おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

華岡青洲の妻

2020-01-23 08:19:42 | 映画
「華岡青洲の妻」 1967年 日本


監督 増村保造
出演 市川雷蔵 若尾文子 高峰秀子
   伊藤雄之助 渡辺美佐子
   丹阿弥谷津子 浪花千栄子
   内藤武敏 原知佐子

ストーリー
父が大庄屋を勤め、禄高百五十石の家柄の娘加恵は、請われて華岡家に嫁いだ。
夫となる華岡雲平は医学の修業に京都へ遊学中で加恵はその三年間、夫のいない結婚生活を送らねばならなかったが、雲平の母於継はその気品のある美しさで、加恵にとっては幼い頃からの憧れの的であり、その於継との生活は楽しいものだった。
於継も彼女には優しく、雲平の学資を得るための機織り仕事も加恵には苦にならなかった。
やがて雲平が帰って来て、加恵は初めて見る夫に胸のときめきを覚えたが、その日から、於継の彼女に対する態度がガラリと変り、於継は妻の加恵を押しのけて、ひとり雲平の世話をやき、加恵を淋しがらせた。
加恵はそのときから於継に対して敵意に似たものを胸に抱くようになった。
まもなく雲平の父直道が老衰で亡くなると、雲平は青洲と名を改め、医学の研究に没頭していった。
彼の研究は、手術に際して麻酔薬を用いることで、何よりもまず完全な麻酔薬を作り出すことであった。
一方加恵は於継の冷淡さに、逆に夫に対する愛情を深めていたが、そんなうちに、彼女は身ごもり、実家に帰って娘の小弁を生んだが、間もなくして、於継の末娘の於勝が乳ガンで死んだ。
その頃、青洲の研究は動物実験の段階ではほとんど完成に近く、あとは人体実験によって、効果を試すだけだったが、容易に出来ることではなかった。
ある夜、於継は不意に自分をその実験に使ってほしいと青洲に申し出たところ、驚いた加恵はほとんど逆上して自分こそ妻として実験台になると夫に迫り、青洲は憮然と二人の争いを眺めるのだった。
意を決した青洲は二人に人体実験を施し、強い薬を与えられた加恵は副作用で失明した。
その加恵に長男が生れるころ、於継が亡くなった。
青洲はやがて、世界最初の全身麻酔によって、乳ガンの手術に成功したのだった。


寸評
江戸時代に、世界で最初の全身麻酔による外科手術に成功した紀州の医者華岡青洲(市川雷蔵)の麻酔薬開発物語であるが、ドラマの核心は、開発最終段階での人体実験に、彼の母於継(高峰秀子)と妻の加恵(若尾文子)が競って実験台になりあうという嫁と姑の確執にある。
夫である雲平は京都に勉強に出ていて不在の期間が3年に及ぶが、その間の姑と嫁の関係は良好である。
ところが母にとっては息子、嫁にとっては夫である雲平が帰って来てから、嫁と姑のバトルが始まる。
息子を可愛がり何かと世話をやく母親と、その関係に反感を覚える嫁の姿は古今変わることがない。
最初は遠慮していた嫁が徐々に存在感を高めていく描写も自然なエピソードで見せて嫌味がない。
ややもするとドロドロとした描写になりがちなテーマだが、極力そうならないようにしているのは賢明な選択である。
その描き方は適度の通俗性を持ちながら、同時に心を動かすものも持っているというものだ。

青洲は、老いた母には軽い麻酔薬を試みるが、母はそうとは知らず自分が役に立ったとおおいに満足し、自分の息子への愛情を誇るように世間に実験は成功したと言いふらす。
妻は本格的な麻酔薬を試めされるが、その事実を母親には告げない。
事実を知った母親は、目覚めた妻にいたわりの玉子とおかゆをふるまい、自分も同じメニューを要求し加恵をいたわる息子の姿を見て慟哭する。
弟子たちは、実験に成功し、嫁が無事に目覚めたことに対する喜びの涙だと言いあい、思いやりのある立派な母親だと褒めたたえるが、母親の流す涙は実は悔し涙なのだというこの場面の描写は見せるものがある。
妻は、そのために盲目になってしまうが、彼女は自分こそが本当に役に立ったのだと満足する。
太ももをつねったうっ血の痕が母親より多いことで加恵が微笑む場面なども恐ろしいと感じさせる。
すさまじいまでのライバル意識であり、青洲の妹で婚期を逃した小陸(渡辺美佐子)が「母と姉さんの確執をずっと見ていた。自分はそんな嫁にも姑にもなりたくなかったので、嫁に行かなかったのは幸せなことだった」と告白するのは、嫁姑問題に対する痛烈な批判である。
驚いたことに小陸は、「兄は母と妻の心の争いを知っていながら、知らぬふりでそれを利用した」というのである。
青洲は利用したのかどうか分からないが、男にとって嫁姑問題は厄介なもので、結論を言えば見て見ぬふりをするしかないというのが僕の経験則である。
小陸にそう言われると、青洲は本当に女たちを利用した相当に利己的な、目的のためには手段を選ばない男であったのではないかとも思えてくる。
そう思わせるのが青洲のメイクだ。
市川雷蔵は端正な顔立ちの俳優だが、本作では異様なまでの濃い眉がメイクされている。
この異様なまでの眉は、青洲の心底を表現していたのではないかと思う。
つまり、子陸の洞察は正しかったのではないかということである。
日本の映画スターのなかでも清々しさがきわだっている雷蔵なので、青洲はそんな利己的な人間には見えないのだが、利己的には見えない人間がじつは利己的であった、誠実で立派な男が後ろめたい気持ちもなしに母と妻の争いを利用することができたと考えると、なるほど小陸が言うように男というものは恐ろしいものだということになり、奥が深い映画だなあとも思えてくる。