おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

他人の顔

2021-05-19 07:32:27 | 映画
「他人の顔」 1966年 日本


監督 勅使河原宏
出演 仲代達矢 京マチ子 平幹二朗
   岸田今日子 岡田英次 入江美樹

ストーリー
奥山常務(仲代達矢)は新設工場を点検中、手違いから頭と顔を繃帯ですっかり覆われる大火傷を負った。
彼は顔を失うと同時に妻(京マチ子)や共同経営者の専務(岡田英次)や秘書(村松英子)らの対人関係をも失ったと考えた。
彼は妻にまで拒絶され、人間関係に失望し異常なほど疑い深くなった。
そこで彼は顔を全く変え他人の顔になって自分の妻を誘惑しようと考えた。
病院の精神科医(平幹二朗)は仮面に実験的興味を感じ、彼に以後の全行動の報告を誓わせて看護婦(岸田今日子)と共に仮面作成を引受けた。
彼は頭のレントゲンを受けながら、ふと以前見た映画中の旧軍人精神病院で働く美しい顔にケロイドのある娘(入江美樹)が、ある夜戦争の恐怖におびえてか兄(佐伯赫哉)に接吻を求め、そして夜明けの海へ白鳥のように消えていった姿を思い出すのだった。
そして彼は或る日医者がホクロの男(井川比佐志)の顔型を借りて精巧に仕上げた仮面をつけて街へ出た。
ビヤホールでは女給の脚に目を奪われたが、医者はそれを仮面の正体の現われと評した。
彼はアパートに二部屋をとり他人になりきろうとしたが、管理人(千秋実)の精神薄弱の娘(市原悦子)に包帯の男だと見破られたが、会社の秘書が気付かないと分ると、彼は妻を誘惑し姦通した。
妻を嫉妬し激しくなじると、彼女は初めから夫であることを知っていたと告げ、立去った。
彼は夜更けの通りを歩きながら、「自分は誰でもない純粋な他人だ」と咳き、衝動的に女を襲った。
巡査は診察券を持つ彼を気違いと思って医者を呼び、医者は仮面の返還をせまった。
彼がこばむと「君だけが狐独じゃない。自由というものはいつだって狐独なんだ。剥げる仮面、剥げない仮面があるだけさ」と彼を避けるように歩き出した。
更に医者が「君は自由なんだ。自由にし給え」と言うと、彼はいきなり医者からナイフを奪うと刺し殺した。


寸評
最近は町のあちこちにカラスが出没している。
しかも1羽2羽とかではなく、5羽6羽とたむろして生ゴミなどをあさっている姿を見かけるのは珍しくはない。
僕が見る分には、それら群がっていいるカラスの判別がつかない。
一度飛び去って再び飛来した時に見分けることは至難の業である。
一体、彼らは仲間の判別を何に基づいて行っているのだろうと思う。

僕たちは人の判別を、大抵の場合その人の顔で行っている。
体つきや声色はそれを補足しているに過ぎない。
仲代達矢は大やけどを負い、顔を包帯で覆われているため顔による判別がつかなくなっている。
しかし、きわめて特異な姿だから、その姿で当人を特定できる。
秘書の村松英子からすれば、包帯で顔全体を覆った男は常務なのだと判断するのは当然だ。
男はその安易さを執拗に責める。
顔を失ったことで、相当根性がゆがんでしまっていることを匂わせる。
男のひがみ根性は妻にも向かう。
しかし、妻もケロイドを負った夫を拒絶している。
それは若い女を誘惑しようとした男たちが、その女性のケロイドを負った顔を見てたじろぐ姿と同様だ。

本来の顔を失くしてしまったことは男のコンプレックスとなっている。
コンプレックスは大抵の人が持っている感情だろう。
それが解消されれば随分と精神状況が変わるのではないかと想像は出来る。
髪が薄いことを嘆いている人がフサフサ頭になったらどうだろう。
音痴の者が何かのきっかけで歌が上手くなったらどうか。
運動が苦手でドンクサイと馬鹿にされていた者が徒競走で一番を取れるようになったらどうか。
勉強ができないとさげすまされていた者が一流大学に合格すればどうだろう。
おそらく当人の態度は変化みせるだろうし、なにより周囲の見る目が違ってくるに違いない。
男は仮面を得て他人になることで、抱いていたコンプレックスを取り除く。
取り戻した自信によって、男の目は女性の足に向かう。
医者は男に仮面をつけた他人となった証だと告げるが、顔を変えることは別人格となる事なのだろうか。
本能的な精神薄弱の娘は顔が変わっても人格は変わっていないことを見抜く。
おそらく妻もすぐさま見抜いていたのだろう。
ケロイドを拒絶していても夫を愛していたのかもしれない。
妻は仮面を夫の優しさだと思っていたが、夫は妻への復讐に利用している。
この映画は妻との関係に重点を置いているが、人間の素晴らしさを称賛している内容ではない。
さりとて、人間が持ってしまっている恐さのようなものを感じさせないのは欠点だ。
僕はラストの医者の叫びが分からなかったし、ケロイドの少女の登場もよく分からなかった。
僕は安倍公方作品が理解できないのかもしれない。