おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

寝ても覚めても

2021-08-25 07:31:43 | 映画
「寝ても覚めても」 2018年 日本


監督 濱口竜介
出演 東出昌大 唐田えりか 瀬戸康史
   山下リオ 伊藤沙莉 渡辺大知
   仲本工事 田中美佐子 長内映里香

ストーリー
大阪で社会人になったばかりの朝子は偶然出会った同い年の青年、麦(ばく)に恋に落ちる。
2人で遊ぶようになり、次第に付き合うようになる。
しかし、フワッとしている麦は、突然、フワッと姿を消したりする。
朝子は突然いなくなったことを、とがめることもなく、ただ目の前に麦がいることに幸せを感じていた。
そしてある日、麦は上海に旅立ったまま朝子のもとに帰って来なくなった。
三年後、朝子は東京に引っ越しカフェで働き始める。
ある日、朝子の働くカフェのビルにある会社にコーヒーを届けるとそこには麦にそっくりの男性、亮平がいた。
名前も年齢も性格もぬくもりも違う麦と亮平だが、その顔を見て朝子は胸は高まるばかり。
雪の降った日、朝子が貧血を起こし公園のベンチで休んでいると亮平が通りかかり自宅まで送り届けてくれた。
それをきっかけに2人は親しくなり、朝子は優しい青年、亮平と付き合うようになる。
朝子は、亮平と付き合いが続いても、顔が麦そのものに見えて仕方がない。
しかし、朝子の友だち春代は、「雰囲気が麦に似ている」という程度で、朝子がいうほど麦と亮平が似ているようには感じてはいなかった。
そんな時、テレビで鳥居麦として超売れっ子俳優になっている麦を見る。
これはまぎれもなく麦だと確信する朝子。
そしてある日、朝子がいる場所のすぐ近くで、麦が出演している番組の撮影が行われていることを知る。
朝子は春代と共に、大急ぎで麦がいるであろう場所へと向うが麦とは出会えなかった。
するとある日、朝子の自宅前で「さあちゃん」という声が聞こえた。


寸評
映画が始まると朝子と麦の出会いが描かれ、突然麦が子供たちが遊んでいた川べりの通りで朝子にキスをする。
すごく唐突なシーンに感じたのだが、すぐに場面が切り替わり岡崎が麦と朝子に「そんな事があるわけないだろ!」と叫ぶシーンとなる。
そのことで今まで描かれてきたことは、麦が朝子との出会いを岡崎に語っていたのだと判る。
この描き方は僕の感性と一致するのでスムーズに映画の世界に入っていくことが出る納得の演出である。
ドラマは3年後に飛んで、朝子は東京のカフェで働いていて、そこで麦とそっくりな丸子亮平と出会うのだが、双子ならいざ知らずあんなに似た男が現実にいるはずもなくリアルさには欠けているはずなのに、ファンタジーという感じではない現実と非現実の間を浮遊しているような不思議な雰囲気を出して行くという一貫した描き方がいい。
朝子、亮平、友人たちとの何気ない会話から、彼らの微妙な心理状態が見えてくるのだが、大阪人の僕は彼等の話す関西言葉に親和感を感じ、特に朝子の親友という伊藤沙莉演じる春子が面白い存在に見えた。
春子もマヤも必死で朝子を諭すのだが、朝子はその忠告を無視するように麦と亮平の間を揺れ動く。
なんて浮気性な女だと思えるのだが、しかしじっくり考えてみると突拍子もない行動とも思えなくなってくる。
過去に愛した相手を一生忘れないで新しい相手と過ごしていることは誰にでもあるのではないかと思う。
それは岡崎の母である田中美佐子が昔の恋を2度も語りながら、その相手は結婚相手ではなかっと明かすことで示されている。
朝子役の唐田えりかは、表情もセリフも平板に見えるが、濱口監督はあえてそうさせているのだと思う。
定まらない目線やふらふらとした行動、居心地の悪そうな表情、謎めいた態度がこの映画には合ってる。

朝子にとって衝撃的な恋は、彼女に寝ても覚めても麦のことを想わせ続ける。
唐突と感じるシーンは所々にあり、朝子が「東日本大震災」のボランティアに行ってるのもその一つだ。
なぜここで「東日本大震災」が出てきたのだろう。
どことなく気だるそうな麦と朝子なのだが、東北の被災者と違い地震にあっても生き残ったのに所在のなさそうな生き方をしていることへの批判があったのかもしれない。
泉谷朝子は現実に身を置くことができず、鳥居麦の帰還を「寝ても覚めても」待ち続けていた。
その思いを捨てきれることは出来るのだろうか。
亮平が「お前のことはずっと信用せえへんからな」という気持ちはよくわかる。

本作の最もスリリングな場面は東出昌大が演じる亮平と麦が同席するシーンである。
彼が二役をやっているというだけではなく、そこから30分以上にわたって描かれる物語はエンドに向かうための展開と、めくるめく奇跡的なショットの連続で見せるものがある。
朝子が大阪に引き返す夜行バスがトンネルに入り、朝子の顔が点滅するようにトンネルの壁面に取り付けられたライトによって浮かび上がるショットなどは朝子の心情を写して実に美しい。
大阪に借りた家の前を淀川の支流である天の川(枚方市)が流れている。
亮平は「汚い川だ」と言うが、朝子は「綺麗やん」と言う。
彼らの人生が汚いものになるのか綺麗なものになるのかは分からないが、川の流れの様に人生も留まることはなく流れていく。