おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

八月の濡れた砂

2020-01-11 10:26:30 | 映画
「八月の濡れた砂」 1971年 日本


監督 藤田敏八
出演 広瀬昌助 村野武範 藤田みどり
   テレサ野田 隅田和世 奈良あけみ
   渡辺文雄 地井武男 原田芳雄

ストーリー
朝の海辺。オートバイをぶっとばす清は、オープンカーから下着だけで放りだされる少女を目撃した。
それは不良学生に暴行された少女早苗で、全裸になって海へ飛び込んだ彼女はごしごしと身体を洗う。
清は無人の売店小屋へ彼女を入れ、家に帰って義姉の服をこっそりと持ってくるが、彼女の姿はなかった。
しばらくして、早苗の姉、真紀が清を訪ねてきた。
彼女は、清を暴行犯人と思ったらしく、車に乗せ警察につきだそうとするが、怒った清は、車の中で真紀に強引に挑むが、しかし途中で気が変ってしまう。
その夜、清は、以前、高校を中退した友だちの野上健一郎と、彼の母雅子の経営するバーで酒を飲む。
そこには、雅子に求婚している亀井亀松がいた。
健一郎は、何事も理解したような顔をしている亀井が大嫌いだった。
数日後、早苗が清を訪ねてきたが、その時海岸で彼女を犯した例の不良学生たちを見つけ、健一郎も加わってさんざんにいためつけ、オープンカーを奪ってそのまま早苗の別荘にいって遊んだ。
翌日の晩、健一郎は裏通りで三人のヤクザらしい男たちに襲われ、半死半生の目にあう。
見舞いにきた亀井の口がすべったことから、彼は、ヤクザを雇ったのは実は亀井だということを知る。
クラスメイトの修司は健一郎が優等生タイプの和子にいたずらしたことを知った。
彼女に気のあった修司は健一郎に決闘を申し込むが惨敗し、火をつけられた修司は和子を強引に犯す。
和子はショックで自殺してしまうが、しかし、清も健一郎も何の興味も湧かない。
数日後亀井が皆をヨットに招待した。
復讐のチャンスと健一郎は、清と早苗、真紀を連れて乗り込み、出航直前、亀井と雅子に銃をつきつけ陸に追いやってしまい、何の目的もなしに、四人はヨットを走らせる・・・。


寸評
「八月の濡れた砂」は思いで深い映画である。
僕が大学祭の深夜祭実行委員長を務めた時のオールナイト上映作品の一本である。
他には大島渚の「絞首刑」、鈴木清順の「東京流れ者」、江崎実生の「ある色魔の告白 色欲の果て」という4本立てであった。
「八月の濡れた砂」は蔵原惟二監督の「不良少女魔子」との2本立てで1971年8月25日に公開されたのだが、この2本を最後に、日活はロマンポルノに移行したということで記憶される作品でもある。
当時はロマンポルノが人気で、しかも秀作も生み出されていたので、オールナイトでの上映作品として当初日活とロマンポルノ作品の貸し出しを約束していたのだが、日活側の都合でフィルムを借りることが出来なくなった。
そこで日活が代替案として出してきたのが「八月の濡れた砂」で、主題歌を歌っている石川セリを無償で派遣するというものだった。
色物として「ある色魔の告白 色欲の果て」もつけることで折り合ったのだった。
石川セリは後年に井上陽水夫人となったのだがこの頃は独身で、楽屋で彼女と話していた時にスクリーンの裏にあるメインスピーカーから村野武範の叫ぶ声が聞こえてきた。
その時に彼女が叫んだ「村野やってる~!」という言葉が忘れられない。
大学祭のパンフレットにしていただいたサインは今も手元にある。
もちろん上映後にステージで歌ってもらったのだが、その独特の歌声も忘れられない。
 あたしの海を まっ赤に染めて
 夕陽が血潮を 流しているの 
 あの夏の光と影は どこへいってしまったの
映画の内容を表すいい歌だったなあ・・・・。

そんな思い出も手伝って「八月の濡れた砂」は青春映画の傑作だと思っている。
登場人物の行動の一つ一つには共感できないかもしれないが、何をやっても満たされないという心のありようは多くの若者に共通する感情だろう。
ヨットは赤いペンキで塗られるが、ここでの赤は燃えるような情熱を示すのではなく、夕陽の赤で落日の象徴だ。
清のイメージカラーは青いシャツや青いバイクなどの青だ。
そして最後に清は健一郎に焚きつけられて、早苗の姉である真紀を赤いペンキで塗られたヨットの上で犯す。
健一郎も赤い服を着ていたが、赤が青に取り込まれるという図式であり、石川セリの主題歌がかぶさる。
夕陽は一日の終わりを締めくくる輝きを見せる。
青い海、すなわち青春が夕陽によって一瞬だけ輝きを示すがすぐに太陽は沈んでしまい、海はその輝きを失ってしまうし、早苗がぶっ放したライフルによって穴の開いたヨットは浸水によって沈没するかもしれない。
それでも彼ら4人は何をするでもなく、ただそこに存在しているだけである。
シラケの世代を象徴する映画と言われるゆえんだろう。
「八月の濡れた砂」はそんなプロセスを描いた映画なのだが、今から思えば、同時に日活と言う長い歴史を持つ映画会社の終焉を感じ取って撮られた作品だったのかもしれない。
でもこの映画、ぼくにとっては村野武範よりも石川セリだなあ~。