おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

沓掛時次郎

2021-01-13 08:14:21 | 映画
「沓掛時次郎」 1961年 日本


監督 池広一夫
出演 市川雷蔵 新珠三千代 杉村春子
   島田竜三 青木しげる 稲葉義男
   志村喬 千葉敏郎 須賀不二夫
   清水元 村上不二夫 橋幸夫

ストーリー
信州沓掛生れの時次郎(市川雷蔵)は渡世の義理から、六ツ田の三蔵(島田竜三)に一太刀浴びせるが、三蔵の女房おきぬ(新珠三千代)への溜田の助五郎(須賀不二男)の横恋慕の果てと知って、逆に助五郎らに立ち向かったところ、卑怯な助五郎らは深傷の三蔵を斬って逃げた。
三蔵は苦しい息の下から女房おきぬと伜太郎吉(青木しげる)を時次郎に託した。
時次郎は二人を連れて、熊谷宿まで逃げのびるが、おきぬはそこで病いに倒れた。
人のいい旅籠桔梗屋の女将おろく(杉村春子)は何かと面倒をみてくれた。
医者玄庵(清水元)の診察でおきぬは身重であることが分った。
時次郎は、おきぬの父親源右衛門(荒木忍)が足利在にいると知って、足利在に源右衛門を訪ねておきぬ母子の苦衷を訴えたが、親を捨ててやくざと一緒になった不幸者に用事はないと冷たく突っ放されてしまった。
おきぬの病気回復をまって時次郎とおきぬは門付けを始めた。
助五郎のふれ書で時次郎のことを知った、助五郎の兄弟分聖天の権蔵(稲葉義男)は、時次郎の留守を狙って太郎吉を人質にさらおうとしたが、これを救ったのは熊谷宿の貸元八丁畷の徳兵衛(志村喬)だった。
かねてから、八丁畷の縄張を狙っていた聖天の権蔵は助五郎に通報し、八丁徳へ喧嘩状を叩きつけた。
その頃、おきぬは再び病いに倒れた。
時次郎は八丁徳の助っ人を買って出、その助ッ人料の十両をおろくの手に渡して修羅場へ向った。
その頃、助五郎らは、聖天の用心棒赤田(千葉敏郎)を道案内に桔梗屋を襲っていた。
気丈に太郎吉をかばうおきぬに赤田の当身が飛んだ。
悶絶したおきぬを拉致しようとした時、権蔵を斬った時次郎が飛びこんできた。
太郎吉をひさしって時次郎は助五郎、赤田を斬り倒していった。
悶絶したおきぬは再び目を開かなかった・・・。


寸評
池広一夫はプログラムピクチャと呼ばれる量産体制の作品を数多く世に送り出した監督であるが、その礎を作ったのはおそらくこの作品であっただろう。
娯楽作品として上手い具合にまとまっていると思う。
股旅物とは各地を渡り歩く博徒を主人公とした時代劇だが、その意味で「沓掛時次郎」は典型的な股旅物だ。
映画が始まり大映マークが出た後で、時次郎らしき渡世人の姿がシルエットで浮かび上がる。
いきなり撮影の宮川一夫を思わせる美しいショットで、タイトルが表示された時にはすっかり股旅映画に浸っている出だしと言っていい。
作品中で山里の小道を歩いている時などの流れる橋幸夫の歌声がプログラムピクチャ作品らしい雰囲気をだして、どこか懐かしさを覚えるのは歌い手が橋幸夫というナツメロ歌手のせいだけではない。
市川雷蔵はその顔立ちからニヒルな役がよく似合う俳優で、この作品でも渡世人の掟に縛られながら生きる、愁いを秘めた男でありながら、時折見せる優しいまなざしで温かみを感じさせる人物像としている。
時次郎は一宿一飯の義理から六ツ田の三蔵を襲うが、手傷を負わしただけで義理は果たしたと見逃がしている。
また八丁徳から助太刀を頼まれ10両をもらう場面では「本来なら受け取れる義理ではないのだが、よんどころない事情があるので」と断って受け取っている。
そのように、形を変えながら渡世人の掟とやらが随所で描かれていて、それが物語のアクセントになっている。

時次郎とおきぬはお互いに好きになってはいけない相手である。
それをわかっていながら思いを募らせていく切ない感情表現がもう少し描かれていたら傑作の呼び声を得ることが出来た作品だと思う。
「沓掛時次郎」は股旅物に名を借りた悲恋物語でもあるのだ。
おきぬは夫の仇である時次郎に殺意を抱いていたが、やがて時次郎の覚悟を知って離れながらもついていく。
子供の太郎吉は時次郎と手をつないで歩いたり親しく旅しているが、おきぬ少し離れた後ろからその姿を見ながらの逃避行である。
おきぬが並んで歩かないのは、まだ時次郎を心底許していないからである。
病気を契機とし、時次郎の献身的な看病もあって、おきぬは時次郎との距離を縮めていく。
しかしおきぬの衰弱の原因が、六ツ田の三蔵との間に出来たお腹の子にあると分かった時の時次郎の複雑な表情は、時次郎もおきぬに対する気持ちが芽生えていたことを暗示するもので、印象的なシーンとなっている。

聖天の権蔵と助五郎が八丁徳の出入りに向かう場面のカットの積み重ねはスピーディで、アップのカメラアングルもいいし、喧嘩前の緊迫感を一気に盛り上げていて、僕はこのようなカット割りは好きだなあ~。
赤田の当身を受けおきぬは絶命するが、居合わせた助五郎はそれを黙って見ている。
元はと言えば助五郎のおきぬへの横恋慕から生じた出来事なのに、その女の死を黙ってい見ているというのはこの時点で助五郎の意識はおきぬへの思いよりも、時次郎への恨みという男の意地が勝っていたということなのだろうか。
ラストシーンと言い、股旅物は山村の細い曲道のロングショットがよく似合うなあと思った。