おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

バリー・リンドン

2020-01-28 09:57:14 | 映画
「バリー・リンドン」 1975年 イギリス


監督 スタンリー・キューブリック
出演 ライアン・オニール
   マリサ・ベレンソン
   パトリック・マギー
   スティーヴン・バーコフ
   マーレイ・メルヴィン
   ハーディ・クリューガー
   レナード・ロシター
   アンドレ・モレル

ストーリー
《第1部 レイモンド・バリーが如何様にしてバリー・リンドンの暮しと称号をわがものとするに至ったか》。
レイモンド・バリーが幼い頃、父が決闘で死んだので一人息子の彼は母親の手で育てられた。
青年になったバリーは、親類に当るブラディ家の娘で従姉のノラに恋をしたが、事件を起こし年上の友人グローガンのすすめでダブリンに逃げた。
バリーは英国軍の兵隊募集に応じ、そこで友軍プロシア軍のポツドルフ大尉に巡り合う。
やがて戦争は終わり、バリーはポツドルフ大尉からオーストリア皇帝の息のかかった男シュバリエの動向をさぐるよう命令されたが、逆にバリーはシュバリエと職業賭博師としてコンビを組むことになった。
あるとき、ベルギーの豪華なホテルのテラスで、バリーは1人の美しい貴婦人レディ・リンドンを見そめた。
《第2部 バリー・リンドンの身にふりかかりし不幸と災難の数々》。
バリーの初めての息子は、ブライアン・パトリック・リンドンと名付けられたが、レディの前夫の子、ブリンドン卿は、新しい父親を憎悪した。
愛情を注いだブライアンは誕生日にプレゼントされた仔馬から落馬し、幼くして死んでしまう。
バリーの悲しみは癒しようもなく、またレディ・リンドンもふさぎこみ、二人は常軌を逸するようになる。
そんなある日、レディ・リンドンは服毒自殺を図ったが、命だけはどうにかとりとめた。
怒り狂ったブリンドンはバリーに決闘を申し込み、ブリンドンの放った銃弾はバリーの足に当った。
バリーは足を医師によって切断され、年400ギニーの終身年金とひきかえにイングランドから出て2度と戻らないというブリンドンの条件をのみ、レディ・リンドンの前から永遠に姿を消した。


寸評
作中で七年戦争が語られているから時代は18世紀後半だろう。
七年戦争はハプスブルク家がオーストリア継承戦争で失ったシュレージエンをプロイセンから奪回しようとしたことが直接の原因だが、そこに英仏間の植民地競争が加わり、イギリス・プロイセン側とフランスとオーストリアとロシア、スペイン、スウェーデンに分かれて戦った戦争である。
その戦争の様子を初め全編にわたって時代の持つロマンチシズムが醸し出されているが、主人公バリー・リンドンの意識は現代に通じるものがある。
男の半生がナレーションと共に描かれていくが、ナレーションが多い割には場面を割愛しているような印象がなく、ナレーションそのものも物語に溶け込みながら進行していて、演出、撮影、編集の三位一体を感じる。

バリーはナイーヴな青年で、どこか人に好かれる素地があり、野望を持ちながら日和見主義で成り上がっていく。
第1部は「レイモンド・バリーが如何様にしてバリー・リンドンの暮しと称号をわがものとするに至ったか」と銘打たれ、バリーの初めての恋と挫折、戦争への参加、野望をかなえてくれる女性との出会いが描かれる。
彼が思いを寄せた従姉のノラは思わせぶりな女性である。
バリーの気持ちを感じて誘いをかけるが、同じような行為を資産家でもある英国軍の大尉ジョン・クインにも行っているしたたかな女性で、二股がばれた時にはバリーに対し「私のペットのようなものだ」と言ってのけている。
ノラの結婚は金目当ての結婚だが、バリーはここで女性不信と地位への執着を身に着けたのかもしれない。
恋する男にとって、思わせぶりな女性は厄介な存在で、言葉の一つ、仕草の一つが男を悩ませる。
カメラワークは実にゆったりとした動きを見せ、激しい動きをすることはない。
戦争場面も当時の戦争がそうだったのか知らないがまるで儀式の様で、銃撃で兵士が倒れていくシーンもどこか優雅さを感じさせ悲惨さはない。

第2部で「バリー・リンドンの身にふりかかりし不幸と災難の数々」が描かれる。
バリーは夫を亡くしたリンドン女伯爵と結婚し、一大資産に囲まれて暮らす身となる。
リンドン女伯爵は夫ある身でバリーに恋しているし、夫の心臓発作の原因を作ったのがバリーだから、この夫婦は打算と欲望に駆られた夫婦といえる。
バリーは資産を手に入れるのは上手だが、維持していくのは下手だったとは上手い表現だ。
貴族社会の人々が屋敷に集まってゲームに興じたり食事会を開いたりしているが、電灯はなく室内はローソクの明かりで保たれている。
ライティングではなく、本当にローソクの明かりだけで撮影されている室内の場面になると、言いようもない雰囲気が出てきて、そのぼんやりとした画面に食い入ってしまう。
このボンヤリ感は主人公のうすぼんやりした気性と巧妙にシンクロしている。
この気性は浮気をして妻を苦しめたかと思うと素直に詫びたりさせるし、確執があった前夫の子供を嫌っていたはずなのに助けたりさせる。
彼の晩年は、年金の給付を受け、時折り大陸を旅行することもあり、賭博師の仕事に戻ったこともあったが、以前のような成功は得られなかったとある。
なんだか僕の晩年とダブルところがあるなあ・・・、人の一生とはこのようなものか・・・。