おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

蜩ノ記

2021-09-24 06:50:41 | 映画
「蜩ノ記」 2013年 日本


監督 小泉堯史
出演 役所広司 岡田准一 堀北真希
   原田美枝子 青木崇高 寺島しのぶ
   三船史郎 井川比佐志 串田和美
   吉田晴登 小市慢太郎 川上麻衣子
   石丸謙二郎 矢島健一 渡辺哲

ストーリー
ある日、城内で友人の水上信吾(青木崇高)とわずかなことで刃傷沙汰を起こした檀野庄三郎(岡田准一)は、家老の中根兵右衛門(串田和美)の温情によって罪を免じられ、代わりに幽閉中の戸田秋谷(役所広司)を監視せよと命じられる。
郡奉行だった戸田秋谷は藩主の側室お由の方(寺島しのぶ)との不義密通および小姓を斬り捨てたことにより10年後の切腹と、それまでの間に藩の歴史である藩主・三浦家の家譜を編さんし完成させるよう大殿・兼道(三船史郎)から命じられていた。
監視の内容は、藩の秘め事を知る秋谷が7年前の事件を家譜にどう書くか報告し、秋谷が逃亡のそぶりを見せた場合には妻子ともども始末するというものだった。
はじめは秋谷のことを懐疑的に思う庄三郎だったが、編さん途中の三浦家譜と『蜩ノ記』と名づけられた秋谷の日記には、前藩主の言葉を守り事実のまま書き留め、切腹が迫りつつも編さんに誠実に向き合い一日一日を大切に生きる彼の姿があり、感銘を受ける。
そして7年前に一体何が起きたのか、事の真相を追ううちに、彼の人間性に魅せられていく。
庄三郎は剃髪し今は松吟尼となったお由の方に会い事の真相を聞きただす。
秋谷に深い愛情と信頼を寄せる妻・織江(原田美枝子)や心の清らかな娘・薫(堀北真希)らとともに暮らす中で、いつしか庄三郎と薫との間に恋が芽生えていた。
やがて庄三郎は不義密通事件の真相に辿り着き、事件の謎を解く文書を入手するが、そこには藩を揺るがすようなことが記されていた。
秋谷と庄三郎は水上信吾の協力を得て真相にたどり着いたのだが…。


寸評
小泉堯史監督らしい静かな映画だ。
時代劇は古き良き日本の良さを無条件で表現できる数少ないジャンルだと思う。
本作も本格的時代劇ならではの静謐な間合いと深みある映像、そして主人公たちの所作からなる様式美の世界にひたることが出来る。
主人公はなんだかよくわからない仕置きを受けているのだが、その仕置きとは家譜の編纂を行いながら10年後に切腹を行うと言うものだ。
そのような死を待つ状況に置かれながら、しかもその期限があと3年に迫りながらも、主人公の戸田秋谷は悠然としている。
自分の監視役でもある壇野を穏やかな笑顔で迎えるのだが、妻の織江も娘の薫もまったくうろたえていなくて父親を信頼している。
父の罪は不義密通と言うものだが、そのようなことを仕出かす夫でない、父ではないと信じているのだ。

時代劇に付き物の殺陣はほんのわずかで見せ場と言えるほどのもではない。
武士道の素晴らしさを描きながら、いったいなぜこの男はこんなに平然としていられるのか、裏がありそうな不義密通事件だが事実はどうだったのかのミステリ的要素で観客を引っ張る。
残念ながらその間に意外性はないので物足りなさは残る。
まず家老の中根兵右衛門がいい人間なのか悪人なのかがよくわからない。
どうやら秋谷とは同門で気心も知れている間柄の様なのだが、中根は財政再建を成し遂げながらも利権をめぐって秘かに播磨屋と結びついている。
播磨屋は財力に物を言わせて村人から搾取しているのだが、中根の庇護を受けていることを後ろ盾としている商人なのだ。
それなのに「村人たちにも我慢してもらった。そろそろ還元してやる次期かも…」などと言わせている。
家名を思っている所もあり、温情も持ち合わせているようだし、これ以上恥をかかせるなと諫める理性も持ち合わせている男で、どうもその立ち位置がはっきりしていないと感じてしまった。
立ち位置がはっきりしないのは中根の甥である水上信吾も同様で、親友の壇野に味方するかと思いきや叔父にも義理立てしている。
そのことを告げてはいるのだが、この叔父と甥はどうもはっきりしない。

悪徳商人と思われる播磨屋の仕置きがどうなったのかは描かれていなくて不明である。
その後粛清されたのかどうかも分からないし、それらしいことをにおわせる場面もない。
一揆の首謀者とみられていた万治がその後帰還できたのかどうかも不明のままである。
どうやら一揆をおこす前に中根によって救済されたように思えるのだが、それらは想像の域である。
悲しみを押さえながらも妻の織江は夫の死に装束を準備する。
祝言が成った檀野庄三郎と薫も、更には元服した郁太郎も取り乱すことなく父を見送る。
悠然と切腹の場に向かう戸田秋谷の姿で映画は終わるが、時代劇を見たと言うより、時代劇の世界に浸ったと言ったほうが適切な作品だった。