おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

左きゝの拳銃

2021-09-26 07:28:53 | 映画
「左きゝの拳銃」 1958年 アメリカ


監督 アーサー・ペン
出演 ポール・ニューマン
   リタ・ミラン
   ジョン・デナー
   ハード・ハットフィールド
   ジェームズ・コンドン
   ジェームズ・ベスト

ストーリー
1880年代のニューメキシコ平原で、熱気と疲労にやられたウィリアム・ボニイは牛商人のタンストール老人一行に救われた。
彼こそは既に12歳にして殺人を犯した札つき男ビリイ・ザ・キッドだったが、度胸をみこんだ老人は彼を雇った。
折からリンカーンの町では保安官ブラディ、副保安官ムーン、家畜商ヒル・モートンが結託して、老人の牛群が町に入るのを阻み、単身商談に来た彼を3人は峠道で射殺した。
逃げる3人を目撃したビリイは復讐を誓い、町に入って白昼の路上で保安官ブラディと対決、罵倒してこれを射ち殺した。
一味の一人だった副保安官のムーンは法の名によって彼を制裁しようとし、町の人々ともに彼の隠れ家を囲んで火をかけた。
銃撃戦ののち、全身に火傷をうけたビリイはマデロの旧知、サバルと美しい妻セルサのもとに身をよせた。
仲間の牧童チャーリーとトムに合流したビリイは再びリンカーンの町に乗りこみ、怯える副保安官ムーンを倒し復讐を果たした。
保安官殺しによってお尋ね者となった3人を恐れた最後の1人ヒルは、腕のたつギャレットに保護を求めた。
ところがギャレットの婚礼の日、ビリイは恐怖に発砲したヒルを射殺した。
祝いの日を血で汚されたギャレットはさすがに怒って自ら保安官に就任、自警団を組織して追跡し、トムとチャーリーを射殺、ビリイを捕まえて絞首刑を宣告した。
獄につながれたビリイは重い鎖を切って辛くも逃亡したが、ギャレットの一隊はこれを追った。
彼等はビリイの旧友モールトリーの手引きで彼がサバルとセルサの家にいるのを知った。
セルサ夫婦の冷たい態度に家を出てきたビリイは、ギャレットに声をかけられて振り向いた瞬間、夜空に響く1弾をうけて絶命した。


寸評
僕はどうしたわけか21歳にして21人を殺したと言われる無法者としてのビリィ・ザ・キッドと保安官のパット・ギャレットの名前を知っていて、この作品で彼等を知ったわけではない。
僕とアーサー・ペン監督との出会いは1966年の「逃亡地帯」で、当時高校生だった。
僕がアメリカ映画の凄さを知った初めての作品と言っていい。
名優マーロン・ブランドもこの作品で知った。
僕とポール・ニューマンの出会いは同じく1966年の「動く標的」だった。
ポール・ニューマンが主演するアーサー・ペンの処女作であるこの「左きゝの拳銃」を見たのはずっと後年である。
すでに1968年に封切られた傑作「俺たちに明日はない」を見ていた。
「俺たちに明日はない」があったから、名画座で「左きゝの拳銃」がかかったと思うし、僕もこの作品を見ることが出来たのだと思う。
名画座ではそんな上映作品選びがなされていて、随分とお世話になったものだ。
今また再見してみると、これがまたなかなか味わいのある作品であったことを再確認することになる。

ビリィは全くの善人という風でもなく、かと言って全くの悪人というわけでもない。
感情移入できるところもあるけれど、全く同感できない部分もあるのは「俺たちに明日はない」にも通じる感情だ。
ビリィは子供の頃に母親を侮辱した男を刺殺している。
愛する人のためにはキレる男なのである。
彼はタンストールに拾われるが、タンストールは彼を可愛がり、ビリィもタンストールを慕うようになる。
タンストールが殺されたことで復讐を誓うが、その動機は母親の時と同じ感情から来ていることがうかがわれる。
かと言って、この西部劇は単純な復讐劇ではない。
ビリィの複雑な性格がそうさせている。
ビリィ、チャーリー、トムの行動は無軌道な若者の行為である。
時として酔いつぶれ、時として暴れまわり、その持っていきようのないエネルギーを発散させている。

ビリィはヤバイことになるとメデロに住むサバルの世話になるのだが、そこで彼の妻であるセルサと出来てしまう。
セルサは当初拒絶していたが若者の情熱に負けたようだ。
最後まで描かれていないが、一人出てきたビリィの申し訳なさそうな歩き方が事の成り行きを想像させた。
この描き方が後半でのサバルの受けるショックと、セルサが巻き込まないでくれと切望する姿を際立たせた。
ビリィはサバルに射殺されることを望み、パット・ギャレットに殺られるのは嫌だと言いながらも、パットの前に丸腰で向き合う。
決闘場面ではないが、非常に緊迫感が出ていたいいシーンだ。
ビリィは親友のチャーリーとトムを失い自暴自棄にもなっていたのだろうが、トムとチャーリーが殺される場面もなかなか雰囲気のあるものだった。
ビリィの反抗が何ゆえなのか、若者にあるであろう権力に対するいら立ちだったのだろうか。
そのあたりがもう少し感じとれたらと思わないでもないないが、さすがにアーサー・ペンの処女作だとも思わせる。
この作品で描かれた感じのようなものは、「俺たちに明日はない」で完全燃焼されたと思う。