれ米軍の封鎖網を見事くぐりぬけた。
かくして旗艦阿武隈、木曽は、米軍の目をかくれて、無血救援を完成したのだった。
その後、米軍は熾烈な砲弾戦を続けたのち、無人と化したキスカ島を確認したのであった。


寸評
この映画は女性が一切出てこない作品で、名作といってもいい作品になっていると思う。
加えて言うなら太平洋戦争を舞台にした戦争映画にしては、戦後製作のものでは架空の戦闘物と真珠湾を除けば恐らく唯一日本が勝利する(作戦が成功する)という作品ではないか。
もっとも、戦闘に勝利するのではなく退却戦なのだが・・・。
記憶に間違いがなければ、私がリアルタイムで劇場で見た日本映画における戦争スペクタクル映画はこれが最初だったと思う。
日本軍の勝利(?)にワクワクしてしまうので、やっぱり自分は日本人なんだなぁと単純に思ってしまっていたと思う。
全くと言っていいほど悲壮感が無いのもこの映画の魅力でもあった。
救出を主張する川島中将の姿は単純に感動させるし、全編にわたり帝国海軍がさまざまな困難を乗り越え作戦を遂行してゆく様子を、手に汗握るサスペンスを織り交ぜながら、テンポよくまとめている。
団伊久磨の音楽も素晴らしく、特にラストのキスカ・マーチは名曲で、撤退シーンの爽快さを一層も盛り上げてくれていた。
外国映画では「ナバロンの要塞」や「大脱走」など結構あるが、日本映画でよくこれだけの面白く爽快感がある作品を作れたものだと思う。
敵を叩きのめしたわけでもないのに、無人となったキスカ島への米軍の艦砲射撃が始まった時には、思わず「ざまあ見ろ!」という気分になってしまうからナショナリズムというものは怖い。

ダイ・ハード4.0

2024-06-05 07:00:25 | 映画
第一作の「ダイ・ハード」は2019/10/4、「ダイ・ハード2」は2022/10/28に掲載中です。
バックナンバーからご覧ください。

「ダイ・ハード4.0」 2007年 アメリカ 

              
監督 レン・ワイズマン    
出演 ブルース・ウィリス ジャスティン・ロング
   ティモシー・オリファント クリフ・カーティス
   マギー・Q シリル・ラファエリ
   メアリー・エリザベス・ウィンステッド

ストーリー            
アメリカ独立記念日の前夜。
ワシントンDCのFBI本部に、何者かが全米のあらゆるインフラを監視するシステムにハッキングを仕掛けてきたとの情報が入り、ブラックリストに載るハッカーたちの一斉捜査が開始される。
一方その頃、ニューヨーク市警統合テロ対策班のジョン・マクレーン警部補は、久しく顔を見ていない娘ルーシーに会うため、ニュージャージー州の大学に立ち寄っていた。
しかし、意に反してルーシーの冷たい対応に気落ちするマクレーン。
おまけに、たまたまそこにいたばかりに、上司から、近くに住むマットという男をFBI本部まで連行せよ、とのヤボ用まで仰せつかるハメに。
不承不承マットのアパートを訪ねたマクレーンは、そこで謎の一味に襲撃される。
一味はガブリエル率いるテロ集団の傭兵部隊で秘密を知るマットの抹殺を狙っていた。
マクレーンはマットの協力を得て敵の行動を先読みし、アメリカ史上最悪のサイバー・テロを食い止めようと必死の奔走を始める。
マットを守るマクレーンの身元を調べ上げたガブリエルは、彼の娘ルーシーの存在に目をつけるのだった・・・。


寸評
久し振りの「ダイ・ハード」で今回のマクレーンはサイバー・テロと戦う。
そのためか、タイトルも「ダイ・ハード4」ではなく「ダイ・ハード4.0」とそれらしくなっている。
中身は何もなくて、とにかくドンパチとアクションの連続だ。
それはそれで、ここまでやられると納得してしまう所がある。

