おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

十二人の怒れる男

2019-07-31 10:15:05 | 映画
「十二人の怒れる男」 1957年 アメリカ


監督 シドニー・ルメット
出演 ヘンリー・フォンダ
   リー・J・コッブ
   エド・ベグリー
   マーティン・バルサム
   E・G・マーシャル
   ジャック・クラグマン
   ジョン・フィードラー
   ジョージ・ヴォスコヴェック
   ロバート・ウェッバー

ストーリー
ニューヨークの法廷で殺人事件の審理が終わった。
被告は17歳の少年で、日頃から不良といわれ、飛び出しナイフで実父を殺した容疑だった。
12人の陪審員が評決のため陪審室に引きあげてきた。
第1回の評決は11対1で無罪は第8番ただ1人だったが、判決は全員一致でなければならなかった。
彼は不幸な少年の身の上に同情し、犯人かもしれないが有罪の証拠がないといった。
第3番が、殺人の行われた部屋の真下に住む老人が、当日の夜、少年が“殺してやる!”と叫んだのを聞き、その直後、老人は少年を廊下でみかけたという証拠を読みあげた。
第10番は殺人現場の向う側に、高架鉄道をはさんで住んでいる老婦人が、折から通過した回送電車の窓越しに、犯行を目撃した事実を指摘した。
第6番は親子の仲が日頃から悪いことを重要視した。
陪審員たちは被告はナイフを買ったことは認めたが、落としてなくしたという凶器のナイフの再検討をした。
警察は形が特別なもので、被告のものが凶器だと主張している。
2度目の評決で第9番目が無罪に変わった。
第11番は少年が犯人なら、なぜ捕まるとわかっている自宅に帰ったのかと疑った。
3回目の評決がとられた。無罪が4人に増えた。
第2番が傷口のことにふれ、第5番は飛び出しナイフなら傷口の角度が逆だと言った。
第7番、第1番と第12番が無罪の側についた。
いまだに有罪を主張するのは頑固な第3番と、第4番と狂信的な第10番だけとなった。


寸評
17歳の少年が起こした殺人事件に関する陪審員の討論が始まったが、誰が見ても有罪と思えたその状況下で、ひとりの陪審員が無罪を主張した事から物語は動き始めるという内容で陪審員裁判の最高作だろう。
裁判の内容は描かれておらず、したがって証人の様子や証言内容も陪審員の会話によって知らされる。
裁判の中で伏線をいくつも張っておいて、後半で証言の矛盾を次々明らかにしていくという描き方をしたくなるものだが、ここでの伏線はリー・J・コッブが初めに示す息子との写真ぐらいで、あくまでも陪審員たちのディスカッションだけで押してくる。
もちろんヘンリー・フォンダの孤軍奮闘である。
少年が“殺してやる!”と叫んだのを聞いた老人が少年を廊下でみかけたという証言の矛盾が検証され、疑問が浮かび上がってくる。
そして別の展開があった後で、少年の“殺してやる!”という叫びが殺意を含んだものではなかっという可能性があることが、有罪を主張しているリー・J・コッブの叫びで証明される。
ヘンリー・フォンダが仕組んだものだが、このあたりの盛り上げ方は上手い。
ナイフの一件は少し出来過ぎの感じがしないでもないが、法廷劇としてはよくできた脚本だ。

時には感情的に、時には論理的に展開される討論が、次第に無罪判決への流れに変わっていくスリルが、12人の点描と共に丹念に描かれていく。
言葉だけに走らず、人物描写が丁寧に描かれているので正義感が前面に出ているという嫌味がない。
陪審員の一人に老人がいるが、この老人は観察力が鋭く、証人の服の袖が痛んでいたとか、足が悪く歩くのが遅かったとか、証人の女性は眼鏡をかけていたに違いないとかを思い出す。
老人はえてして頼りないもので社会から無視されがちだが、「老人に敬意を払え」と言わせたりして、敬老の精神も見せている。
ヘンリー・フォンダをはじめ役者陣の充実ぶりも良く、特に最後まで有罪を主張するリー・J・コッブが強い印象を残し、今までの密室から一転、裁判所前で皆が別れていくラスト・シーンの解放感が心地よい。
密室劇を見せ続けられてきたので、この解放感は出演者だけでなく観客であった僕も解放感を感じたのである。
主人公のヘンリー・フォンダを追うのではなく、最後に名のりあった老人の後姿を捉え、疲れ切ったリー・J・コッブの姿をはめ込んだラストシーンは秀逸である。

公開当時の日本では裁判員裁判は行われておらず、僕は陪審員による裁判の実態をこの映画で知った。
中学生の頃、テレビで法律事務所を舞台にした「判決」というドラマが放送されていて人気を博していた。
裁判劇だが、そこでの日本における裁判の様子の印象が強かったのだと思う。
今思い出しても、当時は問題提起する良質なテレビドラマが作られていたんだなあと懐かしくなる。
名画座で見たのか、テレビ放映されたのを見たのか記憶は定かではないが、「判決」を思い起こさせたという記憶だけは残っている。
そんなこともあって、僕にとって「十二人の怒れる男」は裁判映画への入門となった記念碑的作品である。
裁判の映画と言えば、まずこの作品が思い浮かぶ。