おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

あゝ、荒野 前篇

2023-06-28 09:56:01 | 映画
再び「あ」で思いついたものから掲載します。

「あゝ、荒野 前篇」 2017年 日本 


監督 岸善幸
出演 菅田将暉 ヤン・イクチュン 木下あかり モロ師岡
   高橋和也 今野杏南 山田裕貴 河井青葉 前原滉
   でんでん 木村多江 ユースケ・サンタマリア

ストーリー
かつて母に捨てられた新次(菅田将暉)は、兄のように慕う劉輝(小林且弥)と共に詐欺に明け暮れていた。
そんなある日、彼らは仲間の裕二(山田裕貴)らの襲撃を受ける。
そして、2021年の新宿。
行き場のないエネルギーを抱えた新次は、劉輝を半身不随にした裕二への復讐を誓っていた。
一方、“バリカン”こと建二(ヤン・イクチュン)は、吃音と赤面対人恐怖症に悩む男。
新次と健二は、ひょんなことから“片目”こと堀口(ユースケ・サンタマリア)にボクシングジムに誘われる。
新次は店で出会った芳子(木下あかり)と意気投合し、そのまま関係を持った。
しかし、芳子は男とホテルに入ると、財布を抜いて去るような女だった。
小銭しかなくなった新次は行き場がなく、建二も父親の暴力に耐えかねて家を飛び出し、二人はジムを訪れた。
訪れた海洋拳闘クラブはプレハブ小屋で、ジム兼新次たちの居住スペースともなった。
建二が年上なので、新次は建二を「兄貴」と呼ぶようになる。
建二は今まで通り理髪店に勤めながら、新次は片目に紹介してもらった老人介護施設で文句を言わずに働きながら、二人は仲良く練習を始めた。
練習中に廃墟で立ちションした新次は、カップルの情事に見入る中年男性・宮木社長(高橋和也)を見かけた。
その廃墟は「対テロ防止行動地区」と呼ばれ、周囲から隔離され浮いていた。
二人はプロテストに合格し、新次には「新宿新次」、建二には「バリカン建二」というリングネームがついた。
祝杯を挙げて中華料理屋に行った新次は、そこで店員として働いている芳子と再会した。
片目の師匠にあたる初老男性の馬場(でんでん)がトレーナとしてやって来た。
その頃西北大学では川崎(前原滉)が主催する自殺防止フェスティバルというパフォーマンスが開かれていた。


寸評
フェードアウトを繰り返しながら別の話が入り込んでくるので、予備知識がないと戸惑うかもしれない。
無関係そうに見えるそれらの話が本筋に絡んでくるのは映画としては当然なのだが、その関係は微妙な間合いを保ちながら進行していくので理解をするのに労力を要してしまうのだろう。
荒々しいセックスシーンもさることながら、新宿新次とバリカン建二に扮した菅田将暉、ヤン・イクチュンの存在感と迫力が画面を圧倒する。
鬱積していたものを一気に吐き出すような爆発的エネルギーを示す菅田将暉を、ヤン・イクチュンは吃音というハンデを持つために引っ込み思案な男でありながら、自分が寄り添える相手としての新次にホモセクシャルな感情を抱く年上の男として、抑えた演技で支える。
建二は新次が眠っている時に似顔絵を写生したり、新次が流した血をふき取った包帯を大切に保存していたりしているのだが、二人の関係はそれ以上進まないから新次に対する建二の感情は微妙なままである。
しかし二人は寄り添いながらトレーニングを続けていくから、お互いにやっと心を許し合える相手を見つけたという幸せに浸っていたのかもしれない。
荒れていたし、今もその片鱗を見せる新次だが、ジムにおける彼は明るい表所を見せ素直である。

人間関係は複雑だ。
母に捨てられた新次は教会の孤児院でイジメに会うが、それを救ってくれたのが劉輝。
大きくなった劉輝と新次はオレオレ詐欺のような悪事を働くようになるが、下っ端として加わっていた裕二が、一番実績を上げているにもかかわらず下っ端でいる事に不満を募らせ劉輝を半身不随にしてしまう。
新次の父親は自衛隊員だったが、海外派兵から戻って自殺し、残った母親は新次を孤児院に預け姿をくらます。
建二の父親も自衛隊上がりだが、今は酒浸りで建二のパラサイトになっている。
新次は母に捨てられ、建二は父を棄てることになる。
こういった関係が新次と建二の練習風景の合間に短時間で挿入されるため、上記のような相関図をなかなか理解できなくて、それが難解感を増長させる。
不思議なことに、作品の中でその難解感が魅力となっている。
ミステリアスなのは芳子もそうで、東日本大震災の被災者であり、どうやら母親と離別してそうなのだ。
そういう背景も短いエピソードを紡いで挿入される。
人間関係はそのような手法で語られフェードアウトしていくのが本編の特徴ともいえる。

時代は近未来で、国会では「社会奉仕プログラム」という法律が通ろうとしているので反対運動が起きている。
その制度の内容とは、人々は社会奉仕という観点から、介護施設で働くか自衛隊に入隊して訓練を受けなければならないと言うものである。
新次の父も、建二の父も自衛隊に属していたし、宮本社長は介護施設を経営し、新次もその施設で働くことになるから「社会奉仕プログラム」はまんざら無関係というわけではないのだが、僕にはこのエピソードの存在意図はよくわからなかった。
来るべき時代における自衛隊員の減少問題、高齢化による介護問題を提起していたのだろうか。
一見不要とも思えるエピソードを描きながらも、観客を引き付けるものがある印象深い前編である。