車でヘリコプターを撃墜するなど、ヘリコプターをやっつけるシーンはマクレーンを超人化していて、
彼の超人化はシリーズの回を重ねるごとに人間離れが加速している。
シリーズの中ではガラスの破片の中を転げまわる弱さを見せた一作目がボクは好きだ。
こちら側にも権威を傘に着ているだけの無能力者や、一生懸命頑張る下っ端などが居れば良かったかも知れない。
ボウマンの役どころはその意味で少し中途半端だった。
マクレーンは「昔はこれぐらいへっちゃらだった」と泣きの一つも言うかと思ったら、どうしてどうして今もってタイトル通りのタフネス振りを見せ付けていた。
マット役のジャスティン・ロングは良かったが、もう少しマクレーンの足手まといになってもよかったかも。

娘のルーシーとのやり取りは当然の結末として、ガブリエルとの最後の対決の決着のつけ方も「ダイ・ハード」らしくて良かったのではないか。
どだいこの映画は斜めに構えて見る映画ではないのだから、正面切ってスクリーンと対峙する事が出来れば充分だと思うので、その満足感だけは与えてくれた。

ダーティハリー5

2024-06-04 07:08:17 | 映画
「ダーティハリー5」 1988年 アメリカ


監督 バディ・ヴァン・ホーン
出演 クリント・イーストウッド パトリシア・クラークソン
   エヴァン・C・キム リーアム・ニーソン
   デヴィッド・ハント マイケル・カリー
   マイケル・グッドウィン ダーウィン・ギレット

ストーリー
サンフランシスコ市警察のハリー・キャラハン刑事は、シスコ随一の賭博の元締ルー・ジャネロを、持ち前の強引な方法によって逮捕したところであった。
その模様はテレビを通じて報道され、ハリーは一躍市民の間で有名人となった。
そのテレビをじっと見つめる人物がいて、「死亡予想」と記された人物リストに、ハリーの名を書き込む。
ハリーはその夜、ジャネロの部下に襲撃されるが愛用のマグナムであっさり片付ける。
翌日、その西部劇まがいの銃撃戦を上司のドネリー部長やアッカーマン課長は非難するが、彼の新しい相棒として中国人のクワンをつけることにした。
早速殺人事件が起こり、殺されたのは低予算の恐怖映画に出演中の人気ロック・アーティストで、致死量の麻薬を打たれていた。
現場検証にクワンと駆けつけたハリーは、そこで以前から彼の捜査方法に興味を持っていたという女性レポーターのサマンサに出会う。
ハリーとクワンは聞きこみにまわったチャイナ・タウンのレストランで4人のチンピラによる強盗事件に遭遇し見事に倒すが、チンピラの流れ弾に1人の男が当たり死んでしまった。
その男は死んだロック・アーティストが出演していた映画の経理を担当していた男だった。
しかも、男は手に「死亡予想」と書かれたリストを持っており、ロック・アーティストの名ばかりかハリーの名も書かれていた。


寸評
珍しく滅多に褒められないハリーが冒頭で犯人検挙を評価されている。
その後に上司の部長や課長に物を壊し過ぎると非難され続けるのはいつものことでシリーズを踏襲している。
ハリーを追いかけるマスコミ代表として、ニュースキャスターの女性を登場させるが、そのサマンサ・ウォーカーはちょっと嫌みな女である。
やがてハリーと親しくなっていくのもいつもの事なのだが、この女性の嫌み度をもっと出していると、報道の自由の名のもとに傍若無人に振舞うマスコミを糾弾できたのではないかと思う。
マスコミは悪いわけではないしチェック機関として必要だと思うが、僕が興味本位に騒ぎ立てるレポーターを含めてその態度に嫌悪感を抱いているのも事実で、節度のなさにうんざりしていることがそう思わせたのかもしれない。

ハリーはジャネロを逮捕したことでジャネロの指示を受けた手下から命を狙われ続ける。
業を煮やしたハリーがジャネロを脅迫して辞めさせる手段が面白い。
その結果、ジャネロの指示を受けたハリーのボディガードが登場する。
このくだりはアイディアとして面白いのだからもう少し膨らせばよかったと思う。
例えば絶体絶命に陥ったハリーを暗殺者と思われていた彼らが救うとか…。
せっかくのアイディアが中途半端ですぐに結末を見たのは惜しいような気がした。
新しいアイディアとして成功しているのはラジコンとのカーチェイスだ。
坂道の多いサンフランシスコの街を駆け巡るのはそれなりにスリルがあった。
別のラジコンに電波干渉を受けるシーンなどを挿入して凝っていたのも評価できる。

