「た」は2020年9月28日の「ダーティハリー」から始まりました。
興味のある方はバックナンバーからご覧ください。
今日から紹介しきれなかった作品を追加掲載します。
2020/9/29に「ターミネーター」の第1作を紹介しています。
今回は第2作を。
「ターミネーター2」 1991年 アメリカ
監督 ジェームズ・キャメロン
出演 アーノルド・シュワルツェネッガー
リンダ・ハミルトン
エドワード・ファーロング
ロバート・パトリック
アール・ボーエン
ジョー・モートン
ストーリー
あれから10年後の1994年、人類滅亡の日は3年後に迫っていた。
表面上は平和に見えるロサンゼルスの街に、未来から2体のターミネーターが送り込まれてきた。
1体は未来社会を支配しているミリタリー・コンピューター、スカイネットにより送り込まれたT1000型。
未来の指導者となる少年ジョン・コナーを抹殺するという使命を与えられたT1000は、形状記憶擬似合金で構成されていて、触れることでどんな物体にも変化できて戦闘能力は以前をはるかに上回っていた。
もう1体は未来のジョン・コナー自身が送りこんだT800型で、少年ジョンを守ることを使命としていた。
その頃、ジョン・コナーは養子に出され、その母サラ・コナーは、1997年8月29日に核戦争が勃発し人類が滅亡するという危機を人々に訴えようとして精神病院に送り込まれていた。
ジョンを狙いT1000の執拗な追跡が始まったが、その前にT800が立ちふさがる。
「君を守るためにやってきた」と告げるT800にジョンは驚くが、心を開き、精神病院に閉じ込められたサラを救い出そうと病院に向かう。
病院を脱走しようとしているサラは厳重な警備を死闘の末に抜け出し、息子ジョンと再会する。
以前自分を殺そうとしたターミネーターにうりふたつのT800を初めは疑ったサラだったが、次第に彼を信じるようになり、共に人類を滅亡の危機から救おうと行動を開始する。
メキシコで武器を調達し、サラは単独で研究所員マイルス・ダイソンの家を襲撃する。
未来の人類滅亡の危機を招くことになる革命的な新型コンピューター・チップの研究をストップさせるためだ。
寸評
アーノルド・シュワルツェネッガーが今度はサラとジョンを守るために帰ってきた。
前作の悪役から正義の味方に代わっているわけで、その変化は特徴がありすぎる容姿からすれば違和感を生じるはずなのだが、それを瓜二つのターミネータとして、最初はサラにも疑わせることで問題解決を図っている。
これにより「ターミネーター・シリーズ」はアーノルド・シュワルツェネッガーのシリーズとなった。
未来を知っているサラが妄想を描く精神病患者として警察病院に閉じ込められているのだが、そのストーリー展開よりも目を見張るのがコンピューター・グラフィックスの進歩で、T1000が誰にでも変化したり、倒れても倒れても生き返ってくる映像処理に圧倒される。
T1000が変じた警官を演じているロバート・パトリックも印象に残るのだが、液体金属から警官に戻る様子のほうが記憶に残るし、散り散りになった液体金属が集まって来て元通りになる場面なども興奮させられる。
何年かすればこの技術も陳腐なものになってしまっているのだろうが、現時点では驚異的なCG技術である。
前作のヒットで製作費をつぎ込めるようになった為だろうが、アクション・SFX(T1000のCG効果は驚異的!)はかつてない充実を見せ一級エンタテインメントの様相を呈している。
しかしながら前作の続編とあって、キャラクターの書き込み不足から来る感動的要素の欠落があって、前作ほどの完成度には至っていないと思う。
未来だけを語る母親を信じられず非行に走ってしまっているジョンと母親サラとの過去の確執は語られるだけで、世界でただひとり人類破滅の日を知ってしまったサラの苦悩、それをイメージとして映像化したシーンのインパクトなど、単なるSFバイオレンスに終わらせまいとする意気込みは買えるだけに惜しい。
もともと核戦争によって滅亡寸前となってしまった人類なので、核戦争に対する批判をサラの口から研究所員マイルスに対して直接的に語らせていたのは、単純だけれど解りやすくていい。
サラは「未来を見据えないで自己満足だけで研究開発するから水爆のようなものが出来てしまうのだ」と叫ぶ。
戦争は狂気の世界を生み出し、第二次世界大戦時においても各国は原子爆弾の開発を試みていたのだ。
そして原子爆弾は最終兵器として開発され、日本に2発も落とされた。
核の脅威はその後の世界をいかに悩ませているかを、当時の科学者たちは予見できなかったのだろうか?
予見できていたとしても、やらなければやられてしまうという恐怖が開発に向かわせたのだろうか?
