おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ダ・ヴィンチ・コード

2024-06-09 06:07:53 | 映画
「ダ・ヴィンチ・コード」 2006年 アメリカ


監督 ロン・ハワード                                   
出演 トム・ハンクス オドレイ・トトゥ イアン・マッケラン
   アルフレッド・モリナ ジャン・レノ ポール・ベタニー
   ジャン=ピエール・マリエール

ストーリー
ある日、ルーヴル美術館で館長のジャック・ソニエールが殺害される事件が起こる。
遺体はダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」を模した体勢で横たわり、周囲には不可解な暗号らしきものが記されていた。
フランス司法警察のファーシュ警部は、講演のためパリに滞在していたハーバード大学教授ロバート・ラングドンに協力を依頼、事件現場に呼び出す。
宗教象徴学の権威であるラングドンはさっそく暗号の解読を始めるが、この時警部はラングドン自身をこそ疑っていた。
暗号の中にラングドンの名前があったのだ。
そこへ、暗号解読官ソフィー・ヌヴーが現われる。
ソニエールの孫娘である彼女は、残された暗号は自分宛てで、ラングドンは無実だと気づいていた。
ソフィーはラングドンと共に残りの暗号解読に乗り出した。
そして同時に、事件解決には彼の力が不可欠なことを悟った彼女は、突然、ある驚きの行動に出るのだった…。


寸評
世界的に大ヒットしたと言われるダン・ブラウンの同名小説の映画化で、ロン・ハワード監督の下にヒット作品に出続ける俳優としてギネス認定されたばかりのトム・ハンクスが主演ということで大キャンペーンが張られた。
何だか大相撲の優勝決定戦が肩透かしで決まってしまったような物足りなさは何処からくるのだろう?
前記の宣伝に過度の期待感を持ち過ぎたせいだけではなさそうだ。
一つには謎解きとしての妙味に欠けていたことがある。
どうも「あっ、なるほど!」という感激がないのだ。
二つにはサスペンスとしてのハラハラドキドキにも物足りなさを感じてしまう事もある。
追いつめられる二人に絶体絶命のピンチを感じなくて、いとも簡単に切り抜けてしまうのだ。
どちらも説明に走りすぎて盛り上げに失敗した事に起因しているのではないかと感じた。
三つ目の原因は、どうもキリスト教の世界を基本的に理解していない自分自身にあったと思う。

噂、デマも含めて僕の中には、マグダラのマリアはキリストの愛人だったとか妻だったとかの話は、ダン・ブラウンの小説の前にも聞いた事があるし、果ては聖母マリアとマグダラのマリアは同一人物で、マリアは母にして妻という近親相姦の極致なのだとの一文も読んだ記憶がある。
それがキリスト教徒にとって、信仰とどうのように係わってくるのかがよく理解できていないのだ。
僕の中では、神功皇后が東征の帰国後に応神天皇を生むという話は、実は朝鮮半島で犯されて帰ってきて、異国の血の混ざった大和民族の歴史の書き換えなのだという話と同レベルなのだ。
だから、何処々々の国でキリスト教団体が上映に反対しているだとか、フィクション部分を理解できる必要性からR18指定にされたとかのニュースもよく解らない。
もしかすると、それも宣伝部の仕掛けなのかも知れないのだが・・・。

僕は日本人に生まれてよかったと思う。
日本人は神も仏もすべて受け入れるし、キリスト教だって受け入れている。
そこに本来の信仰があるのかどうかは判らないけれど、ユダヤ教とキリスト教の対立のような争いを経験しなくて済んでいる事は幸せだと思う。
宗教は古くは十字軍の遠征や、中東戦争の様に血で血を洗う紛争を引き起こしてしまう事を思うと良かったと思う。
もともと僕は宗教心が薄いので、イエスが水をワインに変えた奇跡よりも、石舟斎が斬ったと言われる真っ二つに割れた巨石の方に、それが存在している分、伝説としての面白みを感じてしまう。
キリストの子孫が居るというのも、義経が大陸に落ち延びてチンギス・ハーンになったのだという話と余り変わらない。
いづれにしても、信義の上で敵対者を殺してしまう風潮は日本には無いのが幸いだと思う。