おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

土を喰らう十二ヵ月

2024-06-13 06:51:59 | 映画
「土を喰らう十二ヵ月」 2022年 日本


監督 中江裕司
出演 沢田研二 松たか子 西田尚美 尾美としのり
   瀧川鯉八 藤巻るも 久住小春 佐藤優太郎
   檀ふみ 火野正平 奈良岡朋子

ストーリー
信州の山奥で暮らす作家のツトム(沢田研二)は13年前に妻を亡くし、今は自ら作った野菜や、山から取った山菜を自らが調理して食べるのを喜びとし、担当編集の真知子(松たか子)がたまに訪ねてくるのも楽しみだった。
立春(りっしゅん)、まだ雪が残る中、訪ねてきた真知子を囲炉裏にあて、お茶と干し柿を出すツトム。
啓蟄(けいちつ)、畑で抜いてきたほうれん草を茹でて水に浸し、おこげが出来たご飯を頂いた。
清明(せいめい)、ツトムはセリを取りに行き、セリご飯にしてワサビの胡麻和えとウドの味噌汁で頂いた。
立夏(りっか)、少し変わり者の亡き妻の母チエ(奈良岡朋子)を訪ね、ツトムはチエからご飯と漬物と味噌汁を出され、亡くなった妻の墓を作れと急かされた。
小満(しょうまん)、筍を柔らかくなるまで煮込むと、臭いに誘われるかのように真知子がやってきた。
芒種(ぼうしゅ)、拾った梅で梅干し作り。
小暑(しょうしょ)、亡くなった住職の娘から、遺言とのことで梅干しを受け取り、亡くなった人のことを思い涙した。
立秋(りっしゅう)、たくさん育ったキュウリと茄子をぬか漬けにするためにぬか床に押し込んだ。
処暑(しょしょ)、亡くなった妻の弟夫婦からチエの様子を見てくれと言われ、訪ねるとチエは亡くなっていた。
白露(はくろ)、チエの葬式がきっかけで、土で自分の骨壷を焼いてみようと考えた。
秋分(しゅうぶん)、庭の窯の中で倒れて入院していたツトムはようやく退院した。
寒露(かんろ)、ツトムは今日1日生きれば良いと考えるようになった。
霜降(そうこう)、もう来ないかもと言っていた真知子がやってきた。
立冬(りっとう)、寒さは厳しくなりつづけているが、ツトムは書いては寝るを繰り返していた。
冬至(とうじ)、近所の方のご厚意で、玄関に白菜と味噌の入った樽が置かれていた。


寸評
僕は元をただせば中学生になるまで田舎の百姓家で育った。
ツトムさんほどの田舎ではなかったが、それでも半ば自給自足気味の所があって、僕も土から育った野菜が食生活の食材となることが多かった。
大根、ナス、キュウリ、カボチャ、トマトに玉ねぎ、豆類はエンドウ、お多福豆、インゲン、枝豆などだ。
ジャガイモ、サツマイモ、里芋などの芋類もあった。
白菜、キャベツ、小松菜、水菜、ほうれん草などの葉物もよく出た。
肉はもっぱら飼っていた鶏の鶏肉だが、それは大勢が集まる特別な日だけで、牛肉は食べた記憶がない。
季節が良くなった日曜日や夏休みは家の前を流れる寝屋川で魚釣りをし今では高級魚に数えられる、釣った魚のモロコや鮒は甘露煮として夕食のお供となった。
餅つきの日に堤防に生えているヨモギを獲りに行きヨモギ餅の材料としたし、ツクシも食べたことがある。
そんな子供の頃を思い出させる映像が次々と出てくる。
野良仕事が忙しくて手の込んだものは出てきたことがなかったので、ツトムさんの作る料理は家庭料理研家の土井善晴氏が監修しているだけあってとてつもなく美味そうに感じられた。
主演の沢田研二よりも松つたか子の食べる様子が、より一層素朴な味を美味そうに感じさせた。

季節と共に淡々と進む映画だが、アクセントを付けているのが、時折、料理と酒を一緒に楽しむ相手の東京からやってくる担当編集者の真知子の存在である。
二人の間には、男と女の微妙な気配があって、真知子は年の離れた恋人でもありそうなのだが、ツトムのかたわらにはまだ妻の遺骨があることで、二人の微妙さを浮きだたせている。
ツトムにとっては真知子は真知子と呼び捨てに出来る都合の良い女性だ。
編集者でもあるので時々会いに来てくれる。
ツトムの妻は真知子の先輩らしく、真知子は仕事上ですっかり世話になっていたことが語られる。
いつまでもあるツトムの中にある妻の存在が、ツトムから「ここで一緒に住まないか」と誘われた時に返答を渋らせた理由であろう。
真知子が一緒に暮らす決心をすれば一人でいたいと言い出すツトムの身勝手さに、しびれを切らして別の男と結婚する真知子も強い女だと思わせる。

ハイライトは義母の葬式の場面だ。
懇意にする大工さんが祭壇や棺桶を作り、写真屋さんは大きな遺影を作って持ってくる。
思ったより大勢の参列者になったので大急ぎで真知子と料理を作る姿が微笑ましい。
義母の息子は母親と疎遠だったのでオロオロするばかりだが、母親との関係は嫁の存在がそうさせたのかもしれないなと思わせる。
晴耕雨読の生活をどこかでうらやむ気持ちがある。
住人たちとの和やかな交流があれば尚更だ。
我が家も隣家から筍や庭になった果物を頂いたり、近所の知人から貸農園で獲れた野菜を貰ったりしている。
自由人となった今の僕は、半ば晴耕雨読の生活の様なもので不満はない。


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