おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

善魔

2021-05-02 08:24:17 | 映画
「善魔」 1951年 日本


監督 木下恵介
出演 森雅之 三国連太郎 淡島千景
   桂木洋子 笠智衆

ストーリー
T新報社の社会部記者三國連太郎(三國連太郎)は、部長の中沼(森雅之)より、家出をした某官庁の官吏北浦氏(千田是也)の妻伊都子(淡島千景)の動静をさぐるように命じられた。
個人の私事に立ち入ることを潔しとしない連太郎も、渋々ながらまず長野原に隠棲する伊都子の父(笠智衆)を訪ね、伊都子の妹三香子(桂木洋子)の案内で久能山麓の親友の家にいる伊都子に会いその心境をきいた。
家出の理由は、ただ夫北浦と性格の合わないことを発見したからだという伊都子の説明のまま、連太郎は新聞に発表しないことを約して帰ったが、他の新聞社が「昭和のノラ」などと書き立てたので、連太郎もこの会見記を記事にした。
中沼は結婚前の伊都子とは友達でお互いに深い好意を持っていたので、この事件をあばき立てることを好まず、それが社長(中村伸郎)や編集長(宮口精二)は気に入らず左遷されようとした。
連太郎と三香子との間にはこの事件以来淡い恋が芽生えていたが、更にこの事以来、伊都子と中沼との間にも文通があり、中沼の心は再び伊都子にひきつけられて行った。
日頃肺の弱かった三香子が重態に陥ったとき、伊都子は静岡から長野原への途次中沼に遭い、その心を打ち明けられるが、北浦との離婚問題とそうしたことが一緒になって考えられるのは嫌だからと断った。
中沼はこれまで関係のあった女鈴江(小林トシ子)とも手を切ってしまった。
長野原に行っていた連太郎は、死前の三香子と結婚式をあげたいといって中沼を立会人に頼みに帰って見ると、中沼は社もやめ、北浦にも伊都子に対する気持ちをぶちまけてしまっていた。
連太郎は長野原へ同行してくれるのも伊都子に会いに行くためだろうと不満をもらすが、長野原についたときには、すでに三香子は安らかな永遠の眠りにはいってしまっていた。
しかし、連太郎の希望で、死せる花嫁との結婚式が、父了遠、伊都子、中沼の立ち会いで行われた。


寸評
「人間の善性とは本来己を守る事に精一杯で進んで悪に戦いを挑むようなものではない、つまり社会の澱みを失くす為には純粋な善性に悪の一面を持たせなければならない。この一面を魔性と呼び、善性と併せて善魔だ」という劇中の中沼の台詞がこの映画の全てだ。
人間の善性はもともと自分を守るのに精一杯で、進んで悪に戦いを挑み、打ち負かそうとする魔性がない。
善を実現するのに必要な魔性の力を持つ者が善魔だと言っている。
この映画で善魔たりえているのは三國連太郎であろう。
彼は桂木洋子に恋し、病に倒れて死亡した彼女と結婚式を挙げる純真さを持っている。
その純真さは、三國が信頼している森雅之を秘かに愛している小林トシ子に対する森雅之の態度が許せない。
三國の行為は狂気じみているほどのものなのだが、一方で千田是也が演じる大蔵官僚の汚職を突き止め、それをネタに淡島千景の離婚を取り付けるしたたかな面を見せる。
三國は汚職事件を報じることをしないのだろうか。
新聞記者として義姉の離婚と引き換えに事件を報じないのであれば、彼の正義はどこにあるのかと思ってしまう。

これがデビュー作の三國連太郎は得な役回りだが、魅力的なのは森雅之が演じる中沼のキャラクターだ。
彼は伊都子と学生時代からの友情で結ばれているが、心の内では伊都子への恋心をずっと抱いている。
伊都子は中沼の気持ちを知っていながら、別の男と結婚することを彼に伝える。
女には男の気持ちを知りながら、それをもてあそぶように別の男と結婚することを伝える残酷性があると思う。
一方の中沼にも小藤鈴江という女性がいて、三國には愛人だと紹介する。
その言い方を咎める三國には、そんなことを気にする女ではないと勝手な言い分である。
また中沼は長年の伊都子への愛を告白する決意を鈴江の前で述べる。
男も女も思いを寄せられている方はこうも残酷な態度を取れるものなのだろか。
それを聞いた鈴江の態度は受ける印象とかけ離れたいじらしいもので、いい人物に思えた中沼への嫌悪感が一揆に湧き上がる。
この感情は三國が尊敬すらしていた中沼への感情変化と同じものだ。
観客が三國と一致させた感情は最後の場面で活かされてくる。

三國と伊都子はふたりにあった過去の全てを容認し、表明してこなかった愛を結実させようとするが三國の言葉によって今まで通りに友情で結ばれていようということになる。
男と女が友情で結ばれる関係だが、おそらく今後の二人の感情は欺瞞に包まれた関係なのではないかと思う。
二人は長年抱いていたお互いの気持ちを吐露し合ったのだ。
友情で結ばれた関係を続けられるものだろうか。
ずっと想い続けて生涯を送ることになるのではないかと思う。
伊都子の夫である北浦から頭を下げてくれと言われて「お安いことだ」と言ってのけた中沼だが、鈴江を犠牲にしても伊都子を手に入れる事はしなかった。
彼は善魔たりえなかったのだろう。