未だに核を持った国は攻撃されないという思いがあって、すでに持った国、あるいは半ば公然と開発を急ぐ国が存在しているのだ。
無敵を誇る新型のT1000だが、液体窒素で固まってしまい粉々にされる。
しかしそれが溶け出し、分散していた水銀が合流していくように集まりだして復活する。
僕が子供の頃の体温計には水銀が入っていて、割れた体温計から水銀を取りだし、同じような遊びをしていたことがあって、最新のシーンのはずだが何だかノスタルジーを感じた。
最先端の金属のはずだが、やはりそれでも溶鉱炉の熱には勝てなくて、最後は結局アナログ的な勝利で終わるのがちょっと滑稽。
ラストシーンでのT800の言葉と結末は感傷に浸らせてくれる。
興味のある方はバックナンバーからご覧ください。
今日から紹介しきれなかった作品を追加掲載します。
2020/9/29に「ターミネーター」の第1作を紹介しています。
今回は第2作を。
「ターミネーター2」 1991年 アメリカ
監督 ジェームズ・キャメロン
出演 アーノルド・シュワルツェネッガー
リンダ・ハミルトン
エドワード・ファーロング
ロバート・パトリック
アール・ボーエン
ジョー・モートン
ストーリー
あれから10年後の1994年、人類滅亡の日は3年後に迫っていた。
表面上は平和に見えるロサンゼルスの街に、未来から2体のターミネーターが送り込まれてきた。
1体は未来社会を支配しているミリタリー・コンピューター、スカイネットにより送り込まれたT1000型。
未来の指導者となる少年ジョン・コナーを抹殺するという使命を与えられたT1000は、形状記憶擬似合金で構成されていて、触れることでどんな物体にも変化できて戦闘能力は以前をはるかに上回っていた。
もう1体は未来のジョン・コナー自身が送りこんだT800型で、少年ジョンを守ることを使命としていた。
その頃、ジョン・コナーは養子に出され、その母サラ・コナーは、1997年8月29日に核戦争が勃発し人類が滅亡するという危機を人々に訴えようとして精神病院に送り込まれていた。
ジョンを狙いT1000の執拗な追跡が始まったが、その前にT800が立ちふさがる。
「君を守るためにやってきた」と告げるT800にジョンは驚くが、心を開き、精神病院に閉じ込められたサラを救い出そうと病院に向かう。
病院を脱走しようとしているサラは厳重な警備を死闘の末に抜け出し、息子ジョンと再会する。
以前自分を殺そうとしたターミネーターにうりふたつのT800を初めは疑ったサラだったが、次第に彼を信じるようになり、共に人類を滅亡の危機から救おうと行動を開始する。
メキシコで武器を調達し、サラは単独で研究所員マイルス・ダイソンの家を襲撃する。
未来の人類滅亡の危機を招くことになる革命的な新型コンピューター・チップの研究をストップさせるためだ。
寸評
アーノルド・シュワルツェネッガーが今度はサラとジョンを守るために帰ってきた。
前作の悪役から正義の味方に代わっているわけで、その変化は特徴がありすぎる容姿からすれば違和感を生じるはずなのだが、それを瓜二つのターミネータとして、最初はサラにも疑わせることで問題解決を図っている。
これにより「ターミネーター・シリーズ」はアーノルド・シュワルツェネッガーのシリーズとなった。
未来を知っているサラが妄想を描く精神病患者として警察病院に閉じ込められているのだが、そのストーリー展開よりも目を見張るのがコンピューター・グラフィックスの進歩で、T1000が誰にでも変化したり、倒れても倒れても生き返ってくる映像処理に圧倒される。
T1000が変じた警官を演じているロバート・パトリックも印象に残るのだが、液体金属から警官に戻る様子のほうが記憶に残るし、散り散りになった液体金属が集まって来て元通りになる場面なども興奮させられる。
何年かすればこの技術も陳腐なものになってしまっているのだろうが、現時点では驚異的なCG技術である。
前作のヒットで製作費をつぎ込めるようになった為だろうが、アクション・SFX(T1000のCG効果は驚異的!)はかつてない充実を見せ一級エンタテインメントの様相を呈している。
しかしながら前作の続編とあって、キャラクターの書き込み不足から来る感動的要素の欠落があって、前作ほどの完成度には至っていないと思う。
未来だけを語る母親を信じられず非行に走ってしまっているジョンと母親サラとの過去の確執は語られるだけで、世界でただひとり人類破滅の日を知ってしまったサラの苦悩、それをイメージとして映像化したシーンのインパクトなど、単なるSFバイオレンスに終わらせまいとする意気込みは買えるだけに惜しい。
もともと核戦争によって滅亡寸前となってしまった人類なので、核戦争に対する批判をサラの口から研究所員マイルスに対して直接的に語らせていたのは、単純だけれど解りやすくていい。
サラは「未来を見据えないで自己満足だけで研究開発するから水爆のようなものが出来てしまうのだ」と叫ぶ。
戦争は狂気の世界を生み出し、第二次世界大戦時においても各国は原子爆弾の開発を試みていたのだ。
そして原子爆弾は最終兵器として開発され、日本に2発も落とされた。
核の脅威はその後の世界をいかに悩ませているかを、当時の科学者たちは予見できなかったのだろうか?
予見できていたとしても、やらなければやられてしまうという恐怖が開発に向かわせたのだろうか?
未だに核を持った国は攻撃されないという思いがあって、すでに持った国、あるいは半ば公然と開発を急ぐ国が存在しているのだ。
無敵を誇る新型のT1000だが、液体窒素で固まってしまい粉々にされる。
しかしそれが溶け出し、分散していた水銀が合流していくように集まりだして復活する。
僕が子供の頃の体温計には水銀が入っていて、割れた体温計から水銀を取りだし、同じような遊びをしていたことがあって、最新のシーンのはずだが何だかノスタルジーを感じた。
最先端の金属のはずだが、やはりそれでも溶鉱炉の熱には勝てなくて、最後は結局アナログ的な勝利で終わるのがちょっと滑稽。
ラストシーンでのT800の言葉と結末は感傷に浸らせてくれる。