犯人の手がかりを出し抜くキャスターのサマンサ・ウォーカーや、カンフーで犯人をやっつける中国人の相棒クワンの登場など取り巻きも工夫しているが、海岸通りをジョギングするジャージ姿のハリーを見ると、彼も随分と歳をとったなあと思わされた。
振り返れば初登場から17年もたっているのだからそれも当然で、シリーズもよくもったものだなあと感心した。
シリーズ物の宿命で、回を重ねるごとに脚本というか、話が雑になって第一作を上回ることが出来ない。
だけどファンにとってはそれでも楽しめてしまうのがシリーズ物の特徴でもある。

ハリーは犯人に対しては情け容赦をしない男で不死身のスーパーマンだ。
機関銃を乱射されても傷一つ負わないで相手を射殺する。
ハチの巣状態になった車などを見ると射殺もやむなしなのだが、最後に犯人の殺人鬼を巨大なモリで射殺すのは必然性がない。
その前の映画撮影シーンで伏線を張っているのだが、すでに拳銃の弾は撃ち尽くしていると判っているのだから逮捕できたはずだ。
映画的にはそれでは面白くないから当然の結果なのだが、映画はリアルなところはリアルにすべきだ。
とっさの逆襲でやっつける工夫が必要だったと思うし、全体的に脚本の雑さが目に付いた。
でも楽しめる。

ダーティハリー3

2024-06-03 07:10:27 | 映画
「ダーティハリー3」 1976年


監督 ジェームズ・ファーゴ
出演 クリント・イーストウッド タイン・デイリー
   ハリー・ガーディノ ブラッドフォード・ディルマン
   アルバート・ポップウェル デヴェレン・ブックウォルター
   ジョン・クロフォード ジョン・ミッチャム

ストーリー
サンフランシスコ市警殺人課のハリー・キャラハンは、相棒のフランクと市内をパトロール中、酒屋に押し入った強盗事件に駆り出された。
現場に直行したハリーは強盗一味の要求の一つである車に乗るやいなや、そのまま店の中に突っ込み、慌てふためいている犯人たちにハリーの愛銃マグナム44を見舞った。
ところが、ハリーの事件処理の仕方が乱暴だということで刑事課長に怒鳴られ、人事課に配属されてしまった。
そんなある日、ボビー・マックスウェルをリーダーとする若い過激派グループが、陸軍の兵器庫に押し入り、ダイナマイト、自動小銃、新型バズーカ砲を盗み出した。
しかも、パトロール中に異常に気付いたフランクに重傷を負わせ、そのまま逃走した。
殺人課に戻ったハリーのフランクに替わる相棒として、刑事に昇進したばかりの女性、ムーアが付けられた。
過激派の行動は意外に早く開始され、警察署のトイレが爆破された。
その直後、ハリーは不審な黒人を発見、大追跡の後にムーアの協力も得て逮捕した。
黒人の過激派が絡んでいるとにらんだハリーは、スラムの指導者ムスターファの棲家へ乗り込んだが、彼は事件に無関係であることが判った。
だが、ハリーが帰った後、刑事課長が指揮する警察隊が、ムスターファを首謀者として逮捕。
この迅速な犯人逮捕によって、ハリーとムーア、そして刑事課長は、市長から表彰されることになったが、ムスターファが主犯でないと確信しているハリーは、表彰されるのを拒否し独自の調査を開始した。
しばらくして、過激派グループは、白昼、市長を誘拐し、莫大な活動資金を要求した。
捜査にあせりを感じてきたハリーに、彼のおかげで釈放されたムスターファが犯人たちの情報を提供した。


寸評
ハリーとコンビを組む新米の女性刑事ムーアが登場しなかったら全くの駄作になっていたと思う。
ストーリーは単純、人物の描き方も通り一辺倒で面白みに欠けていて、唯一彼女の存在に助けられている。
ムーアは女性だし、刑事に昇格したばかりの新米刑事で、ハリーにとっては足手まといにしかならない相棒だ。
ただし記憶力は良さそうだし、法律にも明るく事務能力には長けていて、刑事としてやる気満々だ。
自分を女性として見なくていいと「お構いなく」を連発する。
一所懸命に奮闘する姿がいじらしくもあり、この映画にエンタメ性をもたらせている。
その姿に徐々にハリーが相棒として認めていくようになるのはお決まりのコースだ。

