おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

刑事

2021-01-31 11:28:35 | 映画
「刑事」 1959年 イタリア


監督 ピエトロ・ジェルミ
出演 ピエトロ・ジェルミ
   クラウディア・カルディナーレ
   ニーノ・カステルヌオーヴォ
   エレオノラ・ロッシ=ドラゴ
   フランコ・ファブリッツィ

ストーリー
ローマの古いアパートに雨の午後、強盗が入った。
機動隊警部イングラバロは部長刑事サーロやオレステ刑事とともに乗りこんだ。
被害者は一人で住むアンザローニだったが、新聞に出さないでくれと非協力的だ。
女中のアッスンタは隣室のバンドゥッチ家の女中で、事件の時、バンドゥッチ家にいたという。
警部は女中の許婚者の電気屋・ディオメデを捕えて取調べた。
アリバイはなかったが、追いつめられてアリバイを出した。
その時間にアメリカ女のガイドとして遊びたわむれていたのだが、アッスンタに聞かれたくなかったのだ。
一週間たった時、バンドゥッチ夫人のリリアーナが惨殺され、遠縁の医者バルダレーナが発見者だった。
リリアーナには子供がなく、、二度流産してバルダレーナに世話になっていた。
毎月彼に金を援助していたのだが、その金をとりにきて発見したのだ。
リリアーナの夫は旅行中だった。
誰かに殺させたのか・・・警部は医者と夫の二人に目をつけたが、何もきめ手はなかった。
リリアーナの遺言状が開かれ、前の女中二人と、アッスンタ、バルダレーナの四人と孤児院に巨額の遺産が贈られ、夫には一銭も残されなかった。
夫のろうばいぶりが警部らの尾行・張込みを強めさせた。
一方、前の強盗事件は聞き込みで解決した。
レッタリという前科者を捕え、主犯がパタータだと白状させた。
テヴェーレ河畔の小屋から、真珠やダイヤの盗品が出てきたのだ。


寸評
僕はこの映画をリアルタイムで見たわけではない。
しかし冒頭で流れる”アモーレ・アモーレ・アモーレ・アモーレ・ミオ”の印象的なフレーズは忘れることができない。
たぶんラジオから随分と流れていたのだと思う。
和訳すれば、”愛しい人、愛しい人、愛しい人、私の愛しい人”となる情熱的な歌詞だが、切なくなるメロディーだ。

刑事ドラマとしても、ピエトロ・ジェルミが自ら渋い刑事を好演しており、推理劇としてもなかなかよくできた脚本だ。
いきなり強盗事件が発生する。
強盗犯を追っているうちに、同じアパートで殺人事件が起きる。
イングラバロ警部は「爆弾は同じところに落ちないが、今回は落ちた」と発言し、観客である僕たちも当然二つの事件に関連性を疑う。
強盗犯の容疑者としてディオメデが取り調べを受けていたが、強盗犯が捕まったことで彼は関係なかったことが判明し解放される。
関係あると思わせておいて、実は二つの事件に関係はなく、強盗犯も彼ではなかったという結末に、観客は自分たちは騙されていてとんでもない想像をさせられていたのだと悟る。

強盗事件が解決したので、次は殺人事件のほうに移っていくのだが、ここから怪しい人物が登場してくる。
先ずは発見者の医者バルダレーナで、彼は通報する前に、暖炉に置かれた封筒をポケットに入れている。
この時点で何かある人物だと分かる。
そして旅行先から殺された夫人の夫であるバンドゥッチが帰ってくるが、どうも挙動が怪しい。
警察も彼を尾行しだす。
そして夫人の遺言書が出てくるが、夫には遺産として一銭も残されなかった。
バンドゥッチ夫婦は上手くいっていなかったのだと、警察も僕たちも知ることになる。
そして前の女中ビルジニアが登場し、滅茶苦茶な夫婦生活が明らかになる。
劇的な展開に思えるが、その間の描き方は強引なものではない。
尾行、張り込み、聞き込みという捜査の基本を忠実に描いていることで、ドラマはリアリティを持ってくる。
イングラバロ警部の渋さがモノトーンの画面に見事なまでにハマッていることもリアリティを生み出している。
そして鍵の新しさに気が付く描き方もドンピシャの上手い脚本だ。

二人はささやかな幸せを願っていたはずだが、しかし貧困ゆえに二人は罪を犯す。
二人の愛は深かったが、犯した罪は哀れだ。
この映画が製作されたのは1959年で、和暦でいえば昭和34年、僕はまだ10歳だ。
日本もまだ戦後復興の途上だったのだから、同じく敗戦国のイタリアも同じような社会状況だったと思われる。
男が警察に車で連行されて行き、女はその車を追いかけるというドラマチックなシーンに再び冒頭のメロディがかぶさってくる。
歴代の映画作品の中でもテーマ曲として「死ぬほど愛して」は十指に入る名曲だと思う。