おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

廃市

2021-08-31 06:32:05 | 映画
「廃市」 1984年 日本


監督 大林宣彦
出演 小林聡美 山下規介 根岸季衣
   峰岸徹 入江若葉 尾美としのり
   林成年 入江たか子

ストーリー
江口(山下規介)は大学生の頃、卒論を書くために、一夏をある古びた運河の町で過ごした。
そして、月日が流れ、歴史のある運河の町が火事で焼けたことをニュースで知った江口は、10数年前に大学の卒論執筆のためにこの町を訪れたときのことを回想をしはじめる。
江口が親戚から紹介された宿泊先、貝原家を訪れると出迎えたのはまだ少女の面影を残す娘・安子(小林聡美)だった。
その夜、寝つかれぬまま彼は、波の音、櫓の音、そして女のすすり泣きを耳にする。
次の日、江口は安子の祖母・志乃(入江たか子)に紹介されるが、一緒に暮らしているはずの安子の姉・郁代(根岸季衣)は姿を見せない。
ある日、貝原家から農業学校に通っている青年・三郎(尾美としのり)の漕ぐ舟で江口は安子と出かけた時、町がすっかり気に入ったという江口に、「この町はもう死んでいるのよ」と言って、いつも快活な安子が暗い微笑を浮かべるのだった。
その帰り、江口は郁代の夫・直之(峰岸徹)を紹介された。
安子の母の十三回忌が行なわれ、江口はその席で、直之からもこの町が死んでいるという言葉を聞く。
その夜、彼は直之と安子がひっそりと話しているのを見た。
次の日、母親の墓参りに出かけるという安子に付き合った江口は、その寺で郁代に出会う。
安子の話だと、郁代が寺に移ってから直之も他に家を持ち、秀(入江若葉)という女と暮らしているとのことだったが、なぜ郁代が家を出たのかは安子は話したがらない。


寸評
僕は学生時代に仲間たちと16ミリで撮影を行っていた。
映画の撮影は35ミリで行われていて、とてもそれに及ばない画質であったが、当時において個人が趣味で撮影していた8ミリに比べれば機材も立派で段違いの映像を得ることが出来た。
僕たちは個人の趣味を超えた撮影機材と映写機でクラブ活動に名を借りた贅沢な遊びをしていたのだ。
この作品も16ミリで撮影されているのだが、さすがにプロは上手い。
画質の粗さを逆手に取って、ミステリアスで幻想的な雰囲気を上手く引き出している。

大林監督のもとに掛け参じた役者たちの出演料はなかったと聞き及んだが、仲間意識が高じたためなのだろうけど、招集した小林聡美、山下規介、根岸季衣はミスキャストだったと思う。
失礼を承知で言えば小林聡美と根岸季衣を美人姉妹と呼ぶには抵抗がある。
もちろん名優の彼女たちは目いっぱいの演技を披露しているのだが、この作品においては違和感があった。
山下規介は新人でやむを得ないけれど、心の中を表現する領域に達していない。
それに比べれば尾美としのりは手慣れたもので、セリフを全く発しないのに気持ちを表現していた。
三郎青年は安子を慕っていたのではないかと思う。
当然、遠縁の仲とはいえ親しくする江口に嫉妬したはずだし、そのようなそぶりは随所にみられる。
恋のライバルに対する気持ちは複雑だ。
何もかもを独占したい気持ちが存在しているので、自分の知らないことを知られていたり、目の前で必要以上の親しさを見せつけられると狂おしい気持ちになってしまう。
三郎青年は正にそんな気持ちで二人を見ていたのではないか。

いわゆる三角関係なのだが、その対象者が姉妹である事、そして土地柄から自分の気持ちをはっきりと表明しないことから生じる悲劇を描いている。
直之は口では姉の郁代を愛していると言っているが、本当は安子が好きだったのだ。
その反動で都合よく秀に走っているのだが、郁代にとって相手が秀だったら全く違った内容になる。
秀は直之の本心を知りながらも、今の自分に満足しているし、そして直之もそんな秀に付け込んで過ごしている。
郁代も問い詰めるようなことはしないが、想像が想像を生んで猜疑心は募るばかりなのだ。
それぞれが自分の本心を伝えないので誤解を生むということなのだろうが、恋愛に関して言えば当の本人達には言わなくっても感じるだろうの気持ちが生じるものだ。
しかし、言いそびれたばかりに別の人と歩き出すことになるのも世の常なのだ。
三郎が最後に江口に叫ぶのは、ずっとそばで見つめ続けていた彼ならではの確信だし、的を得ている。
しかし時すでに遅く、人生は後戻りをすることが出来ない。
江口にとっても青春の苦い思い出だったのだろう。

当時、市の観光課は「廃市」というタイトルを嫌がったらしいが、今ではそれも売りとしているようだ。
そうしても良いぐらい、日本のベニス・柳川の魅力が描かれている映画でもある。
柳川をこれほどまでに撮り込んだ作品は他にはないだろう。