今回はテロリストを装った金目当ての集団が相手なのだが、彼らがとんでもない武器を奪うことと、市長を人質にとって身代金を要求していることが新しい視点となっている。
市長は権威の象徴であって、表彰状を与えることでその権威を保持している。
また市長は女性活用を訴えていて、任命した女性刑事のムーアにでっち上げの手柄を作り、彼女を表彰することで自分の人気を得ようとしているイヤ味な男である。
そして、能力もないのにその市長に媚びて地位を得ているのが刑事課長のマッキーで、彼がハリーと対立するのもシリーズとしてお決まりのコースだ。
シリーズも3作目となると、そのお決まりがだんだんと子供じみてくる。
犯人グループはすぐに人を殺す悪人集団だが、ただ単に人を殺しているだけで動機づけもない。
スゴイ犯人であるはずなのに、やっつけられるのはいとも簡単だ。
アルカトラズ刑務所を舞台にしたクライマックスが見所なのだろうが、そこでもその場所設定が生かされていなかったように思う。
捜査を進めることで犯人グループを徐々に追い詰めていくというサスペンス性にも乏しかった。

不審な黒人によって警察署のトイレが爆破されるが、その犯人の追跡劇は異様に長い。
迫力がないので長いと感じてしまう。
ここでの追跡劇はムーアの足の速さを表現したかったのか、歳の割にはスタミナのあるハリーを見せたかったのかよくわからないけれど、ビルの屋上をやたらと追いかけまわしているだけのもので間延びした。
よくわからなかったのはもう一つ、冒頭での犯人たちの行動だ。
何のための殺人だったのだろう?
彼等の非情性を示しておきたかったのだろうか。
その後に起きる人質立てこもり事件でのハリーの荒っぽいやり方には毎度ながらスカットさせられる。
それを非難されるのもシリーズを見続けていると毎度のこと。
マンネリともいえるが予想した通りに事が運ぶのがシリーズのいいところで安心してみることが出来る。

助かった市長がハリーに感謝して「表彰状をやろう」と言うのは精一杯の権威批判だったのだろう。
バカ刑事課長がヘリコプターで現金を運んでくるのもまたしかりであった。
あげればきりがないのだが、シリーズファンとして楽しむならこれで十分だろう。

ダーティハリー2

2024-06-02 09:51:15 | 映画
「た」行になります。

「ダーティハリー・シリーズ」ですが、第1作{ダーティハリー}はバックナンバーより2019-09-28を、第4作「ダーティハリー4」は2022-10-22をご覧ください。

「ダーティハリー2」 1973年 アメリカ


監督 テッド・ポスト
出演 クリント・イーストウッド ハル・ホルブルック
   フェルトン・ペリー ミッチェル・ライアン
   デヴィッド・ソウル ロバート・ユーリック
   ティム・マシスン キップ・ニーヴン ジョン・ミッチャム

ストーリー
ダーティハリーことハリー・キャラハン刑事は忙しかった。
ハイジャック事件を片づけると次は武装警官による容疑者殺害事件に取り組まなければならなくなった。
数日後、今度は山の手の別荘地で殺人事件が起こった。
殺されたのは法の盲点をついてのし上がってきた悪党だったが、家族、友人たちと一緒にプールで遊んでいた所を例の謎の警官が、マシンガンで皆殺しという残虐さである。
さらに事件は続き、第3の犠牲者は売春組織の大物、第4の犠牲者は麻薬組織の大物だった。
犯罪者の殺害に肯定的な意見を持つ、白バイ隊員の同僚チャーリー・マッコイに疑いを掛けたハリーは探りを入れるが、チャーリーは事件に巻き込まれ殺害される。
ハリーは4人の新米警官に疑いの目を向け始める。
ある日、市警の射撃大会が行われ、その決勝戦で対戦したのはハリーと新米刑事の一人ジョン・グライムスであった。
ハリーはジョンに勝ちを譲り、その後、再度腕試しをするようにジョンの銃を借りて故意に的を外す。
そして外した弾を取り出し鑑識に掛けると、チャーリーを撃った弾とジョンの弾は一致し、犯罪組織の大物を狙う陰の存在が4人の新人警官であることの証拠を握る。
犯人はベン・デービス、ジョン・グライムス、フィル・スイート、レッド・アストラカンの4人の新米警官だったが、彼らは何ら悪びれた所はなく、自分たちはナマぬるい法律にかわって悪を裁いただけだと主張し、逆にハリーを脅しにかかった。
犯人たちはハリーの証拠固めを妨害し、彼のアパートに爆弾を仕掛けた。
間一髪でハリーは助かったが、相棒の黒人警官アーリー・スミスは即死だった。


