おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

母と暮せば

2021-09-08 06:46:26 | 映画
「母と暮せば」 2015年 日本


監督 山田洋次
出演 吉永小百合 二宮和也 黒木華
   浅野忠信 加藤健一 広岡由里子
   本田望結 小林稔侍 橋爪功

ストーリー
1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された。
それからちょうど3年後の1948年8月9日、助産師として働く伸子(吉永小百合)のもとに、3年前に原爆により死んだはずの息子・浩二(二宮和也)が「母さんはあきらめが悪いから、なかなか出てこれんかったとさ」と言ってひょっこりと現れ、伸子は呆然とした。
その日浩二の墓の前で「あの子は一瞬の間に消えてしまったの。もうあきらめるわ」と言ったばかりだったのだ。
「あんたは元気?」そう伸子が尋ねると、浩二は腹を抱えて笑い出した。
「元気なわけなかやろう。僕はもう死んでるんだよ。母さん、相変わらずおとぼけやね」。
それからというもの浩二は度々伸子の前に姿を現すようになった。
二人は楽しかった思い出話から他愛もないことまでたくさんの話をするが、一番の関心事は医学生だった浩二の恋人・町子(黒木華)のことだった。
結婚の約束をしていた浩二を突然亡くして、心の行き場のないまま、この3年ずっと伸子を気にかけてくれている優しい娘だった。
「浩二、もし町子に好きな人が現れたら、あなたは諦めるしかないのよ。だって、あなたはもうこの世の人じゃなかやろ。あの子の幸せも考えなきゃね」と言う伸子の言葉に、浩二は顔色を変えて抗議する。
「嫌だ!そんなの嫌だ。町子には僕しかおらん!」
わかっているけれど、どうしても自分の死を受け入れることが出来ない浩二。
伸子はそんな息子が抱きしめたいほど愛しかった。
二人で過ごす時間は特別なもので、奇妙だったけれど、喜びに満ちていた。
その幸せは永遠に続くように見えたが――。


寸評
もともとは、亡くなった井上ひさしが題名だけ決めていた企画を山田洋次監督が引き継いだという作品である。
姉妹編として故・黒木和雄監督が映画化した2004年の「父と暮せば」がある。
「父と暮せば」は広島が舞台で、宮沢りえ演じる娘のもとに、原田芳雄演じる死んだ父親が娘を心配して幽霊になって現れるという話だった。
そして、本作は舞台が長崎に代わり、吉永小百合演じる母親のもとに、二宮和也演じる原爆で死んだ息子が幽霊になって現れるというものである。
好みにもよるのだろうが、映画としては「父と暮せば」の方が出来が良いと思う。
国民的清廉明朗快活女優の吉永小百合が出てくる映画はこうなるんだろうなと思うところもあるのだが、それでも山田洋次は84歳とも思えぬ才気を見せる。
ラストの処理を見ると、やはりこの役は吉永小百合でなくてはならないのだと思わせる。
悲惨でない、あざとくない、声高な反戦を叫んでいない、気品がある。
浩二役の二宮和也と歩む姿をあのように見せることが出来る女優さんは限られている。
「父と暮せば」とは違った処理で唸らされた。

それにも増して驚かされた山田監督才気と思われたのが原爆の炸裂シーンだ。
目標が小倉から長崎に変更になった経緯を描きながらついに原爆が長崎に投下される。
きのこ雲が上がり猛烈な爆風と灼熱地獄が人々を襲う阿鼻叫喚の世界が描かれるはずのシーンだ。
ところが山田監督は一瞬のうちに何もかも破壊してしまう原爆の威力をものの見事に演出している。
きのこ雲などを登場させない、まさに映画的処理だし、その発想を生み出してくる才気の存在に驚嘆する。
場内からは思わず「アッ!」という声が漏れた。
上手い!
家の1階から2階に上がっていく浩二をクレーンに乗ったカメラで下から上へと移動していく丁寧な撮り方。
セットも市井の人の生活も丁寧に描いていて手抜きをしていないと思われた。
もうすぐ絶滅してしまうのではないかと思われる職人監督を感じさせる。

前作の宮沢りえと同様に黒木華の町子は生き残ってしまったことに対する自責の念を持っている。
なぜあなたが生き残ってうちの子が死んだのかという遺族の思いに対してなのだが、それを慰める浩二の母親も同じことを言ってしまう。
戦争で肉親を亡くした家族のやりきれない思いが伝わってくる。
先に亡くなった兄の亡霊も出てくるが、この世に未練を残したまま死んだ人の無念さも滲みだしていた。
年数も経ったし、残された町子の幸せも考えてやらねばならないので母親は息子を忘れようとする。
すると息子は幽霊となって母の前に現れるのだが、ここに戦後70年となる2015年に作られた意義があったのかもしれない。
忘れられようとしている先の戦争を、長崎の原爆を忘れちゃいけないよと言っているようでもあるのだ。
町子の生き残ったことへの自責の念を描き、再生するための男性として浅野忠信を登場させているのは前作を意識したものだったのかな?