おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

にあんちゃん

2021-08-11 07:06:46 | 映画
「に」に入ります。
前回の「に」は2019/12/4の「ニキータ」から2019/12/15の「人情紙風船」まででした。
バックナンバーからご覧ください。
今回は11~12本ほどになりそうです。

「にあんちゃん」 1959年 日本


監督 今村昌平
出演 長門裕之 吉行和子 松尾嘉代 中村武
   前田暁子 北林谷栄 小沢昭一 二谷英明

ストーリー
昭和二十八年の春。
佐賀県にある鶴ノ鼻炭鉱では、ストライキが行われていた。
そのさなかに、安本一家の大黒柱である炭鉱夫の父親が死んだ。
残されたのは20歳になった喜一(長門裕之)と、良子(松尾嘉代)、高一(松尾嘉代)、末子(前田暁子)の四人の子供たち。
安本一家が住んでいる山の中腹の長屋の人たちも、皆その日暮しの苦しい生活をしていた。
喜一が失業し、一家共倒れを防ぐため、高一と末子を辺見さん(殿山泰司)の家にあずけ、喜一は良子と長崎に働きに出かけたが、辺見家でも生活は苦しく末子は栄養失調になった。
赤痢が発生し末子も罹病したが保健婦のかな子(吉行和子)と、末子の担任教師桐野(穂積隆信)が働いた。
やがて、会社が炭鉱を廃坑すると宣言し、人々はやむなく家をたたみ、山を下りていった。
高一と末子も、帰って来た喜一に連れられて、閔さん(大森義夫)の家に引きとられた。
しかし、汚ない堀立小屋で異臭がひどく、夜逃げして炭鉱に戻った。
高一も漁港へ働きに出かけた。
喜一は佐賀のパチンコ屋に就職した。
かな子は東京に転勤になった許婚者の松岡(二谷英明)を追って鉱山から去った。
高一は東京へ行ったが、東京へ着くとすぐ警察に保護された。
中学生が、それも一人で九州から職を探しに来たという話に、不審に思った自転車屋の主人(高原駿雄)が警察に連絡したのである。
送り返されて高一は炭鉱村に帰った。
嬉し泣く末子の肩を抱きながら、高一はやはり兄妹一緒に生きていこうと思った。


寸評
僕の小学生時代は教室の暖房に石炭ストーブが使われていた。
校庭の隅っこには石炭小屋があって、日直の生徒が少し早く登校してバケツに石炭を一杯入れて教室に運び、石炭ストーブの火入れを行っていた。
石炭ストーブの上にはやかんが載せられていて、時間がたつとシュンシュンと音を立てだした。
その頃には石炭の需要もあったのだろう。
しかし落盤事故を始め炭鉱事故も発生していて、炭鉱夫は危険な仕事なのだと子供心にも思っていた。
そして石炭産業は斜陽産業なのだとの認識もあったように思う。

映画の舞台は鶴ノ鼻炭鉱という小さな炭鉱で、朝鮮人労働者も数多く働いている。
どうやら安本一家も在日朝鮮人一家らしい。
映画は冒頭で海辺のボタ山を中心にした小さな炭坑町を上空から映し出す。
カメラは、「スト決行中」と書いた貼り紙の下に座り物憂げに遠くを見つめている炭鉱労働者を映し、続いて石炭を掘るために入っていく坑口や石炭を積みだすトロッコ車を描写する。
今はどこにもないであろう、消えてしまった炭鉱の町がリアルに映し出される。
産業遺産とでも呼ぶべき光景は記録映画の様でもある。
この町の人々は誰もが貧しい。
母親はなく、父親を亡くした安本一家は今日食べる米もない。
生活苦でいらだっているオカミさんもいるが、親切な人も同時に存在している。
思い返せば、子供の頃の社会は少ないながらも相互扶助の風潮があったように思う。
知り合いとは言え、他人の子にご飯を食べさせてあげることもあったし、こまっていれば援助してやることもあったが、それは決して憐みの気持ちからではなかったと思う。
4兄弟姉妹は辛い目にあいながらも、たくましく生きていく。
辺見のおじさんは親切な男だが、辺見の家庭も食べるのが精一杯で、おばさんは高一達につらく当たる。
彼らに親切にしてくれるのは辺見以外にも、保健婦のかな子や小学校の教師である桐野などがいる。
桐野はかな子に好意を持っているが見事にふられてしまう。
しかし思いやりの心が健在で、そのことで二人の関係が気まずくなることはない。
桐野は教科書代が払えず学校に来ない末子に教科書をプレゼントする。
病気で学校に行っていないと思っていたかな子には想像できない理由だったろうし、桐野の優しさを知ったことも無下に桐野を避けるような行動をとらせなかったのだと思う。
桐野先生は遠足の行先を利用して姉の良子に会いに行こうとする末子に、「これで二人でなにか食べろ」とお金を渡してやるのだが、実際、僕の小学校にも桐野のような先生は居たように思う。
東京から撮れ戻された高一に、桐野先生は「「おまえは学校の成績も一番じゃ。やるんなら、どがんこともできるけん、どがんしても飛び出したかったら、もう少し大きくなって飛び出せ。焦ることはなか」と言う。
高一が末子とボタ山に登りながら強く生きることを決意する姿に救われる。
原作はこの末子が書いた日記で、大きくなった高一は慶応へ、末子は早稲田に進学したらしい。
後日譚を知ると嬉しくなる。