おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

嘆きのテレーズ

2021-08-05 07:21:07 | 映画
「嘆きのテレーズ」 1952年 フランス


監督 マルセル・カルネ
出演 シモーヌ・シニョレ
   ラフ・ヴァローネ
   ローラン・ルザッフル
   ジャック・デュビー
   シルヴィー

ストーリー
リヨンの裏町でラカン生地店の主婦になったテレーズ(シモーヌ・シニョレ)は、病弱なくせに傲慢な夫カミイユ(ジャク・デュビイ)、息子を溺愛するだけの義母ラカン夫人(シルヴィー)にはさまれ、家政婦のような扱いを受けながら冷たく暗い毎日を送っていた。
貨物駅に勤めるカミイユは或日イタリア人のトラック運転手ローラン(ラフ・ヴァローネ)と知り合い、意気投合して家に連れて来た。
逞ましく若々しいこの男の魅力にテレーズはみるみる惹かれ、ローランもまた彼女を思いつめて駆落ちを迫るようになったが、夫と義理の母に育ててもらった恩があるテレーズは別れ話を持ち出すことができず苦悩する。
しかし、幸せのかけらもないような日々に嫌気がさして、テレーズはカミイユに別れを切り出す。
カミイユはテレーズをパリに連れ出して監禁してしまえばローランと連絡もとれなくなると考え、パリに一緒に旅行に行けば別れることを承知してもいいともちかけた。 
テレーズはその言葉を信じて寝台列車に乗って夫と2人でパリに出かけたが、不審に思ったローランがこの列車に乗り込んでいた。
テレーズとローランが話し込んでいるのを見たカミイユは二人をひどくののしったので、かっとなったローランがカミイユを列車から突き落としてしまう。
ローランをかばうため、事件を疑うきびしい警察の訊問にもテレーズは口を割りはしなかった。
しかし、たえず彼女の脳裡を襲うのは惨死体となった夫の姿であり、息子の死以来全身不髄となってただ彼女を睨むだけのラカン夫人の眼であった。
一方、事件の夜、列車で夫婦と同室だった復員水兵(ローラン・ルザッフル)がいたが、彼は新聞でテレーズの住所を知ると同時にあの夜の記憶を呼びおこした。


寸評
よくある嫁と姑の物語のような雰囲気で始まる。
冒頭からこの三人の関係はよくないということがはっきりと描かれる。
テレーズは幼い頃に両親を亡くし伯母に引き取られて、伯母の息子でテレーズとは従兄にあたるカミイユと半ば強制的に結婚させられた。
病弱なカミユの看病と店と伯母の面倒を見ることが第一目的の結婚だった。
カミイユはマザコンで、義母は息子をネコ可愛がりして、息子にべったりである。
義母は姑根性丸出しで、何事につけても嫁はダメだと言い放っている。
カミイユは冴えない男だし、情けない男だと思うし、義母のラカン夫人に観客は憎悪の感情を持つだろう。
その意味で、嫌われ役ながらこの親子のキャスティングは成功している。
余分なシーンは描かずにテレーズとローランの恋を、シモーヌ・シニョレの押さえた演技を得ながら着実に描いていくことでこの映画を浮ついたものにしていない。
黒猫の描写から始まる初めての抱擁シーンは秀逸で、二人の恋が一気に燃え上がることを上手く表現している。
目を光らせる黒猫のアップから二人のキスシーンになり、倒れ込むように二人が画面から消えると窓から外の風景が見えるというカメラワークが素晴らしい。

ローランがテレーズとの関係をカミイユに打ち明けてからの展開は迫力を増す。
カミイユに打ち明けるシーンはなく、帰宅したカミイユがテレーズに詰めよる所から急展開を見せる。
カミイユはテレーズに別れないでくれと哀願するがテレーズは取り合わない。
弱い立場だった女が一旦覚悟を決めると強くなるといった風情である。
そこでカミイユはパリの叔母の家にテレーズを閉じ込めてしまおうと、とんでもない計画を実行しようとする。
親子が結託しての行いである。
そして列車での事件が起き、そのことで一時テレーズとローランの関係がおかしくなる。
お互いに非難し合う場面も用意されており、当然の成り行きのように思わせる描き方も心得たものだ。
ショックで口がきけなくなった義母だが、冷たい目だけは健在でテレーズを疑っているのを無言のうちに描く演出も決まっている。
電車でテレーズ夫妻と同室だった元水兵が登場し、二人をゆすりにかかり50万フランを要求してくる。
彼が偽証していたことも的確に描かれている。
このあたりは脚本の上手さだと思う。
脅迫してくる相手との対決があるなかで、彼らに有利な情報がもたらされるが、テレーズたちはそのニュースを知らないという展開に驚かされる。
そして思いがけないことが水兵に起きる展開はもっと驚かされる。
奇をてらった描き方ではなく、淡々と描いていることで逆にサスペンス効果をもたらしている。
水兵は自分は殺されるかもしれないと思っていたのだから、もちろんラストの描き方は予測されるものでありながらも余韻を感じさせる。
不倫物としても秀逸だが、サスペンス劇としても秀逸であり、極上のエンタテインメント作品になっている。
時代を超えて楽しめる作品だ。