「ハクソー・リッジ」 2046年 オーストラリア / アメリカ
監督 メル・ギブソン
出演 アンドリュー・ガーフィールド
サム・ワーシントン
ルーク・ブレイシー
テリーサ・パーマー
ヒューゴ・ウィーヴィング
レイチェル・グリフィス
ヴィンス・ヴォーン
ストーリー
ヴァージニア州の田舎町で育ったデズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)の父トム(ヒューゴ・ウィーヴィング)は第1次世界大戦出征時に心に傷を負い、酒におぼれて母バーサ(レイチェル・グリフィス)との喧嘩が絶えなかった。
そんな両親を見て育ち「汝、殺すことなかれ」との教えを大切にしてきたデズモンドは、第2次大戦が激化する中、衛生兵であれば自分も国に尽くせると、父の反対や看護師の恋人ドロシー(テリーサ・パーマー)の涙を押し切り陸軍に志願する。
グローヴァー大尉(サム・ワーシントン)の部隊に配属され、上官のハウエル軍曹(ヴィンス・ヴォーン)から厳しい訓練を受けるデズモンド。
生涯武器には触らないと固く心に誓っている彼は、上官や仲間の兵士たちから責められても頑なに銃に触れることを拒絶し、上官や他の兵士たちから執拗ないやがらせを受けるようになる。
ついに命令拒否として軍法会議にかけられても貫き通した彼の主張は、思わぬ助け舟により認められ、晴れて衛生兵として戦場に立つことを許可される。
1945年5月、グローヴァー大尉に率いられ、第77師団のデズモンドとスミティ(ルーク・ブレイシー)ら兵士たちは日本軍との激戦の地、沖縄の前田高地、通称ハクソー・リッジ(のこぎり崖)に到着。
そこは150mの断崖がそびえ立つ激戦地だった。
倒れていく兵士たちに応急処置を施し、肩に担いで降り注ぐ銃弾の中をひるむことなく走り抜けるデズモンドの姿に、感嘆の目が向けられるように。
しかし丸腰の彼に、さらなる過酷な戦いが待ち受けていた。
寸評
僕は戦後生まれなので戦争を知らない。
全ての戦争においての惨状の知識は書物だったり映画を通じてだったりしている。
しかしどこかで傍観者的に見ている自分がいたのだが、この映画を見ると実際の戦場の言いようのない悲惨な状況が感じ取れる。
それは砲撃や手りゅう弾で吹っ飛んだり、火炎放射器で焼き殺される兵士たちを描いたアクション・シーンで得た感覚ではない。
戦争映画なので冒頭から戦場シーンが描かれるが、目を引くのはおびただしい数の死体で、すさまじい姿の戦死者たちだ。
米兵、日本兵の遺体が転がっている間を両軍が進む。
この遺体役のエキストラは「すごい!」の一言に尽きる。
米兵や日本兵が余りにも大勢が倒れているので、遺体が映るのは一瞬である。
しかし、映された兵士はすべて、これが戦死者の姿だと突きつけるような表情で死んでいる。
吹っ飛んだ下半身や、はみ出した内臓などの映像もスゴイが、この遺体役の表情はもっとスゴイ。
後半の肉弾戦では、これが戦場なのだと見せつける。
実話の映画化ということだが、主人公の少年時代にさかのぼった描き方も緊張感がある。
父親は第一次大戦の生き残りの様だが、戦争の後遺症かアル中気味である。
それでも二人の男の子を、男らしく育てているのだが、兄弟げんかで思わぬ出来事が起きる。
人間同士の争いの対比だと思うが、主人公の少年が「殺していたかもしれない」とつぶやくシーンに現在社会の恐怖を感じる。
戦争という争いに無頓着な日本人だが、こちらの人間同士の争いはますますエスカレートしているような気がする。
無意味な殺人、残虐な殺人を目にすることが多くなった。
沖縄戦の激戦地の一つである前田高地における接近戦の壮絶さは筆舌につくせない。
手足が吹き飛び、頭を打ちぬかれ、爆風と砂塵、肉片と血しぶきが舞う地獄絵図の臨場感は想像以上だ。
参謀たちは無能だったかもしれないが、前線の日本兵は勇猛で強かったのだと思わせた。
主人公のドクはアメリカ人らしいやり方により、アメリカらしい理屈のもとで軍法会議の場から衛生兵として戦地に赴任している。
そこでの主人公の活躍はちょっとスーパーマン的過ぎるきらいがあり、手りゅう弾を叩き落とし、サッカーボールよろしく蹴とばすなど超人的で、唯一リアリティに欠けたシーンだった。
