おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

八甲田山

2021-09-03 06:55:16 | 映画
「八甲田山」 1977年 日本


監督 森谷司郎
出演 高倉健 北大路欣也 三國連太郎 加山雄三
   島田正吾 大滝秀治 丹波哲郎 藤岡琢也
   前田吟 小林桂樹 神山繁 森田健作
   緒形拳 栗原小巻 加賀まりこ 秋吉久美子
   加藤嘉 花澤徳衛 菅井きん 田崎潤 浜村純

ストーリー
日露戦争開戦を目前にした明治34年末。
「冬の八甲田山を歩いてみたいと思わないか」と友田旅団長から声をかけられた二人の大尉、青森第5連隊の神田と弘前第31連隊の徳島は全身を硬直させた。
第四旅団指令部での会議で、露軍と戦うためには、雪、寒さについて寒地訓練が必要であると決り、冬の八甲田山がその場所に選ばれたのだが、二人の大尉は責任の重さに慄然とした。
雪中行軍は、双方が青森と弘前から出発、八甲田山ですれ違うという大筋で決った。
年が明けて1月20日。
徳島隊は、わずか27名の編成部隊で弘前を出発。
行軍計画は、徳島の意見が全面的に採用され隊員はみな雪になれている者が選ばれた。
出発の日、徳島は神田に手紙を書いた。
それは、我が隊が危険な状態な場合はぜひ援助を……というものであった。
一方、神田大尉も小数精鋭部隊の編成をもうし出たが、大隊長山田少佐に拒否され210名という大部隊で青森を出発。
神田の用意した案内人を山田がことわり、いつのまにか随行のはずの山田に隊の実権は移っていた。
神田の部隊は、低気圧に襲われ、磁石が用をなさなくなり、白い闇の中に方向を失い、次第に隊列は乱れ、狂死するものさえではじめた。
一方徳島の部隊は、女案内人を先頭に風のリズムに合わせ、八甲田山に向って快調に進んでいた。
体力があるうちに八甲田山へと先をいそいだ神田隊と、耐寒訓練をしつつ八甲田山へ向った徳島隊。
しかし八甲田山はそのどちらも拒否するかのように思われた・・・。


寸評
権力の二重構造による悲劇を描いているとはいえ、一言でいえば雪中行軍で兵隊が死んでいくだけの話である。
その単純な話を一大ドラマにしているのは芥川也寸志の音楽と木村大作のカメラだ。
撮影機材の整備が困難であったことを示すように、スクリーン上に映される人物の表情などは不鮮明で、場合によってはそれが誰なのか不明な時もある。
吹雪の中ではライティングもままならなかったであろうと思われるが、反面作り物でない本物のすごさを感じさせて、この映画の主人公は高倉健でも北大路欣也でもなく雪そのものだった。
スクリーン上で多くの時間を占めて描かれたのは、雪原あるいは吹雪の中を進む青森第5連隊と弘前第31連隊の姿である。
ただそれだけを捉えているだけなのに異様な緊張感を持続させたのは、まさしく自然の脅威である雪の存在だ。
連隊が縦列で進んでくる。
雪をかき分け進んでくるのだから、当然彼らの前は踏み荒らされていない雪原だ。
それを正面から捉えているのだから撮影班は足跡がつかないように回り込んで撮影したに違いない。
撮影の苦労をしのばせるシーンが随所にある。
そこでは会話もいらない、人のアップもいらない。
雪をかき分け進んでくる連隊の姿さえあればいいという状況で、それを角度を変え、遠景を取り込みながら表現していった木村大作に代表される撮影の功績は計り知れないものがある。
ましてや吹雪のシーンとなると、天候待ちもあっただろうにと思うと出演陣の苦労も想像するに難くない。
その前人未踏ともいえる撮影敢行がこの映画の持つ最大の力だ。

描かれている人物はストレート一本やりと言ったような単純図式だ。
特に青森第5連隊において指揮官の神田大尉を差し置いて上位下達の命令を出し部隊を窮地に陥れる、本来随行員であるはずの大隊長の山田少佐が一人悪役を背負っている。
大隊長の山田は道案内を独断で拒否するし、神田大尉の方針を全く無視する横暴ぶりを見せる。
上官に逆らえない神田大尉の苦悩は部下の言葉でもって示される。
相対するのが弘前第31連隊の徳島大尉で、彼は案内人の女性にも敬意を払う良い人と言う立場だ。
村に到着した時に、案内人を最後尾に下げようと進言する部下を制してかまわず先頭を歩かせ、彼の部隊は彼女の後をついていく。
彼女が去るとき、その功績に感謝し整列して号令一過の敬礼で送るシーンは感動的だ。
大隊長が案内人を拒否するのと対照的に描いて、徳島大尉をヒーローとしている。
神田隊の緒形拳演じる村山伍長は冬山を甘く見る大隊長との対比者として登場し、最後には軍律を無視して自らの意思で離脱し田代温泉にたどり着く。
上層部は、隊は全滅ではなかった、しかも一人は田代にたどり着いているとメンツを重んじる発言をする。
権力の二重構造による悲劇と共に、人命よりもメンツを重んじる上層部の権威主義が批判されてはいた。
ここで生き延びた徳島大尉たちは、後の奉天会戦で極寒に耐えながらも日本軍を勝利に導き戦死した旨のテロップが示されるが、それはこの寒中訓練が役立ったと言っているのか、ここで生き延びたのにかの地で死んでいったはかなさを示していたものなのか、僕には不明であった。