おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

バーディ

2021-08-28 07:54:47 | 映画
「な」行が終わり「は」行になります。
前回の「は」は2019/12/27の「ハート・ロッカー」からでした。
今回は少し多めに紹介します。

「バーディ」 1984年 アメリカ


監督 アラン・パーカー
出演 マシュー・モディーン
   ニコラス・ケイジ
   ジョン・ハーキンス
   サンディ・バロン
   カレン・ヤング
   ブルーノ・カービイ

ストーリー
泥沼のベトナム戦線から帰還したアル・コランバトは地獄の戦火の中で顔面に重傷を負っている。
彼は一路、故郷フィラデルフィアに近い海軍病院へ向かい、子供の頃からの親友バーディと再会した。
だが、バーディは檻のような精神病棟の中で、鳥のように身をすくませていた。
前線で精神錯乱を起こした彼を、友の呼びかけで正気に立ち戻らせられないかという、担当医師ワイス博士の考えだった。
2人が初めて出逢った時から、アルにとってバーディは世話の焼けるヤツだった。
バーディはひたすら鳥になりたいと考えている少年だったが、度が過ぎて工場の屋根から落下。
しかし、落下しながらバーディは初めて「飛ぶ」という感覚に目覚めた。
2人は何から何まで対照的な親友だった。
スポーツマンで女のコに積極的なアルに対し、バーディは付き合い下手で、自分の世界に閉じ込もりがち。
そんなある日、バーディはペット屋で可愛いカナリヤを買いパータと名付けた。
鳥小屋に裸のままで入ったバーディは、パータを肩に乗せ横になる。
いつしか夢と現実の境界がバーディの感覚から消えていき、彼は鳥になって空を、自由に飛翔した。
「飛んだんだ、本当に飛んだんだ!」と言うバーディの言葉に、アルは首を横に振るばかりだった。
やがて、アルがベトナム戦争へ出征する日がやって来た。
そして、バーディもベトナムヘ。
錯綜する回想の中で、友を想うアルの必死の呼びかけが続いた。


寸評
僕は少年時代にハトを買っていたことがある。
帰巣本能が強いハトは暫く飼っていると放しても巣箱に戻ってきた。
数羽で飛ばしたハトが別のハトを連れ帰ったこともあった。
あの頃はここで登場するバーディ同様にハトが友達だったのかもしれない。
もっとも僕はバーディのように鳥になりたいとは思わなかった。
バーディは鳥に夢中で、自分も鳥のように飛びたいと思っている。
そんな風に思った者はバーディが最初ではない。
いつか鳥のように大空を飛びたいと思い続けた人たちが飛行機を開発したのだ。
鳥を愛し、鳥のように飛びたいと願う若者の話なら童話的だが、戦争の被害者でもある二人の話は明るくはない。

アルは病院にバーディを訪ねるが、バーディは精神病棟の中で鳥のように身をすくませ動かない。
言葉も発せず親友のアルすら分からない。
アルを演じたマシュー・モディーンの精神病棟での表情はすごい。
本当に精神病を患っている患者の様だ。
一言も言葉を発せず、身動きもしないで表情だけを演じきったことに感心する。
必死に語り掛けるニコラス・ケイジに対すように、マシュー・モディーンのバーディは無表情である。
その対極が痛々しさを倍増させ、ベトナム戦争の悲惨さをも訴える。

絶望的とも思える病院内の様子に反して、二人が心を通わせていくハイスクール時代の姿は微笑ましい。
人付き合いの苦手なバーディだったが、アルには心許すようになり二人はいつも一緒にいるようになる。
正反対な性格だから女の子に対する接し方も違う。
アルは積極的だが、バーディは関心を示さない。
バーディの関心は鳥にしかないことを強調するようなエピソードが続く。
バカげたことを夢中になってやれる年代の二人の楽しげな姿も描かれ、今の状況との違いが強調される。

バーディはダンスパーティで女の子から誘われても興味を示さず、喧騒から帰って服を脱ぎ捨て素っ裸になる。
バーディは人間世界から抜け出し鳥と同化する。
鳥は自由の象徴だ。 彼は自由になり、鳥になり、空を飛ぶ。
バーディもアルもベトナム戦争で地獄を見てきている。
戦場は自由と対極にある世界だ。
彼等は戦争の犠牲者でもあり、入隊前の自由を奪われた人間だ。
病院の二人の姿は痛々しいが、バーディはアルの愛情によって目覚め言葉を発する。
しかしワイス博士がやって来た時には再び無言になってしまうのだが、「彼には話すことがない」というバーディの言い分が痛快に感じて完全復活を印象付ける。
再び鳥になるラストはそうなんだろうけれど、流石にもしやと思い驚かされた。