それを除けば、彼が銃を持たないで従軍するという事に至るドラマも丁寧に描かれているので説得力がある。
上官は「もういいよ、お前は除隊して国に帰れ。戦争は俺たちがやるから任せろ」と言うが、足手まといになるであろう彼への言葉としては当然だ。
武器を持たない彼が襲われたら仲間として守らねばならないのだから、彼は足手まとい以外の何物でもない筈なのに、彼が激戦地に赴くことが出来たという不可解な行動に疑問を挟ませない。
ドクが銃を取らない理由が、「汝、殺すなかれ」というキリスト教の教義を守っていること以外に、過去のトラウマからきていることが深みを持たせている。
彼が少年時代に森の中を駆け巡っていたことで養われた潜在的能力が、軍隊の訓練でも発揮されるなどの細かな演出も押し付けがましくない。
戦闘シーンでは敵か味方か分からない状況で繰り広げられる接近戦のすさまじさが描かれていく。
アメリカ映画のパワーを思い知らされたし、信頼を得たドクの祈りのシーンにアメリカ映画とアメリカ人を感じさせた。
僕たちは沖縄では4人に一人が死んだこと、前田高地での民間人の死亡率、および一家全滅率が非常に高かったことを忘れてはならない。
太田実中将が沖縄県民の戦いに感謝を込め、「県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする」と最後に打電したことも忘れてはならない。
沖縄県民と心を通わせながら基地問題を解決しようとした指導者もいたが、鳩山政権によってかき乱された基地問題に対するその後の対応に、 どうも心がこもっていないような気がする。
この映画は知らなかった沖縄戦の実態を教えてくれた作品でもあり、沖縄戦を知る上でも日本人必見と言ってもいい作品だ。
皇土防衛と言う名のもとに死んでいった沖縄住民と日米両軍の兵士たち。
無名兵士の戦死者が米軍、日本軍に数多いたことは周知の事実だが、このような戦闘を繰り広げられざるをえない戦争はやはり人間が犯す最大の罪だ。
監督 メル・ギブソン
出演 アンドリュー・ガーフィールド
サム・ワーシントン
ルーク・ブレイシー
テリーサ・パーマー
ヒューゴ・ウィーヴィング
レイチェル・グリフィス
ヴィンス・ヴォーン
ストーリー
ヴァージニア州の田舎町で育ったデズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)の父トム(ヒューゴ・ウィーヴィング)は第1次世界大戦出征時に心に傷を負い、酒におぼれて母バーサ(レイチェル・グリフィス)との喧嘩が絶えなかった。
そんな両親を見て育ち「汝、殺すことなかれ」との教えを大切にしてきたデズモンドは、第2次大戦が激化する中、衛生兵であれば自分も国に尽くせると、父の反対や看護師の恋人ドロシー(テリーサ・パーマー)の涙を押し切り陸軍に志願する。
グローヴァー大尉(サム・ワーシントン)の部隊に配属され、上官のハウエル軍曹(ヴィンス・ヴォーン)から厳しい訓練を受けるデズモンド。
生涯武器には触らないと固く心に誓っている彼は、上官や仲間の兵士たちから責められても頑なに銃に触れることを拒絶し、上官や他の兵士たちから執拗ないやがらせを受けるようになる。
ついに命令拒否として軍法会議にかけられても貫き通した彼の主張は、思わぬ助け舟により認められ、晴れて衛生兵として戦場に立つことを許可される。
1945年5月、グローヴァー大尉に率いられ、第77師団のデズモンドとスミティ(ルーク・ブレイシー)ら兵士たちは日本軍との激戦の地、沖縄の前田高地、通称ハクソー・リッジ(のこぎり崖)に到着。
そこは150mの断崖がそびえ立つ激戦地だった。
倒れていく兵士たちに応急処置を施し、肩に担いで降り注ぐ銃弾の中をひるむことなく走り抜けるデズモンドの姿に、感嘆の目が向けられるように。
しかし丸腰の彼に、さらなる過酷な戦いが待ち受けていた。
寸評
僕は戦後生まれなので戦争を知らない。
全ての戦争においての惨状の知識は書物だったり映画を通じてだったりしている。
