おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

笑の大学

2023-06-26 06:46:03 | 映画
「笑の大学」 2004年 日本


監督 星護
出演 役所広司 稲垣吾郎 高橋昌也 小松政夫 石井トミコ 小橋めぐみ    
   長江英和 吉田朝 陰山泰 蒲生純一 つじしんめい 伊勢志摩
   小林令門 河野安郎 木梨憲武 加藤あい 木村多江 八嶋智人

ストーリー
昭和15年、秋…。 日本では戦争が激化していた。
国民の娯楽である舞台演劇は規制され、舞台劇は上演前に警察により内容の検閲を受けねばならない。
笑いに対して理解のない警視庁保安課検閲係の向坂(さきさか)は、戦争で国民皆が一致団結するこの時期に、低俗な喜劇など不謹慎だと考えており、上演中止に持ち込みたいと考えていた。
向坂の元に、浅草の劇団〝笑の大学〟の座付作家・椿一が脚本を持ってくる。
向坂は『ジュリオとロミエット』という芝居が外国の設定であることに文句をつけ、日本設定に書き直させる。
椿は設定を日本に変え「金色夜叉」をベースにした脚本に書き変えてくるが、向坂は「お国のために」というセリフを3回入れろと新たな指示を出す。
さらに、警察署長の名前を使った登場シーンを入れろと指示された椿は、チョイ役で警官を登場させることにするが、その登場の設定の甘さに、ついつい向坂は躍起になって設定を詰め始める。
向坂は椿と接するうちに、喜劇舞台に興味を持つようになり、六日目にとうとう上演許可を下すが、ほっとした椿はつい口を滑らせて、笑いを弾圧しようとする国家の体制を批判する本音を漏らしてしまう。
向坂は許可を取り消し「笑いの要素を一切取り除いた脚本にしてこい」と命じる。
七日目、徹夜して仕上げた椿は向坂の元に脚本を持ってきた。
笑いの要素を取り除けと言ったにもかかわらず、今までの中で最も面白い出来になっていた。
向坂は上演不可を言い渡すが、椿は受け入れる。
椿のところに召集令状が届いていて、どっちみち舞台は中止になるわけだ。
そんな彼の後ろ姿に、立場を忘れた向坂は「必ず生還し、君の手で上演しろ!」と叫ぶのだった。


寸評
僕はこの舞台劇を見ているのだが、映画がその機能において舞台と全く違う点がいくつかある。
映画の特徴と言えるのが、クローズアップ、カット割り、モンタージュである。
もちろんエキストラを含めた出演者が多いとか、自由に場面を変えられるとかなどもあるけれど、やはり映像としての機能を生かす上記の3点は映画特有の映像的技術だ。
舞台劇を見ているだけにその違いに目が行った作品だった。

舞台版は西村雅彦、近藤芳正の二人芝居である。
何分かおきに爆笑が起きるというドタバタ喜劇ではないが、時折体をくすぐるユーモアのある、これが演劇なのだと思わせる芝居であった。
演劇に造詣のない僕は、宝塚と吉本新喜劇、松竹新喜劇しか知らなかったが、演劇のもつ力に圧倒された。
映画ではそれぞれを役所広司、稲垣吾郎が演じているが、舞台人である近藤芳正にアイドルグループSMAPの稲垣吾郎が予想に反して伍しているのは特筆されてよい。
舞台ではその存在が名前だけしか登場しなかったが、映画ではそれらの人々がわずかながら登場し、その他にも隠れ出演者がいて、それを発見するだけでも楽しい。
座長の青空寛太を小松政夫が演じて座布団回しを披露している。
モギリのおばさんは石井トミコ、警官・大河原は八嶋智人、チャーチルをダン・ケニーといった具合。
エンドクレジットでは寛一、お宮はそれぞれ 眞島秀和、 木村多江、ロミエット、ジュリオはそれぞれ小橋めぐみ、河野安郎、石川三十五右衛門の長江英和、ヒトラーのチュフォレッティなどが映像で紹介される。
劇団の支配人としてトンネルズの木梨憲武、カフェの女給として加藤あいなどもエキストラ出演していた。
出てこなかったのはおでん屋のオヤジぐらいだ。
その代わり、廊下の制服警官として高橋昌也が新たに登場していた。
ここまで登場させて、おでん屋のオヤジがなぜ登場しなかったのかなあ?

向坂は「笑の大学」劇団の上演を中止に持ち込むべく、椿の台本に対して笑いを排除するような無理難題を課していくが、いっぽう椿は何としても上演許可を貰うため、向坂の要求を飲みながらもさらに笑いを増やす抜け道を必死に考え、一晩かけて書き直していく。
向坂の検閲、椿の書き直し、そんな毎日が続くうち、いつしか向坂も検閲の域を超えた台本直しに夢中になってゆくという設定がユニークで面白い。
舞台同様、大笑いが起きる展開ではないが、舞台ではできない台本のクローズアップや、向坂と椿のやり取りをカットバックでテンポよく見せていく。
検閲室は舞台同様シンプルなセットで、カメラは二方向に固定されているのか、二人芝居を小気味よく切り返す。
時折、引いたショットも入り映画的興奮を高める。
セリフはほとんど舞台を継承しているが、ラストシーンは少し違った印象だ。
映画の方が、言論統制に対する警告が感じられ、このあたりは星監督の主張だったのだろう。
だけど、僕が抱いた最大の疑問は、あれほど完成された舞台劇を、ほぼ同じで映画化する必要がどこにあったのかということだった。