おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ディファイアンス

2024-06-14 06:47:58 | 映画
「ディファイアンス」 2008年 アメリカ


監督 エドワード・ズウィック
出演 ダニエル・クレイグ リーヴ・シュレイバー
   ジェイミー・ベル アレクサ・ダヴァロス
   アラン・コーデュナー マーク・フォイアスタイン
   トマス・アラナ ジョディ・メイ

ストーリー
1941年、ドイツ軍がベラルーシを占拠し、ナチス親衛隊と地元警察がユダヤ人狩りを始めた。
8月、警官に両親を殺されたユダヤ人兄弟、トゥヴィア、ズシュ、アザエルはリピクザンスカの森に逃げ込むと、既に多数のユダヤ人が隠れていてキャンプを構えていた。
トゥヴィアが食料と武器を入手するため訪ねた父の親友コシュチュクに頼まれて他のユダヤ人たちも森へ案内することになった。
10月、武装して「ビエルスキ・パルチザン」と名乗るが、銃撃戦で2人の犠牲者を出し、アザエルも行方不明になってしまう。
食糧不足や不安から同胞の間でいざこざが起き始め、トゥヴィアは皆で生き残ることが復讐だと諭す。
トゥヴィアがコシェチュクに食料をもらいに行くと、2人の女性と一緒にアザエルが匿われ、コシェチュクは納屋に吊るされ死んでいた。
次第にズシュはトゥヴィアとの対立を深めていき、キャンプから仲間数人を連れて同地域で活動していたソ連の赤軍パルチザンに参加する。
1942年、ある日キャンプの見張り役がドイツ軍の伝令を捕まえるが、伝令が持っていた命令書には森を包囲すると書かれていた。
赤軍パルチザンは敵から逃れるため、ズシュ達の抵抗にもかかわらずユダヤ人を見捨てて撤退を始める。
まもなくドイツ軍によるキャンプへの攻撃が始まり、アザエルらがキャンプに残り時間を稼ぐ間、トゥヴィアが仲間を誘導して森の奥へと進むが、大きな沼に直面してしまう。
そこにアザエルが戻ってロープやベルトで全員をひと繋ぎにして、何とか大きな沼を渡り切った。
しかし、そこには戦車を伴ったドイツ軍が待ち構えており、彼らの命を掛けた戦闘が始まった。


寸評
ナチスによるユダヤ人の迫害は反戦映画の一つのテーマとなってきた。
そこではナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った絶滅政策・大量虐殺、いわゆるホロコーストのひどい状況が描かれてきた。
我々は映画を通じてユダヤ人が受けてきた悲惨な状況を目の当たりにしてきた。
本作でもユダヤ人たちは虐殺の対象となっているが、違うのは武器を持ち抵抗していることで、無抵抗のままに殺された者ばかりではなかったと知らされる。
それでもやはり迫害から逃れる生活は過酷だ。
ただし、武器を奪い反撃する様子が描かれることで、知らされてきた彼らの悲惨な状況に加えて別の一面の新たな知識が加わった。
もっとも、寒さに耐える姿とか、食糧不足による上の苦しみなど、実話を描いているとは言え本当の彼らはもっと悲惨な状況だったのではないかと思ってしまう。
食べ物を搾取する者との仲間割れ、ドイツ兵に犯され身ごもってしまったしまった女性の存在、強奪とも思われる食料調達、寒さにひたすら耐える状況などが描かれるが、僕にはそれらが状況説明にとどまっていたように思われた。
牛乳や毛皮を奪われたドイツ軍の道案内をしてくるユダヤ人、ドイツ軍に協力するユダヤ人警察など、ユダヤ人同士の中にあった軋轢などは、一方における悲惨な状況を生み出していたと思うし、あまり深くは描き込んでいないが、アウシュビッツでもユダヤ人の監視をユダヤ人にやらせていたことも含めて、人間の弱さを見る思いだ。

家族を殺された彼らのドイツ兵に対する憎しみが爆発するのが、斥候のドイツ兵を拉致して連れ帰った場面だ。
自分の息子の名前を叫んで殴りかかる女性を発端に、同じ恨みを持つ人たちがその捕虜を皆で撲殺する。
それも非人間的な行為だが誰も止めることは出来ない。
それほど彼らの恨みは強かったと言うことだが、僕は「七人の侍」における老婆の姿、そして「オリエント急行殺人事件」を思い出していた。
人間が抱く愛とか尊敬とか思いやりとかの美徳よりも、恨みと言う感情はそれらを上回るのだろう。
恨みの感情が紛争を生み出している。

トゥヴィア達が大きな沼に直面してしまってたじろいでいる所へ、アザエルが戻ってきて叱咤激励して沼を渡るのだが、この時のアザエルはすっかりたくましくなっており、世代交代をうかがわせる。
そして彼らは生き残り、最後にテロップで彼らのその後が示される。
辛くも生き残ったトゥヴィア達一行にズシュも加わり、その後2年間は森に残った。
新しいキャンプには学校と病院、保育所もあった。
追われながらも人数は増え続け、終戦時に生き残った者は1200人もいた。
イスラエルの地ではなく、ここにユダヤ人国家が設立されていれば今日の中東紛争はなかったのだろうが、やはり自分たちのルーツの地でないとだめだったのだろう。
活躍した彼らのその後も知らされるが、アザエルはやはりそうだったのかと胸が痛くなる。


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