おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

クィーン

2021-01-12 10:17:42 | 映画
「クィーン」 2006年 イギリス / フランス / イタリア

   
監督 スティーヴン・フリアーズ    
出演 ヘレン・ミレン
   マイケル・シーン
   ジェームズ・クロムウェル
   シルヴィア・シムズ
   アレックス・ジェニングス
   ヘレン・マックロリー

ストーリー  
1997年5月、イギリス総選挙当日に首相候補のトニー・ブレアが投票所に一番乗りしている頃、王室ではエリザベス女王は選挙権がないことを嘆いていた。
投票してみたいというのが女王の叶わぬ願いだった。
翌朝、女王は目覚めとともにブレアが大勝利を収めたことを知る。
1997年8月30日深夜、パリの大使館からダイアナが交通事故に遭い集中治療室に運ばれたというったと連絡が入る。
その知らせは、ブレアはもちろん、ロイヤルファミリーにも伝えられた。
チャールズ皇太子は、王室機でパリに向かおうとするが、女王は「王室の浪費と国民から非難される」として王室機の使用を禁止する。
そして8月31日の早朝、ロイヤルファミリーにダイアナ死亡が知らされる。
女王からの公式声明がない中、バッキンガム宮殿は悲しみに暮れる国民が集まり、多くの花が手向けられる。
悲しみに暮れる英国国民の関心は、かねてから不仲が取り沙汰されたエリザベス女王へと向けられる。
マスコミの見世物になりたくない女王は、ダイアナがすでに王室を離れ一民間人となっているので、生家の意見を尊重して内輪の葬儀で済ませると言い放つのだった。
9月1日、月曜日。バッキンガム宮殿では、ダイアナの葬儀について会合が行われ、6日後の日曜日に国葬を行う方向で話が固まった。
女王は、派手な内容に呆れるとともに、アトラクションのような国葬を本当にイギリス国民が望んでいるのか疑問に思い、国民の考えていることが理解できないでいた。
マスコミは自分たちの責任の追及をかわすため、王室のバッシングをエスカレートさせていく。
口を閉ざし続ける女王の態度は、国民の目には薄情としか映らず、女王はたちまち窮地に立たされてしまう。
国民の思わぬ反応に一番動揺しているのは女王自身だった。
首相に就任したばかりの若きトニー・ブレアは、国民と女王の間に立ち、事態の収拾に乗り出す。
女王には、これ以上避けることのできない問題への決断が迫っていた…。


寸評
この映画の面白さって、やはり現存している実在の人々が登場することだろう。
実名で登場する人々が喜劇とも思えるような会話劇を繰り広げて大いに楽しませてくれる。
皇太后の毒舌ぶりなどはユーモアにあふれていた。
労働者たる国民の代表ながら王室の伝統にも配慮するトニー・ブレアが映画の中ではずいぶんとヒーロ的で、一見すると王室を救うために奮闘する首相の美談話にさえ見える。
ダイアナ元王妃の死亡に不明な点が多く陰謀説まである中で、単なる自動車事故死と公式発表されたことに対する告発映画という様相は一切ない。
あくまでも、国民と王室の間で板ばさみとなり、激しく葛藤するエリザベス女王の姿が描かれている。
ハンターに殺された鹿に自分を投影するエピソードなどがその苦悩を象徴し映画の深みを醸し出していた。
皇室を抱える日本人として、王室という閉ざされた世界でのやり取りが興味を引いたのだと思う。
王室機の使用を禁止した女王が、チャールズ皇太子から「将来のイギリス国王となる母親の死体を王室機で連れ戻すことが浪費なのか」と詰め寄られしぶしぶ承諾する。
あるいはトニー・ブレア首相が何度も女王に会って、伝統より国民への対応をと説得するが彼女はなかなか首を振らない経緯。
それらが「あんた、見てたのか」と突っ込みを入れたくなるぐらい本当らしく描かれているので引き込まれてしまう。
スティーヴン・フリアーズ監督の演出が当時のニュース画像などを取り入れてオーソドックスで手堅いことも本当らしさに貢献している。
夫であるフィリップ殿下ってどんな立場の方なのだろうと思っていたが、結構主張しているのだと思うと微笑ましかった。
女王の行動基準は「伝統を守る!」という一点なのだが、そのためにはどうすればいいのか、どうしたら王室を守れるのかと揺れ動く複雑なその胸の内を繊細な演技でみせたヘレン・ミレンの主演女優賞もうなづける。

それにしても、ここまで自由に王室と現存の人々を自由に描くイギリスって、やっぱり日本とは違うんだなあ~と言うのが一番の感想だ。
同じように民間人から皇室入りした美智子上皇后と皇室の確執なんて絶対に映画化されないだろうと思うし、もちろん雅子皇后に起きていたことも…