おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

私は二歳

2023-06-23 07:30:07 | 映画
「私は二歳」 1962年 日本


監督 市川崑
出演 鈴木博雄 船越英二 山本富士子 浦辺粂子 渡辺美佐子
   京塚昌子 岸田今日子 倉田マユミ 大辻伺郎
   浜村純 夏木章 潮万太郎
   声の出演:中村メイコ

ストーリー
太郎くんは都内の団地に住むサラリーマン夫婦、小川五郎と千代の一人息子として生まれました。
両親は太郎くんを育てるのに毎日毎夜真剣でした。
太郎くんが笑ったといっては喜び、蟹のように一歩一歩あるいたといっては歓声をあげ、団地の階段を高いところまで這い上がったといっては仰天する両親なのです。
とにかく両親は太郎くんを眼の中へ入れても痛くないほどかわいくて仕方ありません。
だが、両親のそんなかわいがり方は、太郎くんにとって嬉しいのかどうか……。
案外、その小さな胸中で迷惑がっているかもしれないのです。
太郎くんは、体内に充満している生命の無限性を動作によって発散させたいだけなのかも知れないのです。
ある日、太郎くんは転居によって新しい家族に祖母をくわえ、郊外の平屋に住むことになりました。
おいたに、怪我に、自家中毒、風邪等々、両親や祖母の神経が休まる暇もありません。
それに母親と祖母のしつけ方のくい違いがあったり、父の勤務先のごたごたや、それらに起因して母親のいらいらが生じたりしますが、突然そんな太郎くん中心の生活に祖母の死がおとずれました。
しかし、太郎くんは人間の死ということをしりません。
おばあちゃんは遠い遠い所へ旅行に行ったと信じこんでいます。
丸い大きな月の昇ったある夜、太郎は小さなバースディ・ケーキと二本のローソクの前に座っています。
これからも太郎くんは、みんなの愛情と心づかいの中でぐんぐん大きくなってゆくことでしょう。
両親の顔もはれやかです--。


寸評
子育てをメインに置いたホームコメディで、誇張しながら描いているけれど時代が変われど赤ちゃん育てに関してはあまり変わっていないのだと感じる。
当時の子育て環境はこんなだったのだとの社会点描でもある。

笑ったと言っては喜び、歩いたと言っては喜ぶ子育ての楽しさが活写される。
もの言えぬ赤ちゃんの気持ちなど分かるわけもないが、その身になって挿入される中村メイコの声による赤ちゃんの気持ちのナレーションが可笑しいが、そうかもしれないなと思わせる。
そんなことを思っているはずはないのだが、太郎の言葉でサラリーマンのお父さんを揶揄させていている。
危ないことをしだすとハラハラし、病気になっては心配する親の姿は今もちっとも変わっていない。
子育て中の親ならば「あるある・・・」と納得するのではないか。

五郎、千代の夫婦は兄夫婦が転勤した為に、五郎の母親と同居することになる。
団地から一軒家に移ることが出来、家賃もいらないし母の生活費の一部として兄が仕送りもしてくれるので、メリットもあるのだが嫁、姑問題が横たわることになる。
真っ先にぶつかるのが子育て、子供の教育に関する対応の違いである。
厳しく育てたい母親と、何かにつけて甘いおばあちゃんが対立する。
一方、病気に関してはおばあちゃんは神経質である。
義母と同居しているお母さんならばやはり「あるある・・・」と納得するのではないか。

振り返ってみると、自分も子育てを通じて随分と楽しませてもらったことを思い出す。
確かにハラハラすることもあったし、心配することもあったが、圧倒的に楽しかったのだ。
会社勤めを終えて帰って来た時に飛びつかれると、それだけで疲れも取れたし嫌なことも忘れられた。
寝顔を見ると心癒されたものである。
そんな様子が描かれると「そうだった、そうだった」と思わず笑みが漏れてしまう。

付随する話として渡辺美佐子の義姉が登場したり、千代の姉である京塚昌子が登場するが添え物的だ。
同居している渡辺美佐子の義姉が「交代しましょうか」と言って、千代はすかさず「嫌よ!」と叫んで大笑いするシーンがあって、それはやがて千代夫婦が同居することへの伏線とはなっていたけれど…。
やがておばあちゃんは死んでいく。
太郎は二歳の誕生日を迎え、これからどんどん大きく育っていく。
一家の中でもそのようにして時は移っていくのだ。
この時間の経過はだれも止めることはできない。

山本富士子は当時美人女優としての誉れが高かった人だが、随分と恰幅のいい人だったんだなと思うと同時に、この作品ではそれが生きていた。
船越英二はイメージそのまんまで、この夫婦のバランスは絶妙である。