しかしどこかで傍観者的に見ている自分がいたのだが、この映画を見ると実際の戦場の言いようのない悲惨な状況が感じ取れる。
それは砲撃や手りゅう弾で吹っ飛んだり、火炎放射器で焼き殺される兵士たちを描いたアクション・シーンで得た感覚ではない。
戦争映画なので冒頭から戦場シーンが描かれるが、目を引くのはおびただしい数の死体で、すさまじい姿の戦死者たちだ。
米兵、日本兵の遺体が転がっている間を両軍が進む。
この遺体役のエキストラは「すごい!」の一言に尽きる。
米兵や日本兵が余りにも大勢が倒れているので、遺体が映るのは一瞬である。
しかし、映された兵士はすべて、これが戦死者の姿だと突きつけるような表情で死んでいる。
吹っ飛んだ下半身や、はみ出した内臓などの映像もスゴイが、この遺体役の表情はもっとスゴイ。
後半の肉弾戦では、これが戦場なのだと見せつける。
実話の映画化ということだが、主人公の少年時代にさかのぼった描き方も緊張感がある。
父親は第一次大戦の生き残りの様だが、戦争の後遺症かアル中気味である。
それでも二人の男の子を、男らしく育てているのだが、兄弟げんかで思わぬ出来事が起きる。
人間同士の争いの対比だと思うが、主人公の少年が「殺していたかもしれない」とつぶやくシーンに現在社会の恐怖を感じる。
戦争という争いに無頓着な日本人だが、こちらの人間同士の争いはますますエスカレートしているような気がする。
無意味な殺人、残虐な殺人を目にすることが多くなった。
沖縄戦の激戦地の一つである前田高地における接近戦の壮絶さは筆舌につくせない。
手足が吹き飛び、頭を打ちぬかれ、爆風と砂塵、肉片と血しぶきが舞う地獄絵図の臨場感は想像以上だ。
参謀たちは無能だったかもしれないが、前線の日本兵は勇猛で強かったのだと思わせた。
主人公のドクはアメリカ人らしいやり方により、アメリカらしい理屈のもとで軍法会議の場から衛生兵として戦地に赴任している。
そこでの主人公の活躍はちょっとスーパーマン的過ぎるきらいがあり、手りゅう弾を叩き落とし、サッカーボールよろしく蹴とばすなど超人的で、唯一リアリティに欠けたシーンだった。
それを除けば、彼が銃を持たないで従軍するという事に至るドラマも丁寧に描かれているので説得力がある。
上官は「もういいよ、お前は除隊して国に帰れ。戦争は俺たちがやるから任せろ」と言うが、足手まといになるであろう彼への言葉としては当然だ。
武器を持たない彼が襲われたら仲間として守らねばならないのだから、彼は足手まとい以外の何物でもない筈なのに、彼が激戦地に赴くことが出来たという不可解な行動に疑問を挟ませない。
ドクが銃を取らない理由が、「汝、殺すなかれ」というキリスト教の教義を守っていること以外に、過去のトラウマからきていることが深みを持たせている。
彼が少年時代に森の中を駆け巡っていたことで養われた潜在的能力が、軍隊の訓練でも発揮されるなどの細かな演出も押し付けがましくない。
戦闘シーンでは敵か味方か分からない状況で繰り広げられる接近戦のすさまじさが描かれていく。
アメリカ映画のパワーを思い知らされたし、信頼を得たドクの祈りのシーンにアメリカ映画とアメリカ人を感じさせた。
僕たちは沖縄では4人に一人が死んだこと、前田高地での民間人の死亡率、および一家全滅率が非常に高かったことを忘れてはならない。
太田実中将が沖縄県民の戦いに感謝を込め、「県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする」と最後に打電したことも忘れてはならない。
沖縄県民と心を通わせながら基地問題を解決しようとした指導者もいたが、鳩山政権によってかき乱された基地問題に対するその後の対応に、 どうも心がこもっていないような気がする。
この映画は知らなかった沖縄戦の実態を教えてくれた作品でもあり、沖縄戦を知る上でも日本人必見と言ってもいい作品だ。
皇土防衛と言う名のもとに死んでいった沖縄住民と日米両軍の兵士たち。
無名兵士の戦死者が米軍、日本軍に数多いたことは周知の事実だが、このような戦闘を繰り広げられざるをえない戦争はやはり人間が犯す最大の罪だ。