おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

塀の中のジュリアス・シーザー

2024-07-13 07:51:17 | 映画
「塀の中のジュリアス・シーザー」 2012年 イタリア                                 

監督 パオロ・タヴィアーニ / ヴィットリオ・タヴィアーニ                       出演 コジーモ・レーガ サルヴァトーレ・ストリアーノ
   ジョヴァンニ・アルクーリ アントニオ・フラスカ
   フアン・ダリオ・ボネッティ ヴィンチェンツォ・ガッロ
   ロザリオ・マイオラナ ファビオ・カヴァッリ

ストーリー
舞台上で、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」が演じられている。
そして終演となり、舞台上に全キャストが集まり挨拶する。
観客はスタンディング・オベイションで大きな拍手を送る。
観客席がはけて、照明も消され、俳優たちが引き上げていく……。
6か月前。イタリア、ローマ郊外にあるレビッビア刑務所。
ここでは囚人たちによる演劇実習が定期的に行われている。
毎年様々な演目を囚人たちが演じ、所内劇場で一般の観客相手にお披露目するのだ。
指導している演出家ファビオ・カヴァッリが今年の演目を「ジュリアス・シーザー」と発表。
早速、俳優のオーディションが始まり、配役が決定する。
シーザーに、麻薬売買で刑期17年のアルクーリ。
キャシアスに、累犯及び殺人で終身刑、所内のヴェテラン俳優であるレーガ。
ブルータスに、組織犯罪で刑期14年6ヶ月のストリアーノ。
次々と、主要キャストが発表され、本公演に向けて所内の様々な場所で稽古が始まる。
ほどなく囚人たちは稽古に夢中になり、日常生活が「ジュリアス・シーザー」一色へと塗りつぶされていく。
各々の監房で、廊下で、遊戯場で、一所懸命に台詞を繰り返す俳優たち=囚人たち。
カメラは、そんな彼らの日常に密着しつつ、虚実が交錯する演出で、次第に刑務所全体がローマ帝国に変貌していくかのような錯覚を起こさせ、あるいは俳優=囚人と演じる役柄が同化していくさまをスリリングに描き出していく・・・。


寸評
題名が興味をそそる。
塀の中とはもちろん刑務所のことなのだが、僕達が普通では目に触れることすらない特殊な空間が舞台と言うだけで興味がわき、崔洋一監督に「刑務所の中」というおかしな映画もあったなと思っているうちに上映開始。
そちらとちがって、こちらはまるでドキュメンタリー映画かと錯覚させるようなつくりで、くつろげるような場面もなく、ぐいぐいと画面に引きつける剛腕映画だった。
ステージや稽古場は改装中で使用不能という設定が効いて、役を演じる囚人たちが刑務所の廊下や監房の空きスペースを使ってシェイクスピアを演じることでドラマチックな効果を上げている。
この設定が第一に評価される点だと思う。
印象に残るのはシーザーの暗殺後に行われるブルータスとアントニーの有名な演説シーンで、刑務所の各監房から見下ろせる中庭にシーザーの遺体を置き、それを鉄格子越しに見守る囚人たちをローマの群衆に見立て、群衆の支持がブルータスからアントニーに傾いていく様を表現した不気味とも言える迫力シーンだ。
行き詰まりのわずかな空間で稽古に打ち込むシーンをはじめ、簡略化した背景はすでに舞台の大道具の様でもあった。
第二は演じている俳優が10年以上の長期刑や終身刑という本物の重犯罪者ばかりで、その面構えは本物の味を出している点だ。
暴力に明け暮れていた男たちに、古代ローマの血なまぐさい権力闘争を演じさせるということで、彼等の経験した現実と古代ローマの歴史がオーバーラップしていき、演劇と言う虚構の世界が彼等の人生に覆いかぶさる展開に舌をまかせる。
それにしても素人であるはずの囚人たちのなんと達者な演技であることか!

冒頭に上演の最終幕が映し出され、それが最後にもう一度繰り返される。
そのシーンだけがカラーで、オーディションから稽古に明け暮れる6カ月間の様子はモノクロで映し出される。
それがドキュメンタリータッチを醸し出していて、彼等のセリフが芝居上のセリフから現実の会話へ変化していく時、いつ現実世界に変わったのか気がつかないくらいにスムーズな展開を見せる。
心憎いまでの演出で、これがすべて脚本通りと知ってなおさら驚いてしまう。
繰り返される冒頭シーンだが、ラストでは囚人に(日本語訳では)「芸術を知ることで牢獄が監獄になった」と言わしめるシーンが追加されている。
どちらも刑務所に変わりはないと思うのだが、牢獄は罪人を閉じ込めておく場所というのに対し、監獄は刑期の定まった罪人を監禁しておく場所的な意味合いを垣間見る。
彼等は芸術を知り、観客から喝さいを受けることで、定まった刑期を終えてここから出るという意義を見出したと言うことではないだろうか?
彼等に演劇を通じて贖罪の気持ちをわかせたのだと思いたい。
最後に囚人の一人が出所して現在は役者になっていることが紹介された。


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