おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

潜水服は蝶の夢を見る

2021-05-01 08:13:14 | 映画
「潜水服は蝶の夢を見る」 2007年 フランス / アメリカ


監督 ジュリアン・シュナーベル
出演 マチュー・アマルリック
   エマニュエル・セニエ
   マリ=ジョゼ・クローズ
   アンヌ・コンシニ
   パトリック・シェネ
   ニエル・アレストリュプ

ストーリー
雑誌ELLEの名編集長として人生を謳歌していたジャン=ドミニク・ボビー(ジャン=ドー)は、42歳の時、ドライブ中に突然脳梗塞で倒れてしまい、その後、病室で目覚めた彼は身体全体の自由を奪われた“ロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)”となっていた。
ジャン=ドーが教わったコミュニケーション方法とは、質問に対しての答えがイエスなら1回瞬きをし、ノーなら2回瞬きをするという初歩的な手段と、アルファベットを読み上げていき、ジャン=ドーが該当する言葉の箇所で瞬きをするという方法で、1文字ずつながらも思いを伝える方法だった。
ジャン=ドーは倒れる前に出版社と本を執筆する契約を交わしていた。
そこでジャン=ドーは編集者クロードを呼び寄せ、クロードがジャン=ドーの発するメッセージを代筆する形で執筆作業がスタートした。
父との思い出、かつての恋人だったジョセフィーヌとの思い出深い旅行、元妻のセリーヌとの間の3人の子供のこと、様々なエピソードをジャン=ドーは紡ぎあげていく。
ある日、セリーヌが我が子を連れてジャン=ドーの元を訪れ、父の日に家族で海に外出することができた。
またジャン=ドーの誕生日には車椅子生活を送る父親から祝いの電話を受け取った。
ジャン=ドーはこれまで携わってきた周囲の人々に感謝の気持ちを込め、それらの思いも本に織り込む。
やがてリハビリの甲斐あって少しずつながらも首や舌を動かせるようになり、益々快復への希望を膨らませるジャン=ドーだったが、肺炎を患ってしまう。
そして自伝本が出版された10日後、ジャン=ドーは静かに息を引き取った。


寸評
エピローグで主人公のジャンがどのようにして脳梗塞になったのかが描かれるが、モノローグではぼやけた映像が映し出され、それはジャンの目から見た世界であることが判明する。
その世界に、物言えぬジャンの心の叫びが重なる構成は静かな展開にも関わらず見る者を引きつける。
クロードと読み上げられたアルファベットに瞬きで答えることでコミュニケーションとるシーンの連続は、実話だけにその努力のすごさが伝わってくる。

前半はジャンの目を通じた世界が映画的リアリティを持った映像で示される。
後半に入ると、それらにジャンの記憶や想像の世界の映像が組み合わされた構成で描かれだす。
時として不自由な象徴である潜水服と、自由の象徴である蝶なども挿入されて暗示的になる。
その頃からのそれぞれのシーンは非常に印象的で、切々と訴えるものがある。
動くのは左目だけという絶望的な状況の中でも生きる希望を見出す主人公とそれを支える人々。
自身が画家でもあるシュナーベル監督は、派手な演出を排除して静かに描いている。
ジャンの目線で語られる前半に対し、後半は広がる想像力に呼応するようにカメラが自由に動くが、主人公の心情を視覚化したその映像は素晴らしい。

最初の面会シーンでの「子供たちの母親であって妻ではない」との言葉は、夫婦関係がうまくいっていなかったことの証であったが、その彼女が夫の面倒を見、そして愛人らしき女性の電話を取り次ぎ、ジャンの言葉を翻訳するシーンは残酷な出来事に思えた。
子供たちの父親であることで元妻はジャンの看病に関わるが、それでもジャンは愛人を選んでいる。
一番愛した人が元妻でなかったという気持ちは分かるが、それにしてもこの期に及んでこの仕打ちかと思わせた。
そして父親との電話での会話は万感迫るものがあり、人それぞれの人生が背負う重さのようなものを感じさせ感動的である。
健康時はともかくとして、植物人間化してからのジャンを演じたマチュー・アマルリックの演技は鬼気迫るものがあり、目をくぎ付けにさせられる。

僕がジャンと同じ状態になったらやはり過去の思い出の世界と想像の世界しかないのだろうなと痛感する。
そして阪神戦を楽しんでいた時にテレビのスイッチを切られた時のイライラ感も想像に難くない。
ジャンは潜水服に閉じ込められたかのような閉塞感を感じていたが、自由な想像力とコミュニケーション能力があれば蝶が空を舞うようにどこへでも羽ばたけると気付き、再起をかけてこれまでの人生を自伝本として出版する決意を固める。
自伝を書き終えて10日後ぐらいに亡くなったという事実は、人間にとっては生きる意欲や生きがいと言われるものの存在がいかに大きいかを教えていると思う。
息をしていることが生きていると言うことではないのだ。
ジャンにとっては本を書きあげることが自分が生きている意味なのだと悟ったに違いない。
僕も歳をとり、無意味な時間を過ごしたくないと思うようになってきた。
音楽は抜群によい。