寸評
前作が評判を呼び、前作以上の観客を集めたが完全な失敗作。
筋立ては面白い要素を持っているのに全く生かされていない。
キャスティングも描き方もお粗末と言えばお粗末で、全編にわたる緊迫感のなさはどうしようもない。
上司のブリッグス警部補は何かにつけてハリーと対立するが、どうも小役人的でギャーギャーわめいているという見るからに軽薄な人物だ。
この小者的な上司の処理をどうするのかなと思ったら、あの結末である。
観客を驚かそうとしたのだろうが、あまりにも相手が軽薄的過ぎるので驚きまでには至らなかった。
このキャスティングと描き方は完全なミスと思えた。

冒頭で殺人犯として有罪と思われた組合幹部が証拠不十分で無罪となる。
いかにも悪そうな彼ら一味が白バイ警官によって射殺される。
法律上無罪になった者でも悪人は許さないとの行動だが、この時点で犯人は白バイ警官であることが判明。
それで犯人の候補者としてハリーの同僚であるチャーリーが登場する。
彼は精神的にも病んでいるし妻とも上手くいっていない。
チャーリーの妻はハリーにモーションをかけるが何事も起こらない。
観客にもチャーリーが犯人ではと思わせる展開だが、それにしては彼の言動が直線的過ぎる。
彼の妻も含めてこちらをメインにしたほうが面白かったかもしれない。

そうなると白バイ警官は他には4人しかいないのだから彼らが犯人であることが確定する。
ところが彼らはどこか小市民的である。
そして殺しているのが悪人ばかりで、彼等に対する嫌悪感が湧いてこない。
大量殺人もやっているが、第一作の恐るべき殺人鬼という犯人像ではないのだ。
僕たちにしたって、何の関係もない人が通り魔によって殺されたら犯人に憤りを覚えるが、暴力団同士の抗争で誰かが射殺されても同情はしないのではないかと思う。
どうも彼等に憎しみの感情が湧いてこなかった。

ハリーは彼等と紙一重の所にいる。
それでもハリーは法律の範囲内で対処しているのだが、対処の仕方は荒っぽい。
犯人を射殺することなどいとわない。
市民が打たれるくらいなら犯人が打たれるべきだと思っているようでもある。
正義感に富むハリーを彼等は仲間に誘うがハリーは拒絶する。
その後でハリーを狙うくらいなら、拒絶された時点で殺せばよかったのにと思う。
あの時点なら十分に可能だったろうし、確実だったのではないか。
その後に待っているのが追跡劇とドンデン返しなのだが、この追跡劇が迫力のないものでがっかりさせる。
船の中での銃撃戦など子供だましで、結末もあっけないものでハラハラドキドキ感もない。
相手不足のためでもあったのだろうが、ハリーをもう少しカッコよく描いて欲しかったなあ。

ソフト/クワイエット

2024-06-01 08:40:11 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/12/1は「夏の庭 The Friends」で、以下「ナバロンの要塞」「楢山節考」「ニキータ」「肉弾」「にごりえ」「二十四の瞳」「二十四時間の情事」「2001年宇宙の旅」「にっぽん泥棒物語」と続きました。

「ソフト/クワイエット」 2022年 アメリカ


監督 ベス・デ・アラウージョ
出演 ステファニー・エステス オリヴィア・ルッカルディ
   エレノア・ピエンタ デイナ・ミリキャン
   メリッサ・パウロ シシー・リー

