おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

はなれ瞽女おりん

2021-09-06 07:04:58 | 映画
「はなれ瞽女おりん」 1977年 日本


監督 篠田正浩
出演 岩下志麻 原田芳雄 奈良岡朋子 神保共子
   横山リエ 宮沢亜古 中村恵子 殿山泰司
   樹木希林 西田敏行 安部徹 小林薫
   原泉 不破万作 浜村純 加藤嘉

ストーリー
大正七年、春まだ浅い山間の薄暮、おりん(岩下志麻)は、阿弥陀堂で一人の大男(原田芳雄)と出会った。
翌日から、廃寺の縁の下や地蔵堂を泊り歩く二人の奇妙な旅が始まる。
ある日、木賃宿の広間で、漂客や酔客相手におりんが「八百屋お七」を語っている時、大男はその客に酒を注いだり、投げ銭を拾い集めていた。
またある夜には、料理屋の宴席で「口説き節」を唄うおりんの声を聞きながら、大男は勝手口で、下駄の鼻緒のすげかえをすることもあった。
それからも大男は、大八車を買入れ、おりんと二人の所帯道具を積み込んで、旅を続ける。
そんな時、柏崎の薬師寺で縁日が開かれ、露店が立ち並ぶ境内の一隅に、下駄を作る大男と、できあがった下駄をフクサで磨きあげるおりんの姿があった。
しかし、ショバ代を払わずに店をはったという理由で、大男は土地のヤクザに呼び出される。
大男が店を留守にした間に、香具師仲間の別所彦三郎(安部徹)に、おりんは松林で帯をとかれていた。
松林の中で、すべてを見てしまった大男は逆上し、道具箱からノミを取り出すと、松原を走り去った。
やがて、渚に座りこんだままのおりんの前に大男が現れ、「また一緒になるから、当分別れてくらそう。俺は若狭の方へ行く」と言い残すと姿を消した。
季節は秋に変り、おりんは黒川の六地蔵で出会ったはなれ瞽女のおたま(樹木希林)と共に、南の若狭方面へと向っていた。
そんな時、大男は別所殺しの殺人犯として、また福井県鯖江隊の脱走兵としても追われていた。
若狭の片手観音堂に来ていたおりんは、ある日、参詣人でにぎわう境内で、大男に呼びとめられた。
その夜、うれしさにうちふるえながら、おりんは初めて、大男に抱かれた。


寸評
瞽女(ごぜ)という女性の盲人芸能者の存在を僕は知らなかった。
北陸地方などを転々としながら三味線などを弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人との事である。
時にやむなく売春をおこなうこともあったらしく、この映画の中でもそれらしい場面が描かれている。
僕が子供の頃には門付の芸人さんではなかったが、巡礼のような方が門付にきてご詠歌を唱えると、少しばかりのお米を胸に下げた袋に入れてあげていた。
少女のおりんは薬行商の斎藤さんに連れられて、瞽女の親方であるテルヨの所へやって来る。
僕の家にも斎藤さんのような富山の薬売りが定期的に訪ねて来ていた。
家には引き出しのついた赤い小箱が置かれていて、その中に入っていた常備薬の使用分だけを追加していくという商法である。
子供には紙風船をサービスしてくれて、僕はそれが楽しみだった。

知らなかった瞽女の生活がかなり克明に描かれる。
盲目だが針に糸を通す事も出来、その技術に感心する。
仲間の中でのイジワルも描かれているし、余興に呼ばれて男たちの慰み者になる姿も描かれている。
盲目というハンデを背負った彼女たちの悲しい生き様だ。
おりんはテルヨのもとで修行して大人になるが、瞽女は神様の嫁であり男と寝てはいけないという親方の教えに背き、ある晩流されるまま男と寝てしまったおりんは仲間から別れてはなれ瞽女となる。
彼女たちは男どもの好奇の対象でもあるのだが、その事を悲しんでいる風でもない。
生きていくためには仕方のないことだと割り切っているようにも見える。
それだからこそ生きていくということへの切なさをなお一層感じる。

おりんは同じく天涯孤独だという平太郎という大男と出会う。
下駄屋に住み込みで働いている母は主人と関係を持っているが、それも生きるためだったのだろう。
さらに主人の息子の身代わりとなって徴兵されていたことが明らかになる。
金持ちの身勝手と貧乏人の屈辱、国家のいい加減さが平太郎の叫びとなって響く。
おりんは盲目であること逆手にとって取調官を煙に巻き平太郎をかばう。
平太郎はそんなおりんの気持ちを知って彼女を救う決心をする。
淋しい人生を送ってきた二人の純愛物語である。
岩下志麻の瞽女も、奈良岡朋子の瞽女もいいけれど、もっといいのが登場シーンの少ない樹木希林の瞽女だ。
二人は瞽女を演じている風だが、樹木希林は瞽女になり切っていた。
おりんに幸せになってほしいと去っていくシーンには胸が熱くなる。
映画はおりんの少女時代からの一生を描いているが、その一生は決して恵まれたものとは言えない。
かろうじて平太郎という本当に愛し愛される男と出会えたことが救いだが、盲目というハンデを背負った女性への理解と支援が与えられるべきだと思わされる。
差別に対する啓蒙と身障者への支援が不十分だった時代の作品を感じさせる。
今も十分だとは思わないが・・・。