ストーリー
とある郊外の幼稚園に勤める教師エミリーが、「アーリア人団結をめざす娘たち」という白人至上主義のグループを結成する。
教会の談話室で行われた第1回の会合に集まったのは、主催者のエミリーを含む6人の女性。
マージョリーは勤務先でヒスパニック系の同僚がさきに昇進したことに腹を立て、食料品店の店主で2人の子どもを育てるキムは、ユダヤ系の銀行に融資を断られたことを根に持っていた。
その他、キムに誘われて集会に来た刑務所上がりのレスリー、ブラック・ライブズ・マター運動に異議を唱えるアリス、生まれたときから秘密結社KKKの一員だと話すジェシカが参加していた。
多文化主義や多様性が重んじられる現代の風潮に反感を抱き、有色人種や移民を毛嫌いする6人は、日頃の不満や過激な思想を共有して大いに盛り上がる。
会合の内容を知った教会の神父から「面倒がごめんだから今すぐ帰ってくれ」と言われてしまい、エミリーは自宅で2次会を開こうと提案し、キム、マージョリー、レスリーはキムの食料品店で買出しをすることにした。
そこへ閉店中と知らずにアジア系の姉妹アンとリリーが来店し、思わぬトラブルに発展してしまった。
最悪の空気の中、エミリーの夫クレイグが迎えに来たが、4人の怒りは一向に収まらない。
姉妹の家に押し入り、仕返しをしてやろうと計画する。
クレイグはエミリーに止めるよう説得するが、「妻が侮辱されて何とも思わないの?」と言い寄られ、仕方なく同行することになった。
エミリーたちは姉妹が留守にしている家に忍び込むと、モノを壊しパスポートを燃やそうとするなど迷惑行為を続けていたところへアンとリリーが帰宅してきた。
度を越した4人の行為に激怒したクレイグは、最初こそ証拠隠滅のために姉妹の拘束を手伝うがそのまま現場を去った。
残された4人は口封じのために姉妹を脅し、卑劣な行為を繰り返した。
エミリーたちは極限状態からまともな判断ができず、やがて取り返しのつかない恐ろしい事態を引き起こしてしまう。


寸評
冒頭で教師のエミリーが少年に黒人の掃除係に注意を言いに行かせる。
教師なら自分で言うべきことなのにと思って見ていると、カメラはそこからワンショットでエミリーを追っていく。
教会の談話室を借りての会合なのだが、話される内容は白人至上主義の人種差別容認であり、女性は専業主婦でなければならないと述べ、エミリーが持参した手作りのピザにはナチスのカギ十字がほどこされているなど、現在の社会が目指していることとは真逆の思想の持ち主たちであることが示される。
僕は彼女たちの会話に嫌悪感が湧いてきて、この映画の存在価値を否定する気持ちでいっぱいになる。
やがてエミリーの家での二次会が提案されキムの店に向かうのだが、ずっとワンショットで撮られているために、話はリアルタイムな展開を描いており、場所を変えながらも描かれる彼女たちの姿は普通に存在する人たちだと思わせてくる。
そして起きていることは普通に起こりえることなのだとの想像を生み出していく。

彼女たちがアジア系姉妹の家で行うことはひどい。
傍若無人で明らかに犯罪行為だ。
時々良心的な言動を見せたりするが、結局は誰も暴走を止めることが出来ない。
繰り広げられる行為はヘドが出るようなもので、戦場におけるむごたらしいシーン以上の嫌悪を感じる。
見終ると全くもって腹立たしく、嫌な気持ちで映画館を出ることになったのだが、僕はそこでふと思った。
この映画を認めることが出来ず、嫌な気持ちを持ったということは、僕はまともな人間だったのだと。
人種差別意識は根深く、この映画はごく普通の人が変身を遂げてしまうプロセスをみせ、世の中に内在されている危うさをベス・デ・アラウージョは訴えていたのかもしれない。
ごく普通の人が自分たちが気付かないうちに徒党を組んで暴徒と化してしまっている危うさである。
集団でなくても、個人的に妄想を抱いて首相を襲う輩も出現してしまう世の中のゆがみだ。
逆説的な映画だったと思うが、それにしても後味の悪い映画だったなあ・・・。
もしかするとこの後味の悪さを感じさせるのが狙いだったのかもしれない。